stage 1


「ねえねえ、アンタ将来の夢は?」

「……うーんとくにないけど」

「ええぇ~、ウソないのぉ?」

「えーとじゃあ……あえて言うなら公務員、とかかな……?」

「なにそれちようかたいじゃんウケる~」


(そんなにウケるかな。人の夢って……)

 そうモヤモヤしながらも、クラスメイトたちといっしょになって空笑いをしていた、あのころの自分。


 けっとばして、ゴミ箱に捨てる。


 もう、サヨナラだ。




「あ、あああのっっ、大ファンです!」


 心臓がバクバクいってる。

(わわ言えた、言えた言っちゃった! 顔、わたしの顔ヘンになってない? だいじよう!?)

 顔が熱くてホントに火が出そう! ずかしい!

(でも、ついに言えた!)

 おうはよろこびにふるえながら、そっと手をにぎってくれている相手を見つめた。


(ふ、風真くん……ダメ、ま、まぶしい!)

 手をにぎってはいるが相手はカレシでもなんでもなく、アイドルだ。

 宇瑠がこの数か月にわたって追いかけている、大大大好きな新アイドルグループ『ドルチェ』のメンバー、白雪風真。

 ねんれいは中三である宇瑠のひとつ上の、高校一年生、十五歳だ。


(ふあああ! 風真くん、キレイなのにがおがめっちゃイケメン……あ、あれ、なんか神すぎてなみだが……)

 感動しすぎてボロボロ涙がでてくる。

 どうしようドン引かれる! とあせったけれど、風真はやっぱり神だった。

「泣かないで?」

 そっとハンカチで涙をぬぐってくれる。


(え、なんだろうこれ、現実?)

 まわりからも「キャー!」という悲鳴なのかかんせいなのかわからない声があがった。

「君、俺たちがデビューしてから、ずっとおうえんにきてくれてるよね。俺のうちわ持ってさ」

(ウソ!? お、覚えてくれてた……!!)

 神しに存在を覚えてもらえた。


 こんな幸せって、あるだろうか。




「──ない。ぜったいにない! 今日がわたしの人生最高の日!」

 あくしゆ会のあと、宇瑠は自宅マンション近くの小さなお店にいた。

Chocolatierシヨコラテイエ Mimiミミ』。

 チョコレートシヨコラ職人テイエである祖父の、チョコレートシヨコラ専門店だ。


 ローストしたアーモンドを使った、アマンド・ショコラ。

 オレンジピールをショコラでコーティングした、オランジェット。

 ヘーゼルナッツのペーストを使った三層のショコラ、クレミーノ。

 国産ドライフルーツをふんだんに使った、マンディアン。

 トリュフに生チョコレート、そして一番人気のボンボン・ショコラ。

 宝石みたいにぴかぴかの特製ショコラたちがならんでいる。


 奥には小さなカフェスペースもあって、ショコラショーと呼ばれるチョコレートドリンクや、祖父まんのスペシャルティコーヒー、そしてチョコレートケーキを楽しめるようになっていた。


「まだ人生五分の一も生きてない中学三年生が、なにを言っているのかねぇ」

 ショーケースにできたてのショコラをならべながら、祖父がしようする。

「ああ、宇瑠。そっちのテーブルふいてくれるかい?」

「はーい」


 この『Mimi』は小さなお店だから、祖父と祖母のふたりきりでずっと切り盛りしてきた。

 けれど、昨冬のこと。

 その祖母が転んでこしをいためて、お店に立てなくなってしまったのだ。

 祖父はすっかり元気をなくして、もうお店をたたむなどと言いだしたものだから、大好きな祖父母と大好きな『Mimi』のため、宇瑠がお手伝いを申し出た。

 以来、週末の学校が休みの日は、こうしてお店に立っている。

 祖母が用意してくれた制服も、クラシカルなメイド服調でかわいくて、とても気に入っていた。


「──おじいちゃん、何年生きたかとかカンケーないんだよ? 風真くんがわたしを知っててくれた。風真くんがハンカチで涙をふいてくれた……! ああ、これを幸せって言わないでなにを言うの? 幸せすぎて明日あした死ぬのかも……っ」

