3-9

 私はドレス姿で、しかもよりにもよって肩がむき出しのデザインだったものだから、肩越しに伝わる人肌のぬくもりに妙な声が漏れそうになった。良くも悪くも、こちらに必要以上に干渉しようとしなかったひとびとが、こちらをちらちらと何かを確かめるように見てはざわめく。私の護衛を命じられているらしい人間何人かが、各々懐やら胸元に手を伸ばしかけていた。異様な指向性を持った外野の視線の先に促されるようにして、私も背後の無礼を働いた人物を見て驚いた。


「……ルーデル少佐?」

「残念ながら近頃大佐になってしまったがね」


 随分と見慣れたような、それでいて久しぶりに目にした帝国騎士の軍服。彼と最後に会ったのは、確か、帝国に帰還した後に行われたちょっとした催し物だったかしら。記憶の中の彼の格好との違いを強いて上げるとすれば、軍服の襟元の階級章が大差を示すものに差し替えられていて、胸元には、勲章に隠されるように小型の軍用端末が、まるで造花のように突き刺さっていることくらい。


 周囲が扱いかねて話しかけようともしなかった私に対して、見知った男ことルーデルは、片方の手に握られていたグラスを差し出した。純粋なガラスの容器にほのかな揮発性の香りの透けるような黄金色の液体。スパークリングワインらしい。それを半ば無理矢理私の手に押しつけると、彼は近場のテーブルから、生えるように置かれていたグラスを引き抜いて、私の隣を立ち位置とした。


「君が贔屓にしている紅茶はないようだ。ま、この程度の催し物の品揃えにケチを付けるのはさすがに大人げない、か」

「何で貴方がここにいるの。貴方の名前をリストなんかで閲覧した覚えはないわよ」


 思わず公の場であることを忘れてプライベートな調子で尋ねてしまった。別にこの場の出席者全てを事細かに記憶している自信は無いけれど、事前に見た資料の中にビショップ・フォン・ルーデルという馴染み深い名前を目にした記憶は無い。護衛兼作業要員として機械仕掛けに騎士団の一部隊が同伴することにはなっていたけれど、そこにも勿論彼の名は無かった。見逃しては居ないと思う。


「確か、護衛部隊を率いる最高階級者はエーリッヒ・バルクホルン少佐となっていた、筈」

「昇進しすぎて現場で遊べなくなったものだから、彼と適当に理由付けて代わって頂いた。中々、上の命令には素直なものだよ、軍人って家業は」


 どう考えても越権行為か下手すれば違法な手口でもしでかしたのでは、と私は呆れた。それに、人員が変更されるにしても事前に報告が入っていないのは奇妙に過ぎる。そう聞くとルーデルはこちらに身を寄せて耳打ちするかのように、


「例の親父の差し金だ。どうせ暇を持て余しているだろうからお姫様に連れ添ってやれ、という連絡をぼくの個人用端末にいきなり送ってきやがった。一応、君の妹をはじめ、最低限の人間の耳には入れてはある」

「例の親父って、もしかしなくても、ゴット・ヘイグ外務長官のこと?」


 私もつられて小声で言うと彼は頷いた。彼は、自分の名前が正式に通達されていないのは、帝国の使節団が出立するという土壇場に強行したためだ、とさらに付け加えた。やれやれ、まったく面倒事に巻き込まれたよ。彼はそんなスタンスを気取ってはいたけれど、ゴット・ヘイグへの借りなんてその気になればいくらでも踏み倒せる。そう考えてみると、昇進しすぎて……、という言い回しがルーデル大佐の本音だと分かった。机に向き合うことが出来ないわけではないのに、自分がやりたくない仕事は無理を通してでもしたくはない、という信条らしい。


「それにプライベートな要件もあってね」とこちらが本題と言った感じにルーデルは軍服の内ポケットをまさぐって古めかしい雰囲気の封筒を取り出した。電子メールの様なデジタル媒体ではなく、紙で構成されたアナログな包装は小洒落た招待状を演出するものらしく、


