0-1/2.不本意な現状



……ォン


……ーォン


……ポーォン


――んん……?なにぃ……?


 意識がすっと覚め、自分が真っ暗な世界に居る事がわかる。頭はまだはっきりしない。何かにもたれかかる感覚がする。どうやら狭い空間に閉じ込められているようだ。なんだか体の感覚が変だ。腕を動かすとカンコンとぶつかる音がする。壁の向こうは空洞かな?薄いのかもしれない。


――あれ、そういや……あっ……死ねなかったんか……。


 ぼんやりしていた頭がはっきりして来て、自分が手すりから落ちた事を思い出した。棚ぼたとは言え、やっと降り掛かった死のチャンスを生かせなかった事に落胆せずには居られなかった。あの時は死の恐怖に支配されていたのに現金なものだと自分でも思う。


――って事は、ここは治療の設備の中か何かなん…?あー最悪や……治療費とかどうなってんやろ……。


 あの時感じていた恐怖とは別の種類の恐怖心に襲われたが、ふとした違和感に気づく。身体が痛くない。あれだけの高所から落ちて身体が全く痛まないなんて事があるのか……?

 薬漬けになっていれば痛みを感じずいられるとは思うけれど、それだと体の感覚も無いように思う。現状、鈍いものの身体はある程度自由に動く。医療機器のコード類も張り付いている感じもしない。ていうか横になっていないし未知の危機に入れられているように思う。

なにかおかしい。


 ともかくいつまでもこんな所に居たくないので、なんとか脱出を試みよう。目の前にあるだろう壁を強めに叩いてみる。ぴしりと音が鳴ってどきりとする。治療費に加え馬鹿高いと噂の医療機器を壊して高額な賠償金など請求されたりしないだろうか……。


――ええい知らん!こんな所にいつまでもいられるか!私は帰らせてもらう!


 フラグ臭のする台詞を頭に巡らせながらもう一度、今度は先程より気持ち強めに殴りつける。びししっと明らかにヒビが入るのがわかる。だって割れた筋から光が漏れてるから。

 もいっちょ叩く。先程よりも多くの筋が入るがまだ崩れなさそうなので更に殴る。殴る。なぐる。なぐ――


――うわわっ!?


 幾度か右の拳を殴りつけると遂には突き抜けた。突き抜けた勢いで前傾にバランスを崩してしまいそのまま謎の機器から転がり落ちてしまう。岩のような質感に叩きつけられてしまい、数瞬の間前後不覚になってしまった。痛い……。

 思ったより痛くなかったようだ。まだ視界が光でぼやけている。光に眩んで見えてない目でなんとか光が強い方向へ進んで見る。足や手のひらでなんとなく感じる、岩質のような物に囲まれている所のようだ。明らかに病室ではない。

 心地よい風が吹いている。光が強い方向から流れているようだ。出口かな?やっぱり体の感覚が変だ。

 次第に目が見えるようになってきた。ここはどうやら洞窟のようだ。なんで?取り敢えず風の吹く方へ向かう。

 やっと視界もはっきりする。思わず足を止めた。


――なん、だ……?


 目の前に広がったのは広大な木々の群々。遠くの方には背の高い岸壁のような山々が囲うように伸びている。自分のいる場所は酷く高所のようで、遠くの方まで森が広がっているのが伺えた。下は見たくない……。

 所々切れている場所はあるようだが、基本的には森と山しか見えない。見える範囲全てが森と山って凄いななんてぼんやり。あ、鳥が飛んでる。

 はっとして来た道を振り返る。大した距離は歩いてなかったようで行き止まりがここからでもはっきりわかった。そこには前部分が壊れた大きな楕円形の有機物が鎮座していたのだ。有り体に言えば大きな玉子。足元には破片が転がっている。大人一人か二人は入れそうな大きな玉子だ。奥の壁の上部には穴が空いておりどうやら上の方へ続いているようだがここからは確認できないが、どうやらそこから風が抜けているようだ。

