第八話 狂い始めた歯車

第二編 菅原道真

最終話



-昌泰4年(901年) 1月25日 大内裏-


 まだ仄暗い冬の朝、私は突如御所へと呼び出された。ここは陛下の私生活の場...200年後になると本来仕事を行う場所である朝堂院が焼失してしまい政務の場にもなるのだが...となっている。時間と言い、場所と言い余程に秘中の秘であると直感していた。


 対面するやいなや、帝は儀礼すらも焦れったいかのように直ぐに私に対してお話になられた。向かって右前に嫌な笑いを浮かべている時平がいるのを見て、あぁと納得した。


『左大臣がそなたに謀反の疑いありと言っておったが本当かね?』


『まさか、そのようなことなど断じてありませぬ。左大臣殿は何かを勘違いされておられるのでは…』


 とうとう時平が動いたのだ。歴史の修正力だろうか、まさか“史実”と同じタイミングとは…弁解する暇もなかった本来の歴史よりはマシではあるかもしれないが、こう来るとはね…最近妙に大人しいと思っていたらこれか。陛下に讒訴したのを私に悟らせなかった才だけは評価してやる。


『朕としても臣民を疑うようなことなどしたくはない。だが、蔵人所から証拠は上がってきておるのだ』


『まさか、そんな…』


 言いながら素早く周りの気配を探る。3…5…6人か?


〔帝の護衛が抜けています。総勢7名です〕


 なるほどね、抵抗は無意味か…武装の確認は出来るか?


〔帯刀と縄持ちが1名ずつ、盾持ちが2名、弓持ちが3名です〕


 一応暴れた時は捕らえるつもりで、やむを得ない時は刃傷沙汰も辞さずか。甘いと見るべきなのか帝ご本人の覚悟は決まっていると見るべきかは判断の分かれ目だな。


『証拠の目録はここにある。しかと聞くがよい』


 その言葉に下卑た笑いを深める時平。やはりコイツはクズだな…最後まで残念極まりないヤツだ。


 大きく息を吐いて、私はゆっくりと目を閉じた。

































朝廷、特に天皇家に権力を集中させるような道真の政策は当時の最大の権力者である藤原氏を大きく動揺させた」


基経の死後、時平が台頭してくるまで藤原氏には有力な人物が現れなかったのも原因だ。ただでさえ橘逸勢が現れて以来、貴族内での主導権が握りにくくなっていた状況なのに、対抗出来る才のある者がいないまま道真が影響力を持ったわけだからね」


さらに道真は宇多帝の皇子、斉世親王の妃に自分の娘をあてることで皇族との縁戚関係も強化していた。事を重く見た時平は排斥を画策するものの、ことごとく返り討ちにあっている」


まぁ、最近では彼の政治能力を再評価する動きもあるんだけれども...如何せん相手が相手だからね、中々広まらない。ただ藤原家批判に定評のある大鏡ですら彼の能力が非凡ではあることを示していたのを考えるに、三国志演義の諸葛孔明と周瑜みたいな存在だったのかなぁ、と私は思ってるんだけどね」


しかし、彼は拙速が過ぎた。排除どころかこのままでは自分が何とか築いた僅かな人望すら失いかねないと考えた時平は、密かに反主流派や反動分子らと結託して道真を陥れる。その結果起きたのが昌泰の乱だ」


偽の証拠をこしらえ、道真が年明けで多忙のためあまり御所に出向けなかった期間に醍醐帝に対してそれらを開示、さらに民衆に対しても張り紙として掲示したんだよ。悪意ある情報操作という意味では、本邦史上初の明確に手口が判明している権力者のプロバガンダと言えるかもしれない」


「そして讒訴を行った翌日、醍醐帝は道真及び時平を説明を求めるという名目で招集するのだが…」

































『…以上の罪状をもって、藤原朝臣時平を左大臣より解任し、流刑を申しつける。今までの働き、大儀であった』


 再び目を開けると、真っ青を通り越して土気色になった時平の顔が見えた。そりゃそうだろうな、こちらの裏をかいて陥れることが出来たと思い込んでいただろうからな。


 まぁ、陛下も人が悪い。注意してくださいって言ったそばから芝居するんだから。早朝に呼び出されるとかガチで粗相があったかなんかかと思ったわ。


 それに普通に考えて皇族と縁戚関係結んだって言っても贈皇太后による事実上の嫡流の生まれじゃないんだから皇統の一本化を主張している私が影響力の増大を図ろうとはしてないことぐらい察しろよ。情報戦部隊があるから全部筒抜けなんだよ…