「来月妻と結婚式を挙げるのでね。君と、あと侍女の彼女の分だが、受け取ってくれるかい」

「あぁ、私と同い年の婚約者の」


 私は自分の声音に暗い匂いが付随しないように気をつけながら、微笑むように努めてそれを受け取った。滑らかな手触りの紙質をあたかも幼子を撫でるようになぞってみる。


「私が出席して迷惑は……掛からないかしら」

「それを言うなら、ぼくも立場が立場だからな。出席者全般がそれなりに名の売れた連中が集うことになる。だから、今更そんな心配はしないさ。それに、君ほど縁がある人物を呼ばないと、しけた儀礼的な式になってしまいそうだ。厳かな式より可能な限りアットホームな雰囲気を演出したいものだから」

「そう、嬉しい」と本音半分の分量で言って、「有り難く頂戴して都合付けるから。後になってやっぱり来るな、とか言わないで」


 冗談めかしてそう返答して、私は手渡されてしまったアルコールを一気に飲み干そうとした。しかし、アルコール自体になれていないから、半分くらいがなくなった頃からペースが一気に乱れて舐めるように格闘するはめになった。揮発性のそれの風味がどうも受け付けない。年齢が許してもアルコールを好むかどうかは別問題なのだ。


 けれど、何だか普段は飲まないし苦手な酒を無性に体内に取り入れたい気分だった。そんな私の気も知らないのか、それを尻目にルーデルは、それまで蚊帳の外にならざるを得なかったオリヴィエール・フォッシュに視線を移し、やぁ、と気楽な感じでグラスを持っていた方の腕を動かして挨拶した。いや、挑発、か。と言うのも、


「娑婆の空気は美味いかい」

「厭味が好きなのか。その顔、嫌と言うほどに覚えているぞ」とフォッシュは明らかに私のときとは違う

態度になり、「一介の兵士二人に言いように遊ばれたのは、俺の人生で最大の汚点だ。あれ以降、俺の悪夢と呼べる夢には必ずあんたが出演している」


 私に対しては節度を崩さなかったフォッシュは、そう吐き捨てるように言った。彼らの因縁は人類統一連合軍の捕虜を運んだ艦内の記録を通して知っていたので、不思議には思わなかった。一方、フォッシュは気付かなかったようだけれど、私は横目でルーデルが二人、という単語に反応したのを認めた。そのもう一人は、もういないから。私もふと思い出した苦い記憶の断片を飲み込むようにグラスを傾け、またその傾斜をすぐに緩めた。


「で、我らがジークフリーデ前皇女殿下に何の用があったんだい」


 ルーデルはワインを一滴も喉に通していないのに、どこか飄々とした口ぶりでオリヴィエール・フォッシュに絡む。かと思えばフォッシュが何か答えようとした直前に、


「大方、彼女相手に懺悔室の真似事でもして自分の罪の意識を少しでも薄めようとしたのだろうよ」

「何故そう思う」と気勢を削がれた形のフォッシュ。それに対して年上のルーデルが、

「変化が見られないからさ。独房にたたき込まれていたあのときからな。佇まいとでも言うべきか。そういう雰囲気が何ら前に進んでいない。一定以上の年齢に達した人間のパーソナリティの変化が微小なものになる、とかいう話を聞いたことはあるが。まだそれほど人生経験を積んだ訳でもないだろうに」


 最初は自身の相棒であったガーデルマンという友人を失った私怨がそうさせているのか、と私は思ったけれどそれも違うらしい。ルーデルは何も持っていない左手で私の肩に手を回した。あまり良い気分ではないけれど、拒絶するほどでもなかったので、冷ややかな眼差しをその手に注ぐだけで勘弁してあげる。ルーデルは私を自分の話の要点として示唆したいようだ。彼は私の視線を無視し、


「ぼくは正直、あんた個人というか人類統一連合諸国の意識が鼻につくらしい。帝国とあんたらの戦争。そして、この前皇女殿下が決して小さくはない傷害を負ったこと。どれも、直接的な手を下したのは無機物だ。奴らに意思なんぞ宿ってはいない」

「だが、そうやって自分の手を汚さないことがいけ好かないのは、俺も同じだ」

「心配するな。お前達の手はちゃんと汚れているから、安心しろ。そして、ぼくは、罪の意識が、等と懺悔室の真似事を意識しないと、お前達が自分達が本来持っていて当たり前の責任感を実感できないくらいに鈍感なことに腹が立つんだよ」


