ある夏の記憶

 橘雅紀さんは中学三年生だ。

 その日は雅紀さんの両親、高校二年生の姉と一緒に田舎の祖父母の家に帰省していた。

 夜、妙に喉が渇いて目が覚めた。麦茶でも飲もうと起き上がる。夏の夜なのに妙にひんやりとした空気だった。廊下に出ると肌寒さを感じるほどだった。

 ――ギシ、ギシ、カサカサ

 田舎の家はだだっ広い上に、ところどころガタが来ていて、時折こうして家鳴りがして不気味だ。また、天井に浮き上がった大きなシミが夜になるとことさら不気味に感じられた。

台所までもかなり遠い。

 ――ギシ、ギシ、カサカサ

 しかし、戻って隣で寝ている姉を起こすのは躊躇われた。姉のことだ。中三にもなってオバケが怖いんでちゅかーなんて言ってからかうに決まっている。

 なんとか一歩踏み出した。その時だった。

 長い廊下の先にぼうっと白く光る何かが見える。それは縦に伸びたり、横に広がったりして絶え間なく形を変えていた。

「ひっ」

 悲鳴が喉から漏れる。しまった、と思ったときはもう遅かった。その白い何かは猛然と雅紀さんの方に突進してくる。だんだん、人のようなものに姿を変えながら。

 逃げたい、逃げなくてはいけない、そう思うのに足は根が張ったように動かなかった。

「いぬる」

 耳元でそう囁いて、白い何かはフッと消えた。そこで初めて、大きな声が出た。


 悲鳴を聞きつけて集まった家族は雅紀さんをなだめ、その白い何かが出てきたという場所に向かった。そこは何年もそのままにしていた物置だった。

「うわっなんだこれ」

 父親が顔を顰めた。食べ物が腐ったような臭いが鼻を突く。

 明かりをつけて臭いの元を探る。

 徳利、皿、米、鏡――何年も放置したであろう神棚が出てきた。

 それから一ヶ月して雅紀さんの祖母は亡くなり、祖父は痴呆症になってしまったという。


 雅紀さんはあの「いぬる」の意味を調べて、そして納得した。

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