 卵が割れてるということは、中身が外へ出たってことで……。

 恐る恐る、今まで視界の端にチラついていたが意識の外へ追い出していた我が手に視線をやる。


――うわぁ……。


 鋭い爪が光る、本数も足りない。

 次いで視線を下げ身体へ、脚へ、首を反らし背中側へ視線を流す。真白い肢体に薄い瓦状の線が引かれているように見える。腰辺りからスラリと伸びる見覚えのない先細りの尾。そして視線の終着点は卵へ。

 つまり、ボクは今、あの卵から出て来たであろう、ファンタジーによく出てくる牙や、爪や、翼を携えた、爬虫類的フォルムのあいつ――


――ドラ、ゴン……に……?


 そしてこれは、この状況は――


――異世界転生、した…!?

「ぎょおあ!?」

――うわびっくりした!!!?


 突然聞こえてきた明らかに人の声ではないその異音に心底ビクリと身体が弾んだ。数瞬の後、それが自らの声帯から発せられた”声”だと言う事に思い至る。鏡がないのではっきりと確認はできないが、今の自分の状況を端的に表すなら『モンスターに異世界転生』である。ここでドラゴンと断言しないのは、自分の背にはドラゴン最大のアイデンティティである所の”翼”が見当たらなかったからだ。爬虫類なのは間違いないとして、竜っぽいフォルムである所から、地竜と言われる、物語による登場する荷車とか牽いているアレかもしれないと当たりをつけるが、確認のしようもないので直ぐに頭から追い出す。


――あの卵に入ってたのは間違い無さそうやな……。


 生前――と、もはや言っても差し障り無いだろう――異世界転生、異世界召喚には憧れた。チート能力で女の子にちやほやされて勇者なんかやってみたり、生前の知識でもって異世界に文明改革をもたらしてみたりーなんて夢想なんてのは日常茶飯事だった。だけどそんなこと起こるわけないと思っていたし、自分は現実と虚構の区別くらいついていると自負もしていた。だからこそ死後の生まれ変わりなんて望んでいなかったしそう願ってもいた。その方が余程現実的だからだ。あるかないかわからないという点では、天国と地獄も異世界あれこれと大差ない。

 なのに、だと言うのにだ。なんだ?

 この現状は。ボクの望みは、死後でさえ叶わないのか?生なんて、前世でもう十分嫌気が差している。要らなかったのに、まだボクを地獄のような生に縛るのか?

 異世界転生なんてものがあるんだから、神は居るんだろう。神はそんなに、ボクが不遇に塗れるのを見たいのか?

 前世から馴染みのどす黒い感情に纏わりつかれる感覚。心の底から湧いて出る感情の気持ち悪さを、死んでなお味合わなくてはいけないのか?

 あんまりなこの状況に頭を抱え地面を所在無さ気に見つめ、一歩二歩と後ずさる。思考が上手く働かず、目の焦点も合っていないのを自覚する。なんとか平静を取り戻さなければと気を立たせようとするが上手く行かず、更に思考が混乱していく。


――お、俺は、どうしたら……。

《メニューを開く事を推奨。》

「ぎゃ!?」


 またも突然の、今度ははっきりとした人の声に、またもビクリと弾けた身体が着地することはなかった。


 そこには洞穴に吹き入れる風の音だけが響いていた。






 冷たい流水の感覚に目が覚める。耳にはせらせらとした音が聞こえていた。


――うぅん……なんなん……。


 重たい首を持ち上げて周りを見回す。体の下で小石が擦れじゃらりとなる。目の前には小川が流れている。爬虫類のような両脚が浸かっていて今尚川の冷たさを伝えてくる。魚の影も散見出来る。

 身体の下や小川の向こう側にも砂利や丸石が敷き詰められ、あちらは広場のようになっている。あちらこちらには大きな岩が点在していた。更に向こうには木々が立ち並び、奥の方まで鬱蒼としている。水の流れに混じってどこからかぎゃあぎゃあと動物の物らしき声が聞こえてくる。