 彼の静かな言い方にフォッシュの眉が揺れる。ただ、純正な怒りと言うよりは、ルーデルは本音半分、相手をからかっての楽しんでいるようだと私は気付いたけれど、わざわざ口は出さなかった。迂遠な言い方で彼は続ける。


「いくら訓練された人間でも、銃で人を直接撃ち殺すのは大きなストレスを感じる。それこそ、機械任せに敵国の兵士を殺すよりは心理的なフィードバックは大きい。だがね、その銃ですら果たしてその相手を殺したという意識を薄れさせる魔法を十分に備えている」

「何が言いたいんだ、あんた。何の話をしている」

「例え話だよ、抽象的な話題を具体例で補うのは当然だろう……。銃なんて代物が生まれるまでは、人間はそれこそ刃物や鈍器で相手の命を奪うしかなかった。相手の肉や切り裂く感覚や、その血の匂いが鼻腔に直接的に届いたりする。相手の命を奪った、という生々しい感覚が付随した歴史上の話だ。現代の軍人や傭兵は訓練こそすれど、実際に生身の人間にナイフを突き立てるような経験はそうそうない」

「引き金を引くことでそういったグロテスクな感覚を味わう必要は無くなった、という訳か。文明の発達は、少なくとも兵器史はいかに相手を効率的に。楽に殺せるかを追求してきたのだから、自然そこに付きまとうはずの人間を殺した、という罪悪感を使用者に薄れさせていった。そこに意識の違いこそあれ、何らかの利益のために他者を殺したという行為自体は根本的には変わってはない、とでも言いたいのか」


 フォッシュの言に肯定の相槌を打ったルーデルが、

「ちゃんとぼくが言いたいことを分かってくれているじゃないか、オリヴィエール・フォッシュ殿。兵器史にあんたは限ったが、一般人の日常生活だって同じだ。例えば、食卓に並ぶ加工された肉達なんか良い例だ」

「……あぁ、あんたの言いたいことは読める」とフォッシュは言い、「家畜や、養殖魚なんかだな。加工肉になる前の動物がどう殺され解体するかなんてショッキングなものを大抵の人間は見ずにすむ。そういう光景を知らなくたって何ら普段の衣食住を得るための経済活動には支障が無いからな。自分が見たくないそれを他人か機械に代行させて、大抵の人間はその気が無くても臭い物に蓋をすることが出来る。むしろ大多数の人間は自分が認識する限られたスペースを世界の全てとして認識して、いや、錯覚して死んでいくしかない」

「何か思うところがあるようだな」とルーデルが尋ね返した。私には分からなかったオリヴィエール・フォッシュの表情筋や声が発する気配を感じ取ったらしい。僅かな羞恥と躊躇の末にフォッシュは言う。

「何。そうやって社会にお膳立てされた自分を取り巻く環境が青臭いガキの頃から嫌いだったから、軍人なんて商売で金を稼いではいる。しかし、無駄に歳と昇進ばかりを重ねた今でさえ禄に自分が住む世界の全てを見通すことを出来ていない。そんな自分の進歩のなさに辟易しただけのことだよ。忌々しいことに、あんたの会話がきっかけとなって、だ」

「なら、人生の先輩として教えてやろう。あんたらの国における平均寿命やら健康寿命の平均値は知らないが、自分の青臭さをもどかしいと思っていられるのも今のうちだ。男はおっさんと呼ばれる期間の方が、はるかに長い」


 どこまで本気かは判断しかねるけれど、帝国の軍人の持論に人類統一連合諸国の軍人は苦笑し、かもしれん、と賛同した。


  彼らの話を聞きながら思う。菜食主義者は現代では珍しくはないけれど、いくら逆立ちをしたとして人間はヒトという生物にしか過ぎないのだと。自分が生きるためには何かを殺しているのだ。食事や軍事行動だけではない。物理的に他の生命を奪うことだけでもない。自分という個体やそれが属する集団の維持。そのために物質上のものから概念上の実体の伴わないもの――それこそ思想や教義、意識だとか。消費経済よろしく、何かを燃料に消費することで生きている。帝国には存在しないはずだから実感は私には伴わないけれど、野生動物らによって行われる食物連鎖のサイクルを形を変えて行っているわけだな、と。私やメルクーアが好きそうな理屈だ。妹は、フリーデならひとは獣とは違う、とか言いそうだけれど。


