第2話

9月22日、夏の日差しが緩んで、優しい光とつんと来る冷たい風が全身に心地よい朝だった。西世田谷署の刑事小山田は、昨日シャンプーをしなかったせいで頭が痒く、ぼりぼりとぼさぼさ頭を書きながら署に上がった。


自席についてノートパソコンを立ち上げようとしたとき、佃監理官が刑事課に飛び込んできた。


「中学校の教師の死体が発見された。全員出動。鑑識には臨場要請を出し、すでに向かっている。また、渋谷北署の機動捜査が現場に到着して情報収集に当たっている」


「よし、行くぞ」

刑事課長の甲高い声が響いた。


「教師のガイシャは珍しいですね」

相棒の窪坂はスーツの上着を羽織ながら小山田に聞いた。

「そうだな、おれがこの署に赴任してから初めてかも知れない」


小山田たちが現場に着いたのは20分後だった。道がすいていれば10分程度で着けるが、道が混んでいたからだ。


現場となったアパートは築年数が古く、外階段のある安っぽい概観だった。被害者は二階に住んでいる。


「まだ鑑識が臨場検分をしていまして現場に入れません」

地域課の巡査からの報告があった。


鑑識が着く前に現場に着いた機動捜査隊の隊員にだいたいの被害者の状態を聞いた。


「首に擦条痕があり、所見では絞殺の疑いが濃いと判断します。絞めたと思われるものは現場では発見できませんでした。鑑識が詳しく調べていますから発見されるかもしれませんが。自殺の線はないと考えますし、遺書らしきものもまだ発見されていませんから、殺しが濃厚だと思います」とのことだった。


「取り合えず、目撃者から話を聞こう」

小山田たちはアパートのそばに立っていたふたりの男に近づいた。

「あなた方は被害者の職場関係ですよね」

「はい、教務主任の上田と申します。こちらは教頭の五十嵐先生です」

彼らは、今朝被害者が何も連絡なしに学校に来ないことで住んでいるアパートに様子を見に来ていたとのことだった。

被害者の前日までの様子や、何か思い当たることはないかといろいろ質問したが、ふたりからは有力な情報はなかった。


小山田たちは、周辺の聞き込みや捜索を他の刑事たちに任せて、刑事課長とともに、被害者の勤務先の学校に向かった。

警察車両に、事件の発見者であるふたりを乗せてである。


学校へ向かうまで、教頭のほうが学校に連絡していた。

「長岡先生が死亡しておりました。詳しいことはまだ分かりませんが、警察の方と学校へ戻ります」


教頭の声が震えていた。


学校へ着くと校長が待ち構えていた。

顔面が蒼白だ。

立っているのがやっとという感じだ。


「ご苦労さまです」

小山田たちに向かって深く頭を下げた。

「校長の瀬谷先生です」

「よろしくお願いします。まず、被害者の家族に連絡願います。ただ、まだ殺人と決まったわけではないので、そのことは伏せてこちらに来るようにお話していただけますか」


校長は側にいた女性事務員のような人に被害者の家族に連絡するように指示した。

校長室に案内され、ソファーに腰をかけた。

「まだ被害者の詳しいことを調べなければなりません。被害者というのはまだ早いのですが、ここだけの話ですが、こちらの見解としては他殺の線が濃厚になっていることを校長先生にはご理解いただいてご協力お願いします」

「分かりました。でも何故長原先生が殺されなければならなかったかは正直分かりません。今の私は起こっていることを認識するだけで精一杯です。お恥ずかしい話ですが」

「ごもっともです。我々は事件に慣れていますから冷静のようにお感じになるでしょうが、実はそうでもないんです。鑑識が現場検証をしていますから、我々捜査班はまだ現場に入れないので、長原先生のご遺体も検分していないのが現状でして」


校長は被害者の人となりを、混乱した頭を何とか奮い立たせて答えた。

話によると、被害者は熱心な教師で、部活動も休日を返上して子供たちの面倒を見る模範的な教師だということだった。

体育系の教師にありがちな乱暴なところもなく、穏やかとは言えないが、恐い印象は生徒たちも持っていなかったと断言した。

教師間の交流も普通で、何かトラブルがあったことはなかった。

生徒たちや保護者たちとのトラブルもなかったという。


「それでは学校でのトラブルは無かったとすると、私生活ではどうでしょう」

「それは私には分かりません。同僚の教師たちは何か知っているかも知れませんが、まだ授業中ですので、休み時間まで待っていただくしか・・・」

「分かります、取り合えず長原先生のデスクを拝見出来ますでしょうか」


長原のデスクを見るために職員室に入るとそこには数人の教師がいた。

中には机にうっつぶして泣いている女性教師もいた。

「校長先生、長原先生に何があったのですか」

泣いている女性教師の背中を撫ぜていた女性教師が校長に向かって聞いてきた。

「まだ、分からないだよ。だから警察の人が長原先生の机を見たいというので」


長原のデスクには、仕事関係の書類や部活に使うのか、スペアのホイッスル、腕章などがあったが、私物と思われるものはタオルくらいしかなかった。

机に上にあったパソコンは「俺はコンピューターが苦手だからお前がやれ」と窪坂に命じた。

「でもパスワードがあるでしょ。」

「それなら、私が知っています。去年、修学旅行中に休んだ生徒に問題が発生しまして、その生徒の資料を読み込むために長原先生から聞きましたから。ただ、パスワードを変えていればダメですけど」泣いている女性教師を慰めていた教師が言った。


窪坂は一応パソコンを開いたが、そこには学習計画や部活の計画書、生徒の個人情報などがあるだけで、私生活をうかがわせるものは無いようだった。

だが、殺人事件となればこれらのものは署に持ち込んで本格的に検証しなければならない。


校内に授業の区切りのチャイムが鳴った。

まだ、長原の死を知らない教師たちが職員室に戻ってくる。

長原の死を知って彼らがどんな反応をするのか知りたかった。

もしかすると、そのなかに犯人がいるかも知れないから。




続く。



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