第5話 いざ修羅の道

 翌日の二一時となり、フェリーは定刻をやや遅れて舞鶴港へ着いた。

 シージャックの犯人、タケシは途中の港で海上保安庁に引き渡されている。

 マスコミもこの事件を大々的には報道しておらず、ネットの匿名掲示板でタケシがおもちゃにされているだけだった。

 シージャックというよりは、百円ライターを持って暴れただけのバカ。

 世間はそのように受け捉えているらしい。

 そして、各車両が淡々と下船していく中、文太郎もエリコと一緒にトラックで船を降りた。

 このまま夜通し向かうのは、もちろん熊本だ。

 距離にしておよそ760㎞の長丁場となっている。

 そのルートとしてはこうだ。


 ――舞鶴東IC→吉川JCT(舞鶴若狭自動車道)87㎞。

 ――吉川JCT→神戸JCT(中国自動車道)8・8㎞。

 ――神戸JCT→廿日市JCT(山陽自動車道)310・3㎞。

 ――廿日市JCT→大竹西IC(広島岩国道路)13・7㎞。

 ――大竹西IC→山口JCT(山陽自動車道)95・2㎞。

 ――山口JCT→下関IC(中国自動車道)65・3㎞。

 ――下関IC→門司IC(関門自動車道)9・4㎞。

 ――門司IC→熊本IC(九州自動車道)171・2㎞。

 ――※IC(インターチェンジ)高速道路の出入口。

 ――※JCT(ジャンクション)高速道路を結ぶ分岐点。


 以上が修羅の道である。

 この果てしない陸路のすべてが、転生志願者たちとの戦いの場でもあるのだ。

 タケシのような輩が、いつどこでトラックに飛び込んできてもおかしくはない。

 文太郎は舞鶴東ICに向かうトラックの中で、エリコにそのことを言い伝えた。

 すると彼女はこんな質問を投げかけてきた。


「でも文ちゃん、高速道路って人が入り込めない決まりでしょ?」

「ルール上ではそうなってるな」

「なら、それほど心配する必要はないんじゃない? 人が入り込めない決まりなら、人を轢き殺すこともないんだから」

「いや、その逆だ。一般道より高速道路が一番危ないんだ」

「どうして?」

「高速道路は山間だとかの田舎道が続くし、警察の目も届きにくいからだ」

「たしかに、高速道路って山の中とかを走るイメージかも」


 エリコは思い出すように指先を顎にあてた。

 東京のど真ん中は別にして、高速道路はたいがい街中から離れた場所に造られる。

 直線的な一本道を伸ばすためだ。


「それに、いくらガードレールやフェンスがあるとはいえ、高速道路は人の進入を阻止するような造りにはなってない。野生のクマやシカですら簡単に入り込めることができるんだぞ。人ともなればなおさらだ」

「つまり、転生志願者にルールは通用しないってことね」

「そういうことだ。しかも高速道路を走る車はスピードも速い。ましてや大型トラックに飛び込めば一発であの世行きだ。だから転生志願者の飛び込み自殺があとを絶たないんだろうよ」


 文太郎もネットで調べたので知っている。

 心霊スポットのサイトがあるように、トラック転生スポットのサイトもあるのだ。

 この場所がトラックに飛び込みやすいだの、この場所ではトラックのスピードが速いだの、地図や写真付きで、そんな緻密な分析がなされていた。

 そのほとんどが高速道路に関するものであり、ある意味、高速道路は転生志願者の人気スポットと化している。

 しかも、『トラック転生バスツアー』などという、目を疑うような募集もネットで見かけた。

 みんなで高速道路を回り、各所で乗客がトラックに飛び込み、最後は運転手一人だけで戻ってくるという。

 これぞまさにミステリーツアー。

 それだけではない。

 日本のサブカルチャーにどっぷりはまった外国人も、トラック転生のために遠路はるばるこの日本を訪れるのだ。

 日本のアニメが『anime』で認識されているように、トラック転生も『truck tensei』で認識されているらしい。

 日本はどうしてこうなってしまったのか。

 などと嘆きたくもなるが、今は立ち向かう勇気を持ち、熊本を目指さなければならない。

 ゆえに文太郎は兜の緒を締め、舞鶴東ICから高速道路にトラックを走らせた。

 そして、舞鶴若狭自動車道(下り)を十数分も走ったかというとき――。


「あぶねえッ!」


 文太郎は叫び声をあげてハンドルを右に切る。

 ヘッドライトで一瞬捉えたその姿はスーツを着た男。

 それが路肩の茂みから転がるように飛び出してきた。

 間一髪でそれをかわしたとはいえ、ここは片側一車線だ。

 トラックは車線を区切るポールをまたぎ、反対車線にまで飛び出してしまった。

 幸い、対向車がいなくて事なきを得たが、一歩間違えばトラックが横転し、大事故に繋がるところだった。

 文太郎は安堵の息をつくとともに、サイドミラー越しから後方を目視した。

 するとスーツの男はアスファルトに膝をつき、


 チクショウ! もう少しでトラック転生できたのに!