 そんなことを考えていたら、男性二人にまじまじと見られていた。無意識に自分がにやついていたらしい、と思い至る。


「どうしたんだい。やけに楽しそうだが」

「お二人の会話が思いのほか原始的な話題に発展して面白いな、と」

「そうか。お気に召したようで何よりだ」


 すると、何気ない風に返事したルーデルの目が細められた。何だ、と私とフォッシュもまた不審に感じた。私はそれを直接彼に問う前に気配を感じ、振り向く。群青の、人類統一連合諸国の軍人であることを示す軍服姿。その顔に見覚えはない。だが、同じ制服を着こなしたオリヴィエール・フォッシュ少将にとっては顔見知りだったらしい。小声で漏らす。


「フレンチか」

「誰だ」とルーデルがフォッシュに聞き、

「フレンチ・アップルガース准将です」その男本人が答えてフォッシュに目をやり、「この方の、そうだな。片腕とか、そういう頼れる立場の人間ですよ」

「自称だ。気にするな」とフォッシュがその男を一瞥した。


ただ、友好的な間柄だという空気が二人の間では醸し出されているように思われた。そうですか、と緊張を崩す私。それとは対照的にまだ見知らぬ訪問客に対する猫のような警戒心を目に輝かせたルーデルが、


「その割には、資源惑星で捕縛した捕虜の中にいたはずの人間の中に君の顔に見覚えがないが」

「あの時は先輩……失敬。オリヴィエール・フォッシュ少将らとは確か違う船に収容されましたからね。一定以上の階級の、一定という境目で自分は仲間はずれにされたわけでして。おかげでフォッシュ少将より幾分か早く本国へ帰還することが叶ったわけですから、幸運だったとも言うべきか」


 俺に対する皮肉か、とフォッシュが毒づいた。気後れとかを感じさせない軽い口調だった。彼のように捕虜となった人類統一連合軍は非人道的な目には合ってはいないけれど、それでも対帝国感情は決して良くはないだろうと思っていた私には意外だった。単純に彼個人がそういうスタンスなだけに過ぎないのかも知れないけれど、メルクーア・レイヤードの分析はやはり間違いではなかったらしい。恭しくフレンチ・アップルガース准将と名乗った人物は私に一礼した。


「どうも。先の戦いでは貴国に泥を塗るような真似を申し訳ありませんでした、前皇女殿下。まぁ、うちの少将殿からも似たような謝罪をされて聞き飽きた文言かも知れませんが」

「あぁ、これはご丁寧に」


 特に何の感情も感傷もなく返事をする私に対して、ふとその男性から手が差し出された。一瞬内心で首を傾げる。友好の証として握手、なんてするには不自然というか、唐突。私が反応しなかったのを、まぁ仕方が無いか、といった表情で見つめるとすぐにフレンチ・アップルガースは手を引っ込めた。いや、腕の位置自体はそのままだった。子供がサイズの合わない袖に突っ込んだように、手首から先が見えない。まるで手品のように消えた手の残像を私は見つめる。


 頭痛が、来た。忘れて久しい感覚が。


 先ほどまで見ていた、フレンチ・アップルガースという人間の顔はそこにはなかった。ただ、機密を守るために加工された画像のように、その表情が収まるべき場所にモザイクのような歪みが見えた。それが、メルクーアら同盟連合のひとびとが時たま使用するフローディスプレイのそれと類似していると考えると、ほぼ同時だった。


 最近、私は良くも悪くも公人としての感覚は鈍くなってはいたけれど、身体に刻まれた蓄積経験に依ったのか。私は反射的に一歩を退いた。フレンチ・アップルガースの袖口。そこに無機的な光沢を放つ口が見えた気がして。確信までは、ない。


 けれど、それは銃口だと脳が認識していた。発砲、の直前に、銃口の方向を変えるべく、その男の腕ごと自分の左腕で払いながら背後へと倒れ込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る