 カフェスペースのあいた客席をかたづけながら、幸せにうち震える。

 するとそれをきいていた常連客のはなさんが、フォンダンショコラを食べる手を止めて顔をあげた。

 花江さんは、いかにも品のよさそうなご近所のマダムだ。


「宇瑠ちゃんは、よっぽどそのナントカっていうアイドルが好きなのね。春からずっとその話ばかりだものね」

「ドルチェです。これからどんどんびるアイドルですよ!」

「写真とかあるの? どれ見せてごらん」

 言われて、宇瑠はいつも持ち歩いている風真のかんバッジをとりだした。


「この人が白雪風真くんです」

「まあ、かわいい女の子ね」

「ちがいますよ! 風真くんは男の子です!」

 こうすると花江さんは目をぱちくりする。

 いつしよにコーヒーをのんでいた、おなじく常連客のねこさんも「どれどれ」とのぞきこむ。

 猫田さんはきれいになでつけたシルバー頭の老しんだ。


「なんだい、このべっぴんさん、男なのかい。時代は変わったものだねえ」

「なに言ってるのよ猫田さん。わたしらが若いときだって、メイクしてる男のアイドルがいたでしょう」

 花江さんが言うと、猫田さんが「いたねえ!」と手をたたく。

 そこから昔のアイドルについて二人で話がもりあがりはじめたので、宇瑠はカウンターの内側にもどってカップを洗うことにした。


「──最近、元気なようで安心したよ」

 ショコラをならべ終えた祖父が、コーヒー豆をひきながら、宇瑠に向かってぽつりと言う。

「中学に入ってから、ずっとなんだか元気がなかったようだったからね。まえはよく店に友だちを連れてきていたのに、それもなくなってしまったし」

「……うん。でももう大丈夫。心配しないで」

 にっこり笑うと、祖父は安心したように、しわしわの目を細くした。


(そう。もう大丈夫)



 ──夢は、ショコラティエになることです!

 あれは中学に入学したばかり。忘れもしない、はじめてのクラスでの自己しようかい

 宇瑠がようようと宣言すると、教室にはどこかしらけた空気がひろがった。


 ──はい出ましたー、男ウケねらいのヤツ!

 ──ようするに『お屋さんになりたいです!』でしょ。ようえんじゃあるまいし。

 ──知ってる? あの子のしんせき、チョコ専門店やってるの。

 ──知ってる~。親指くらいのちっちゃなやつが何百円もするってママが言ってた。

 ──高っ! チョコなんて百円でおっきいやつ買えるじゃん。ぼったくりでしょ!


 ぼったくりなんかじゃない!

 そう言えればよかった。

 量産品のチョコレートと、職人がつくったチョコレートはまったくの別ものだ。

 手芸で使うパワーストーンが百円で手に入るのに、ジュエリーショップで売っているおなじ名前の石が高価なように。似たように見えても、ぜんぜんちがう。


 でも、言えなかった。

 中学に入学して、はじめてできる新しい友人関係を、平和にスタートさせたかった。

 だからあのときの宇瑠は、あいまいに笑うことしかできなかったのだ。

 大好きな祖父と、大好きな祖父のショコラをばかにされているのに、なにかを言う勇気が出なかった。


 一番つらかったのは、中一の二月。

 バレンタインを目前にしたころのことだ。

 あれほどショコラティエやショコラを否定したクラスの女子たちが、祖父のお店に連れて行ってほしいと言いだした。

 今考えれば、断ればよかったのだと宇瑠は思う。

 けれどあの時は、祖父がつくった宝石のようなショコラを見せつけてやりたかった。「すごーい」って感動してほしかった。

 そしてむかえた放課後、みんなで『Mimi』をたずね、宇瑠の期待はこなごなに打ちくだかれたのだ。


 ──わ、やっぱたっか……!

 ──ねえ、専門店のチョコ、友だち価格でゆずってくれない?

 ──は? なんでだめなの? どうせ原価なんて、ひとつぶあたり数十円なんでしょ?


 原価で買いたいなら、原材料を自分で買ってつくればいい!

 ショコラティエは、せんさいなカカオを高度な専門知識と高度な技術で最高の状態に高めてスイーツをつくる職人だ。原材料の値段で買えるはずがない!

 そもそも原材料だって、祖父が原産地から厳選した、最高のカカオを使っているのに!


 ショックで、目の前が真っ白になった。

 理解されないことに。

 そして結局自分は、なにも言えないことに。


 中二でクラスえになり、それ以来、『ショコラティエ』という言葉をずっとふういんしてきた。

 夢をきかれたら、てきとうに「公務員」なんて答える。

 またショコラティエだなんて言って、夢を、祖父のショコラをばかにされたくないから。

 宇瑠がなにも言わなければ、だれからも否定されないから。


 数か月前、中三になるまえの春休み。

 風真と出会うまで、ずっと、そう思っていた。


 きっかけは、妹にさそわれてにいった、エッグレコードのアイドルフェスだった。

 その中のイベントの一つとして、アイドルの公開オーディションがあったのだ。


 出場者はみんなカッコ良かったけれど、とくに夢中になって見ていたわけじゃない。

 けれどそれは、スカート姿の白雪風真の登場で一変した。

 会場はいつしゆんで静まりかえった。

 そしてはじまる、「マジ?」「やだぁ」の声。

 しらけた冷たいクスクス笑いに、宇瑠はゾッとした。

 そのときの空気は、宇瑠が「ショコラティエになりたい」と言ったときのクラスのふんにとてもよく似ていて、胃がぎゅっとひきしぼられるような感覚がした。


 こわい、と強く思った。

 それなのに。


「俺は、夢をかなえて、夢の先へ行きたい! どうかよろしくお願いします!」


 会場のいやな雰囲気をものともしない、堂々とした自己紹介に、観客の目は変わった。

 そして、冷ややかな空気を自力でぬり変えた風真の姿に、宇瑠は胸を打たれたのだ。

 どんなかんきようにいても自分をつらぬこうとする風真は、すごくかがやいて見えた。


 ──わたしも、あんなふうになりたい……!

