第6話 - 昼  依頼採集:深海の森にて

 アルビレナ曰く、この森は奥に行くほど暗くなり、最終的には手元のランプの光さえ見えなくなる。それ故にその最奥にたどり着いたものは誰一人として居ないという。

 しかしその一方で奥へ行くほどに動植物は多様で活発となるとのこと。音に従って周囲を確認するものや、触覚に頼って把握を行う生き物には不利な影響がないのだろう。そしてリクギンチャクとはその後者の典型であり、地を這うように触手を広げ、通りかかるものを捕食するらしい。


 それはそうと、そろそろ仕掛けようかね。

「驚かすのはなしですからね?」

 ………。

「……なしですよ?」

 ……………。

「なしですからねっ!」

 目を逸らすようにそっぽを向いたところ、"逃さない"と言わんばかりにギュッと左手を握られる。さて、まずはどうやってこの手を解こうか。



「あ、手袋し忘れたわ」

 そう言って俺は手を離し、離し、はなっ。ハ・ナ・セ!

「いくら何でも怖がり過ぎじゃね?」

「だって、絶対に怖がらせてくる人が居るんですもん」

「そりゃぁ、詐欺師は"嘘は"言わないものだよ」

 うっかり本音が漏れるが理解はされないだろう。つまりは否定はできないということだね。世知辛いね。

 しかし言葉の理解はできないものの"信用できない"という点は信用できたようで、痛いほどに握った手へ力を入れてくる。ならばその信頼を裏切る訳にはいかないねぇ。

「きゃっ」

 とりあえず空いた片手でぼふっと帽子を被せる。特に意味は無い。しかし繋いだ手で右手、持ったランプで左手が塞がった彼女はそれに抗うこともできずにされるがままである。そして恐らくそのことにいまさら気づいたであろう、表情を険しくした姿を横目に見つつ、樹海とでも言うべき場所に通された石造りの道を歩いていく。


 なおランプは一つしかない。そもそも怖がりなのによく予備のランプなしで来ようと思うなぁ、ふむ、一つしかない……。ふと閃いたのでランプを借りる。

「少しそのランプ借りてみてもいいですかね」

「絶対に嫌です」

 そういって本気で嫌そうな顔をしつつ胸へと抱く。体に遮られて辺りが闇に染まるが、それすら気にしないほどに警戒されている。

「灯りを消してしまうと光を警戒していた生き物たちが近づいてくるのでランプで遊ぶのは冗談にならないのです」

「ほうほう。それはそうとちょっと貸して?」「嫌」

「高速で点けたり消したりすればどうなるかという知的好奇心がですね」「嫌です」

 降参という意を示すために右手を空へ向けてあおる。


 しかしランプに気を取られて俺への警戒が疎かになっていることが仇になるネ。右手を自分の背中に回し、合わせて軽く体を捻り、彼女の右腕をおもむろに"がしり"と掴んだ。

 ヒュっと短く息を吸い込む音がし、軽く仰け反りつつビタリと硬直する。

 手を元に戻し「どうした?」と語りかけると、意外なことにもその言葉で事態を把握したようで、目元を潤ませ無言で見つめてくる。恐らく言うべき言葉が多過ぎて迷ってしまい、もはや何も言えないのだろう。

 無言の訴えを受けつつも、とりあえず被せた帽子を回収する。それでも再起動しないので、目前に差し出されている彼女の頭をわしわしと掴むように撫でてやる。スルスルと指を抜ける髪の肌触りが心地よく、それに負けじと頭皮を指の腹で柔らかく擦り上げる。

 無抵抗に撫でられる彼女に、段々と"俺は何をしているんだろう"という考えが濃くなる。おもむろに手を側頭部へ擦り降ろし、耳へ触れピクリとした反応を拾うと、彼女は俯いてしまう。さらに下って頬へと親指を掛け、そのまま頬へめり込ませるようにしてグリグリと揉み、「行きましょうぜ」と声を掛けた。


 少しばかり上がった心拍を胸に、苔むした道を進む。握り合った手を介して緊張が伝わってしまうような気がして落ち着かない。握った手を開いてみるが彼女は手を離さず、仕方もなしにぎこちない動きでゆっくりと握りなおす。好奇心としては俯いてから上がらない彼女の顔を覗き込んでみたいが、あいにくとこちらも合わせる顔を持たないので止めておく。



「こっち」と弱弱しく案内をするアルについて道を外れれば、大きな泉のほとりへと辿り着いた。夜光虫のようなものだろうか、その水はやや緑掛かった青色に光ることで辺りを照らし出している。

「この泉の水には強い毒性があるので飲まないでくださいね」

「それは鉱毒? それとも生物毒?」

 "分かりません"との返答。


 手をつないだままに座り込む彼女。あまり背を丸めないようで、しゃがみ姿でも背筋が通っている。束ねた髪はうなじを流れ落ち、背中を転がり地へ触れた。

「これが集めるものです。メリッサというものの亜種で、レモンの香りがするのが特徴ですね。手の大きさの三分の二ほどを残して、茎ごと収穫してください」

 ランプを置いて取り上げたのは真っ白な葉っぱ。しわが多く、フチは波打っている。

「んじゃ、いい加減に手を離して欲しいのですが」「嫌です」

 ………。

「例え一時であっても、どこに居るかを見失うと何をされるか分からなくて怖いので、嫌です」

 そっすか。


 せめて手袋はさせて欲しいと申し出ると手を離してくれたが、代わりに目を離して貰えず。この痛いほどの"信頼"は今朝の物事に対する復讐だろうか。

 リュックからぶつを取り出し両手にはめて背負いなおすと、”ハイ”と手が差し出される。諦めて手を取った。


 目的の草は辺り一面にもっさりと生えているので探すのに手間はなく、無言黙々と摘んでは背中に放り込んでいく。手袋越しでも分かる柔らかい手を握り、時折腕に触れる彼女の髪のくすぐったさに耐えつつの作業である。

