第12話 軽やかなる指揮者

 龍太は、愛車Z S30を走らせていた。

平野部では炎暑を思わせる陽気。北海道では珍しく午前中から蒸し暑かった。ねっとりとした空気を疾風の如く、初夏を切り裂きながら車を転がした。照る付ける光線は熱く、じりじりと石狩平野を焼き付けていた。アスファルトからは陽炎が地平線の彼方で互いを認め合うように激しく踊り、絡み、続けた。

 龍太にとってロングドライブは久しぶりだった。休日の朝に海辺へのドライブは、当分の間止めているからだ。龍太の中で一つの区切りをつけた後、また、再開するかどうかを考えることにした。今は、環境の事、東祐希の事について考えを巡らせなければならない。と直感的に龍太は思う。

 愛車にはオーディオが付いていない。そんな事は分かっているが、なぜか無性に音楽が聞きたくなった。そして、どんなメロディーかも分からない鼻歌を口ずさみ、帰ったらコイツに合いそうなオーディオとスピーカーを付けようと思う。そんな事を不意に思うとなぜか一瞬、真顔が綻んだ。愛車は軽やかなで弾むようなシフトチェンジを繰り返す。平野を抜け、森を突っ切り、山を越えるとそこは、北海道らしいスッキリしたとした暑さだった。しばらく川沿いを進み渡ると目的地が見えて来た。

 集合場所には、五十数名程の参加者や関係者が集まっていた。

フィンガーレスのドライビンググローブとレイバンのサングラスを付け、タンクトップと破れたジーンズの服装は間違いなく場違いな格好ではあったが、龍太は気にしていない。一様に関係者がたじろぐ中、一人が「参加者の方ですね。」と半信半疑で尋ね龍太にウェーダーを着せ、腰カゴとタモを手渡した。作業中の注意事項や捕獲方法など一連の説明が始まったが、彼女はまだ来ていなかった。

龍太は「すみません。東さんはまだ来られてないんですか?」と関係者であろう人に声をかけた。

「そうなんですよ。今、こちらに向かわれているので直に到着されますよ。あなたも東さん目当てですか?彼女は環境保全活動家の中でもアイドルみたいな人だからね。私もその一人なんですよ。心配しなくてもきっと、その内お見えになりますよ。」

 軽く会釈をしてその場を後に龍太は、目的とは違うが防除しに川へ入った。「もし何かの都合で彼女が来なかったらどうしようか?二、三尋ねたいだけなんだが、、。」と龍太は思ったが、しばらくしてウチダザリガニの数の多さに唖然とした。むしろ生態系云々と言うよりこの川は、ウチダザリガニに支配され、ウチダザリガニしかいない川だったのだ。普通、浅瀬には小魚の群れが泳いでいるものだが、何処にも見当たらない。泥鰌、ヤゴですらいなかった。タモ網に掛かるのはいつもウチダザリガニだけだった。周りの森を見渡しても鳥の囀りは愚か虫の音も聞こえない。川の潺が空しく染め渡っていた。

 幼少期、龍太は父親に連れられて休日に裏山の川へよく釣りに出かけた事を思い出した。

照りつける太陽へ反抗するかのようにセミが大合唱で鳴り響き、オニヤンマがそれらの指揮者となって龍太たちの川辺をリズムよく飛行していたものだった。

 龍太は深く深呼吸する。

肺に溜まる川沿いの空気は、やはり寂しげで虚しい味に違和感を覚えた。よく来た川でないにしろ昔の多様性と比べて顕著なまでの変貌に龍太は落胆し、肩を落したかの様に見えた。

「いつ頃から、ウチダザリガニが増え始めたんですか?」と防除を当初から活動していると言う老人に声を掛けた。

「そうだな、もう十年以上前になるかのう。もうこの支流は、枯れかけておる。一昨年に本流でも大量に捕獲され始めたからのう。時間の問題じゃろう。わしは、この川沿いで米農家をやっていたんだが2年前に辞めたんだ。後継ぎもいないし、おまけにこいつらに畦道壊される始末だ。直しては壊され、直しては壊され、直してもきりがないんじゃ。こいつらを何とかせんと。お前の様な若いもんには、分からんだろうこの悔しさが。だけんども、わしだって分かってる。こいつらだって被害者なんだ。ペットとして飼い切れなくなったからって、無責任な人間が後先考えず、この川に放してしまったことぐらい・・・。最初は憎かった。でもな、、、こいつらだって一生懸命、生きてんだ。」

「そんなにこの川は、変わられたんですか?」

「見た目は変わらんが、音が消えてしもうた、、、。春の音、夏の音、秋の音、見事に鳴くのを止めてしまった。鳥の音、虫の音が今では懐かしいのう、、、。季節を感じる事がこの辺じゃー難しくなったんじゃ。」

「おじさまー、お久しぶりですー。」と橋の上から女性が手を振っていた。

「おーっ、何処の別嬪さんかと思ったよ。みんな待っとったんだよーっ。」

「お元気そうで何よりです。途中、車が故障してしまって、、、。」

「相変わらず綺麗じゃのう。一段と女性に磨きが掛かって。ほれ、上流でみんなが待ってるぞ。行ってやんな。」

「はい」とにこやかな笑顔で女性は歩き出した。

龍太は目を合わせる事も動く事さえも出来なかったが、彼女が東祐希であることを疑う余地無く感じていた。

老人は続けた。

「彼女は東さんと言って、わしらの希望なんじゃ。わしに生きる希望を与えてくれたんじゃ。悩んでいたわしに一点の方角を示してくれた。そこで生きる意味が変わったんじゃ、、、、。こんなわしでも『誰かの役に立っている』と思えるようになったんじゃ。すまんのう、わしのどうでもいい話をしてしまって、忘れてくれ。」と言って心なしかどことなく、目の前にいた老人が別の人物に龍太は見えて来た。主人の帰りを待っていた子犬のように。一時の出来事に老人は胸を張り直し、再び防除に取り掛かった。

 その後、大勢に取り囲まれた彼女に話しかける機会はなかった。

しかしながら、後悔をしている処か、なぜか満足していた。「一日中、外で体を動かすのも悪くない。」と思えたのは、燦々と降り注ぐ日光を浴びたからではない。

輝かしい光を浴びたからに違いない。

龍太の幼木は力強く、枝は鋭く巡り、多くの新葉を茂らせ、大地に根を張っていた。

 帰り道、龍太は突如閃く。「そうだ。先日入って来た廃車に付いているオーディオがコイツに似合いそうだ。」と思い、訳の分からない鼻歌を口ずさんでいた。目的を果たさぬまま帰路に就く龍太は、どことなく安堵を漂わせていた。

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