 強く、強くそう思ったのだ。



 ことん、となにかがゆかに落ちる音がする。

 見れば、カフェカウンターのすみに座っていたお客さんのペンが、床に落ちていた。

「どうぞ」

 拾ってわたすけれど、返事がない。

 週末にときたまやってくる若い男性客だ。

 このお客さん、いつもショコラを買ったあと、カフェのほうでコーヒーをのみながら書類をながめたりするのだけど、とにかく落とし物が多い。

 すぐにまた、書類のクリップが。

 つぎはコーヒーのスプーンが床に落ちる。


「宇瑠ちゃん、もう拾うのやめなさいな。あれわざとかもしれないわ」

 こそっと花江さんが耳打ちしてくる。

「気をつけなさい。その制服かわいいんだから、ヘンな男に目をつけられたら大変よ」

「もう花江さん、そこは宇瑠ちゃんかわいいんだから、でしょ?」

 軽口を言って笑いあううちに、

「あっ……」

 こんどはコーヒーがこぼれた。

 ふきんを持っていこうとすると、花江さんが止める。

 でも。


「──だいじようですか?」

 物を落としたなら拾う。コーヒーをこぼしたならふく。

 どんなお客さんでもがおで接客、だ。

(だって、風真くんだってどんなときも笑顔でがんばってるもん! わたしだってできる!)

 ここは最高のショコラのお店だから、最高の気分で帰ってもらいたい。

 宇瑠ができるのは、笑顔の接客だけだ。


 とはいえ、結局このお客さんはおこった花江さんにぴったりとくっついて座られ、いづらくなったのか、すぐに退店していった。




 夕方になってお店をあがり、自宅マンションに帰りながらスマホを手にとる。

 あくしゆ会のあとのSNSへのつぶやきに、たくさん『いいね』がついていた。

 いくつか返信もある。


〈握手会サイコーでしたね!〉

〈いいなー都会民。わたしも行きたかったし!!〉

〈ウチも会場にいたよ~〉


 みんなSNSで知りあったドルチェのファンたちだ。

 ドルチェは四月にデビューしたばかりのアイドルだから、まだまだ知名度も低くて学校にはファン友だちというものがいない。

 さみしかったけれど、おねだりしてようやく買ってもらえたスマホのおかげで、こうして貴重なファンとつながることができていた。

 SNSってすごい! とひたすら感動するばかりだ。


(あ、みるくちゃんまたりあげてる)

 ドルチェ仲間のひとり、みるくはアイコンの写真が読者モデルみたいにかわいい女の子だ。

(盛り盛りの自撮りアイコンのわたしとは、やっぱりちがうなぁ)

 みるくはかわいいだけじゃなく、おんなじ風真しで、宇瑠のつぶやきには必ず『いいね』をくれるし、返信もたくさんくれる。


 ただ、ちょっと変なところがある子で、メッセージよりも自撮り画像をあげてくることのほうが、ひたすらに多かった。

 しかもその画像も、つぶやきとなんのみやくらくもないことが多いうえ、宇瑠に対しても「自撮りちょうだい」とねだってくるので、ほかのアカウントさんたちからもすこしけいかいするように言われていたりもする。


(そもそもこんなかわいい子に自分の自撮りなんて、おそれ多くて送れないよ!)

 かわりにお店のずらりとならんだボンボン・ショコラの画像を送ったところで、マンションについた。


 最上階の一室が宇瑠の自宅だ。

 マンション最上階というと、いかにも上流家庭にきこえるけれど、そういうわけじゃない。

 半こうがいにある、一階にダンススタジオが入ったふつうの五階建てマンションだ。

 とくしゆなところと言えば、楽器演奏可な防音室があることくらい。

 宇瑠の家庭では、父親がその防音室でしゆのギターをいたりしている。


 スマホをいじくりながらエレベーターを降りて、外ろうへとふみだした足が止まった。

(────え…………?)

 頭がまっ白になる。

 宇瑠の自宅、その奥の角部屋のまえに、男子学生たちの姿が見えた。

 ほとんどがバラバラな制服を着て、中へと入っていく。


「う、そ、でしょ……」

 このマンションを管理している不動産屋は、宇瑠の父親が働く会社だ。

 たしかその父が何日かまえに、

「となりの部屋を音楽事務所が使うことになったけど、もし有名人の顔を見てもぜったいにさわがないように!」

 なんて言ってはいたけれど。


(だからって、どうして……!)


 立ちつくす宇瑠に気がついたように、一番後ろにいた一人がふり返る。

 彼ははかなくてきれいと評判の顔を、おもいっきりしかめてみせた。


「こんなところまで押しかけてくるなんて、君、ストーカーなの?」

「ちがっ……これはぐうぜん……っ! あやしいものじゃありません! で、でも、えぇぇえええ!?」


 彼の名前は塔上沙良。

 となりの角部屋に入っていったのは、ドルチェのメンバーたちだった。

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