 30分も過ぎれば飽きてきた。

「I think, in a deep sink, of the world~♪」と即興の詩を口ずさみ、深海へ沈んだような雰囲気と、掃き溜めにいるような気持ちを合わせて歌う。

「Never mind, yeah」

 "そんなこと気にしないさ"と適当に付け足してみるが、皮肉にしかならない。止めにしよう。

 再び静寂へ戻った景色には草の擦れあう音だけが響く。早くも遅くも流れない時間が妬ましい。



 軽い昼食を取った後も採集を続け、そうして満杯となったリュックを背に水辺を眺めれば、遠浅の水底からは"こぽ、こぽ"と泡が上がり至る所から湧き水が噴き出ていることを示している。

「この水を瓶に汲めばランプ代わりになるんじゃね?」

「清流でなければすぐに光らなくなってしまいますし、そうなると誤飲が防げないので絶対にダメですよ」

 背後で荷物を整理している彼女の言葉に、"それはそれで使い道がありそうだな"と黒い発想を楽しみつつ帰り支度をする。

「あっ、動かないでください!」

 手を離しては貰ったものの、彼女の視界の外へ出ることは許されず、少し動いただけで文句を言われる。先の昼時も片手で不自由なく食えるものであったことを感謝したほどだった。


 することもなく目前を眺めていると、泉の向こうからぼんやりと光る球体が空中を漂ってくる。大きさは30㎝ほどで、クラゲみたく泳いでいるように見える。

「アル、アル、あれはなんだ?」

「そんな古典的な手には引っ掛かりません!」

「いやそうじゃなく、あの光ってる丸いやつは何?」


「……ウィル・オ・ウィスプ! 逃げましょう!」

 またとない機会である。"おっけー"と返し、即座にアルを置いて走り抜けた。片手は帽子を押さえ、もう片方の手は軽く肘を曲げつつ空中へ差し出し重石替わりにしてバランスを取ることで、多少の不整地でも気にせず進む。

 野宿の際には暗い中でロープを扱ったり着替えたりする必要が度々あり、明かりの無いままに行動をすることには慣れている。なので暗闇のように見えてその実ほんのりと光る空の下の、微かな影形を元に一度通った地形を辿るぐらいはなんとかなる。もっとも、下手な場所でやれば死ぬだろうが。


 チラチラと背後を振り返り彼女を振り切らないように、こけたりした際には助けられるようにペース配分しつつ、元の苔むした石造りの道まで戻った。

 暗闇で怖いのは木の陰などに得体の知れない生き物が潜んでいることである。うっかり触れた場所に虫の大群でも居たらと考えると身の毛もよだつ。薄っすらとした視界の中で戦術的な地点となるこの分岐路の安全を見て回り、そして彼女が近付く頃合いを見計らって大木の裏へ隠れた。

「カラズさん! カラズさーん!」

 そう呼び掛けては俺を探し周囲を見るアルビレナ。恐らく俺が道を間違えたのではないかと不安がっているのだろう。


 しばらくして森の入口へと歩き出す彼女、その後ろを足音に紛れるようにして付いていく。ふと違和感に気づいたのだろう、ぴたりと立ち止まる彼女に合わせてこちらも立ち止まる。きょろきょろと辺りを見渡すが、体の前にあるランプでは背後が影となり見つからない。

 再び歩き出した彼女に少しづつ近づいていく。するとまた立ち止まり、今度はランプを向けてくる。

「……カラズさん?」

 そう問ってくるが、何も答えずに直立不動を保つ。ランプの明かりでは、そこに何かが居ることは分かっても何かは分からない。

 しばらく硬直していたが、無視して先へ進む訳にもいかないのだろう、"コツ……、コツ……"と恐る恐る近寄ってくる。ここからはタイミングが命となる。

 明かりが近付くにつれてそこに居るのが人である事には気づいたようで、その直立不動の不審な出で立ちに眉をしかめた。そして顔が見えようかという距離を跨いだ瞬間に、「う゛ぉぉぉ!」と低い声で叫び全速力で走り寄る。事前動作なしにトップスピードへと入ることが驚かせるコツだ。俺は風になる。

「きゃぁぁぁぁぁ!」と見事な悲鳴を披露してくれたことに満足し、笑い声を上げる。最後まで走り切りはしない。最初の数歩で俺が俺であることなどバレてしまうために、それ以降は興ざめにしかならない。



 驚きすぎたようで、「かっ……、かっ……」と言葉にならない言葉を、喘ぐかのように口に出しつつその場に座り込んでしまう。背中に手を当てさすってみるが返答はなく、落ち着くまで暫し待つ。

「アルさん、生きてますか~ね?」

 そう声を掛けると、両手を組んで間に顔を伏せた。完璧なガードだね、無防備であることを除けば。

 罪悪感を度外視するなら、驚かす側にはあれこれと考える余裕が残る。やりすぎたかなと思いつつも"行きますぜ"と彼女の腕を取り引き起こそうとすれば、泣いている顔が目に入った。ガチ泣きである。

 目前に座り込み、認識のすり合わせのために幾つか質問をする。「怖かった?」と聞けば"こくり"と頷く。「俺が生きててよかった?」と聞くと無反応。「生きてない方がよかった?」と聞いたら"ふるふる"と首を振る。


「ごめんね?」と謝っても当然ながら許してくれはしない。

 うっかり目を突かないように慎重に涙を拭い、帽子を彼女へと被せて手をつなぐ。望もうとも望まいとも、肌の触れ合いは安心を生むものだ。そうしてゆっくりと背中をさすりつつ回復を待った。

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