 と言わんばかりのリアクションで拳を路面に叩きつけていた。

 間違いなく転生志願者だ。


「はぁ~、ビックリした」


 エリコは胸に手をあて、大きなため息を漏らしている。

 文太郎も動揺が収まらず、ハンドルを握る両手がジワジワと汗ばんでいた。

 このままでは冷静に運転などしていられない。

 だから文太郎は、次のパーキングエリアかサービスエリアで休憩を挟むことにした。

 みなみにパーキングエリアはトイレのある簡易な休憩所。

 サービスエリアは店舗などを併設した大きな休憩所、といった扱いだ。

 ほどなくすると、京都府綾部市に位置する、綾部パーキングエリアが見えてきた。

 文太郎はその入り口に進入し、駐車場にトラックを止めてエンジンを切る。

 ここはトイレと自動販売機があるだけのパーキングエリアとなっており、駐車場では数台のトラックが休憩をとっている。


「文ちゃん、あたしトイレに行ってくる」

「じゃあ俺はジュースでも買ってくるか」


 エリコはトイレへ。

 文太郎はその隣に設置された自動販売機へ向かった。

 自動販売機の前では、数人のトラッカーがタバコをふかして談笑している最中だ。

 文太郎が缶コーヒーを購入したところ、そこにいる一人のおじさんが話しかけてきた。

 頭にねじり鉢巻きをした五十代ぐらいのおじさんだ。


「あんちゃん、丸太積んでどこまで行くんだい?」

「俺は熊本までです」

「熊本までなら、百といったところだな」

「おじさん、それってなんのことですか?」

「熊本までの道で出没する、転生志願者の数のことよ」

「そ、そんなに……」


 愕然とする文太郎の手からポロリと缶コーヒーが落ちた。

 まさかそれほどの転生志願者がいるとは思いもしなかった。

 修羅の道は己の想像をはるかに超えていたのだ。

 やはりネットで調べただけでは情報不足。

 こうしたリアルな声が一番役に立つ。

 文太郎はさらなる情報を求め訊いてみる。


「おじさん、人身事故で高速が通行止めにならないんですか?」

「トラックが横転大炎上でもしない限り、通行止めにはならねーんだよ」

「でも、転生志願者の死体処理が必要ですよね?」

「死体処理は警察がちゃちゃっと済ませて終わりだ。今のご時世、人が死んだぐらいじゃ交通の流れを止めることはねーのさ。だけど、俺たちトラック運転手の人生は、そこでストップしちまうんだけどな」


 おじさんはやれやれといった感じで両手を広げた。

 その場にいる数人のトラッカーも、


「ったく、やってられねーよな」

「こっちの身にもなってくれよ」


 と、口々に愚痴をこぼしている。

 そもそもの話、トラック転生を未然に防ぐことができれば、なにも問題とはならない。

 もっとも有効な手立ては、警察による見張りだ。

 しかし、高速道路は果てしないシルクロードにも等しく、警察の人員が足りるはずもなかった。


「あんちゃん、そんな質問してくるところを見ると、長距離は初めてかい?」

「まあ、長距離は初心者みたいなもんですね」


 文太郎も若いころは長距離運送を経験している。

 だがそれは十年以上も前の話。

 ましてやその時代、トラック転生などという言葉すら聞いたことがなかった。

 それだけに、今の文太郎は初心者同然の長距離ドライバーだ。


「なら、無理して飛ばすんじゃねーぞ。制限速度をちゃんと守って、注意深く運転すればいいんだ。それなら転生志願者にもなんとか対処は利くからな」


 おじさんは経験豊富なトラッカーらしかった。

 そんな彼は、いくつかのアドバイスを施してくれた。

 区間が長い高速道路はドライバーの気も緩むため、とくに注意が必要とのことだ。


「それとあんちゃん、あのべっぴんさんは、おめえさんの彼女か?」


 おじさんはニタニタと笑みを浮かべ、トイレからトラックへ戻るエリコを指差した。

 彼女はこちらの会話に気づいてはいない。

 気づいていないからこそ言える嘘がある。


「はい、俺の彼女です。もうラブラブすぎて困っちゃうぐらいです。てか、毎日ズッコンバッコンです」

「あんまり頑張りすぎて腰痛になるんじゃねーぞ。トラックの運転手が腰痛になったら仕事にならねーからな」


 おじさんは猿のように腰をカクカクと前後に揺すった。

 トラック仲間は気さくな者が多い反面、このような下品な者も少なくはない。

 もちろん文太郎も同類だ。

 自宅アパートのパソコンは、エロ動画のためだけに買ったといっても過言ではない。

 高校時代は橋の下にエロ本を拾いに行ったものだが、なんとも便利な時代になったものである。

 そんなアホな話はさておき、文太郎はおじさんたちに別れを告げてトラックに戻ることにした。


「ねえ文ちゃん、あそこにいる人たちと下品な話でもしてなかった?」

 