 腰の下には真新しい断裂面が覗く太めの木の枝が下敷きになっている。身体の重さの所為か、下敷きになっている部分は粉々に砕けているらしい。枝葉は水の流れにしゃらしゃら鳴いている。

 顔を上げると日影を産んでいる大木が目に入った。木の根元は奥の壁に根を生やして、ぐねりと曲がって天を仰いでいた。一部の枝が折れてい垂れ下がっている。日差しが眩しい。

 壁は上にも横にも無限に伸びているかのようで、巨大であろう岩壁の一部だろう事は見当がつく。恐らくこの上から落ちたのだ。ここからでは穴の位置は確認できないので、相当な高さだったのだろう。よく生きてたな…

 生きていることもそうだが身体に大した痛みはない。身体の怠さとあちこちに擦り傷のようなものはあるけれど、それだけだ。


――あ、頭から血ぃ出とる……乾いてるけど。


 モンスターの身体でも血は赤いようだ。傷は塞がっているようだ。そこで視界端々に見覚えのない物が映っている事に気づく。これは……?


――触れない……ARステータスの表示か……?


 視界の左下にはちょっと凝っているHPバーとMPバーらしき物、もう一つ何かのバーが上から順に並んでいる。一番左には半円状のスペースの中にアラビア数字の1が表示されていた。他にもチラホラ書いてあるがよくわからない。

 右上には丸い表示がされていて真ん中に先の尖った円錐のような青色の光点が見える。どうやらミニマップのようだ。表示範囲の拡大縮小は出来ないっぽい。

 このAR表示はどうやら頭部位置で固定らしく、視界を動かして各表示を注視することが出来た。


《それはARステータスアイコン。》

――うわぁ!?


 脳内に響く声に、通算何度目かの身体の弾けに嫌気が差してきた。いちいち驚かすのやめてくんない?いや勝手に驚いてるだけだけどもさぁ……。


――だ、誰や?

《私はあなたの、ドラゴン種としての快適な第二の人生をサポートする為に作られた、ナビゲーション・インターフェイス・システム。》

――ナビナビゲーション・インターフェイス・システム……。

《ナビゲーション・インターフェイス・システム。》

――そう……。

《そう。》


 いかん、こんなナビなんたらかんたらにまで持ち前のコミュ障発揮しとる……。

 というか今ドラゴン種だって明言されたね。やっぱりドラゴンだった今世。どうせなら翼も欲しかった。空を自由に飛びたいな。


《このシステムはあなたの前世における記憶や経験を元に構築されている。》


 と言うと、この無感情な女性ボイスのナビなんたらさんがこんな感じの喋り方なのも、前世で長いこと嫁の座に君臨した、某ヒューマノイドなんたらさんの影響なのかもしれない。


《その通り。》

――その通りだった……。と言うか、頭で考えていることはなんでも分かっちゃうのかしら……?

《肯定。》


 肯定されてしまった。これじゃあ禄に恥ずかしいことも考えられない。仕方ないので諦めよう。人間諦めが肝心だと前世で学んだのだ。今世人間じゃないけど。


 言い知れぬ不安が押し寄せる。息が詰まる様な感覚に襲われる。降って湧いた最悪な気分の中、ずりずりと川辺りまで張っていく。間向けな爬虫類顔が水面に写り流れていく。そのまま顔面を川に沈め、そのまま流れる水をガブガブと飲み込んで、水の中で頭を振る。ばしゃばしゃと音を立てながら、嫌な気分を振り払おうと努める。水面から顔を上げて、そのまま空下仰ぐ。


――あー……なんでこんな事になっただろうなぁ……。

《わからない。》

――……そうですか。


 話しかけたわけじゃなかったんだが。

 そのまま小一時間見上げたまま、ぼうっとし続けた。出来るだけ頭を空にするように努めながら。あっ、ミニマップの下部に時刻表示がある。デジタル表示で10:26:09と書いてある。全然空に出来てないやん。むずかしいね。

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