 助手席にいるエリコは怪訝な眼差しを浮かべ、自動販売機の方へ顎をしゃくった。

 そこではおじさんたちトラッカーが、こちらに手を振り、腰までいやらしくカクカク振っている。


「ああいう下品な人間にだけはなりたくないもんだな。よし、じゃあ出発するか」


 文太郎はシレっと他人を装い、内心、冷や汗タラタラでパーキングエリアをあとにした。




 その後、一時間ほどトラックを走らせたが、転生志願者に遭遇することはなかった。

 舞鶴若狭自動車道は片側一車線がほとんどだ。

 遅い車がいれば自然と交通の流れも遅くなる。

 制限速度が七十キロの中、そのような道路状況にあったため、転生志願者を回避できたとも言えた。

 ほどなくして、上荒川パーキングエリアが見えてきた。

 ここは舞鶴若狭自動車道(下り)、最後のパーキングエリアだ。

 ここを過ぎれば吉川ジャンクションにぶつかり、そこから中国自動道に乗り換えることになる。

 まずは第一関門を無事に乗り切ったと言ってもいいだろう。

 文太郎は少しほっとし、缶コーヒーを飲んで緊張を緩めた。

 そんなところに、エリコがフロントガラスの左側を覗き込んだ。


「ねえ文ちゃん、なんかスピードが遅くない?」


 彼女の言うとおりだ。

 上荒川パーキングエリアを過ぎてからは、交通の流れが異常に遅い。

 前を走る車はギュウギュウに詰まっており、速度は30キロも出てはいなかった。


「誰だ? 高速でノロノロ運転してる奴は?」


 文太郎もフロントガラスの右側を覗き込み、車列のずっと先に目を通す。

 たまにいるのだ。

 片側一車線だというのに、制限速度を遙かに下回るスピードで走る愚か者が。

 もちろん、追い越し車線以外での追い越しは禁じられている。

 それゆえ後続車がどん詰まり、ストレスMAXの大名行列を引き起こす。

 しかし、この渋滞はそれが原因ではなかった。

 なぜなら、百メートルほど前方では、警察車両の赤色灯が回転しているからだ。


「文ちゃん、あれって検問?」

「いや、ちがう。高速道路の途中で検問はやらないはずだ」

「じゃあ、誰かがスピード違反で捕まったとか?」

「そのときは道路の端っこに車を止めるし、こんな渋滞にはならないだろ」

「てことは、交通事故?」

「おそらく、それだ」


 文太郎はそう答えるのと同時に、嫌なキーワードが頭に浮かんだ。

 トラック転生である。

 もしかしたらそれ以外の交通事故かもしれないし、まだ断定することはできない。

 しかし、事故現場が目前に迫ってきたことで、文太郎の予想は現実のものとなる。


「エリコ! 目をつぶってろ! 前を見るんじゃねえ!」


 文太郎は半ば怒鳴るように忠告を発した。

 走行車線の真ん中には血の海が広がり、ズタボロになった死体が横たわっている。

 それだけでもじゅうぶんグロテスクなのに、頭部がちがうところに転がっていた。

 警察官がその死体を避けるように誘導し、それが原因で渋滞が発生していたのだ。

 そして、路肩には箱型の六トントラックが止められていた。

 そこでガックリと立ち尽くし、警察官から事情を訊かれているのは、二十代後半と思しき男性の運転手である。

 彼は交通事故の加害者だ。

 だがトラック転生の被害者は彼だ。

 もしかしたら彼は結婚していて、小さい子どもがいるのかもわからない。

 家族のため身を粉にして働きながらも、幸せの絶頂期だったのかもわからない。


『あなた、早く帰ってきてね』

『パパ、お仕事がんばってね』


 そんな妻と娘の温かい言葉があるからこそ、いくらでも仕事を頑張ることができたのだ。

 だが彼はたった今、幸せの頂から奈落の底へと突き落とされた。

 免許を失い、仕事を失い、生活苦から家庭崩壊を招き、天涯孤独となった彼に、選ぶべき道はひとつ――。

 自ら命を絶つことである。

 文太郎にはそんな救いようのない結末が見えた。


「文ちゃん、もう目を開けても大丈夫?」

「ああ、もう大丈夫だ。首チョンパの事故現場は通り過ぎた」


 エリコが瞳をひらいたのと同時に、文太郎はすっと目尻に指先を運んだ。

 あの運転手の不幸な人生を想像し、なんだか悲しくて涙が出てきたのだ。


「もしかして文ちゃん、泣いてるの?」

「バ、バカ言うんじゃねえ……。ちょっと目にハエが入っただけだ……」


 なにを隠そう、文太郎は人一倍涙もろい。

 しかし己は男気あふれるジェントルメン。

 女に涙を見せることは許されない。

 エリコに頼られる男であり続けなければならないのだ。


「はい、文ちゃん」

「お、サンキュ」


 そこへエリコが箱ティッシュを差し出してきた。

 文太郎はそれを何枚か抜き取り、涙混じりの鼻水をチーンとかんだ。

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