 前世橘逸勢の晩年に構築したこの諜報網は、非常に特殊なものだ。情報戦の概念が乏しいこの時代において絶対的なアドバンテージを誇るが、誰に憑依するのかが転生するまで不明なため、円滑な引き継ぎが難しい。そこで採用したのは、組織を言わば戦国時代の忍びの里のように丸ごと集落に偽装するという方法だ…周りに怪しまれないようにしながらここまで育てるのには物凄く苦労したがな。便りを出し、そこに特定の符丁を入れることで都度の任務の指示や引き継ぎの宣言を行う。今世は数えで5歳になった時、下人に他言無用と言い含めて引き継ぎ宣言の手紙を出させた。


 符丁を知るものには例えどんな者であっても従うようにと厳命しているため、素性を不可解に思うかもしれないが特に反発を受けるようなことはない。報酬の一環として先進的な技術の給与...例えば未だ普及の進んでいない農作用の道具や試験的な製鉄技術の改良なんかだな...をしているし、私が出世してからはそれなりの金や物を与えているのもあるだろう。お陰で要職についてからは橘家との秘密同盟を結べ、財政がさらに楽になると同時にある程度藤原氏に抵抗出来るようになっている。彼らの動揺は組織を通じて手に取るように伝わってきているし、家内の統率が緩んだために比較的早い段階で時平の策謀を察知することが出来た。まさか盗賊上がりの反社会的勢力とでも呼べるような連中とつるんでいるとまでは思っていなかったが…本当になりふり構わなかった訳か。


 陛下の哀れむような視線を受けて土気色を通り越してもはや紙みたいな顔色になっていた時平だったが、縄持ち…黒布で顔を隠している…に捕縛されしょっぴかれていった。流刑で済むだけで良かったな、普通なら斬首どころか“史実”での藤原仲成の如く異常なやり方で処されてもおかしくはないぞ。“史実”の貴様と違って刺客を送らないだけの慈悲は残しておいてやるだけありがたいと思え。


 それにしても「御親兵」全員を投入か…この制度は時平へのカウンター、ここに至るまでは私と帝以外はその存在を知らなかったものだ。精鋭とはいえわずか7名という分隊クラスの人数で構成された、将来的に軍が国家元首へ隷属する…大日本帝国時代の軍のように天皇に直属するという形をとる、もちろんその後は時代が下れば民主化を進める予定だが…布石として立ち上げた組織だ。帝の護衛が主目的だが法を逸した命令への拒否権を持つというのが大きな特徴でもある。この点は陛下とも合意済みで、万が一王位簒奪が起きた時にに恐怖政治が発生するのを抑制する働きを持っている。将来的に軍が朝廷の元に置かれたらこの7名を最高司令官...つまるところ制服組のトップだな...とした律を作った方がいいかもしれん。


『全く難儀なことだ、彼奴の父御ててごは大いに尽くしてくれたんだが…』


『欲に狂い策に溺れた者の末路にございます。あるいは昭宣公藤原基経が大きすぎたのやもございませぬが…』


 御所に日が入り始め、思わず顔を顰めた。やっぱ朝早すぎだな…陛下もなるべく内々に済ませたいという気持ちがあったのかもしれないが。功績ある臣の嫡男だし荒立てたくないっていうのもあるだろう。時間的には早く仕事に来る人間がようやく到着する頃だし。


 とはいえ藤原氏って能力や性格のブレが酷いのは間違いないよな、アイツ時平も冬嗣殿や良房を見習えってもんだ。


〔…………………………〕

































讒訴を退けた道真はすぐに連座した者達を捕縛し、次々と裁いていった」


源光、それと藤原清貫が有名どころだね。どちらも最終的には流刑になっている」


ちなみに時平だがよほど衝撃を受けたと見えて、移送中に病で亡くなった。わずか31歳の若さでの死、そしてこの乱で血脈にケチがついたせいで以降彼の家族は没落を辿り、弟にして道真の理解者でもあった藤原忠平の子孫が嫡流となっていくことになる」


あぁ、そう言えば菅原道真にまつわる逸話中でも特に山場とも言えるこの出来事だけれど、今まで伝説に過ぎないと思われていた御殿での捕物についての新しい事実が発覚したみたいだ。伝承だと道真自らが醍醐帝の前で時平の罪を暴き、隠し持っていた縄で捕縛したとあるが、実際には醍醐帝と協力して打った大芝居の可能性が出てきたんだよ。その時に門を見張っていた衛兵曰く、黒布で顔を隠した男が時平を捕らえて出てきたとの記述が菅公伝から見つかってね...」


以前からも途切れ途切れにまやかしの類として伝わる“黒布の衛士”…菅公伝の他の記述を見る限り誇張されたものとは考えにくい、もしこの伝承が事実だとすると、現代の特殊部隊に相当するような兵力の存在があったということになる」


…専門外だからなんとも言えないけど、用兵の視点から見たら多分特異点もいい所なんじゃないかな? 軍事技術や戦術において世界有数の開発力を誇るイギリスですら正式な発足は第二次世界大戦中だったはずだし…」


断定は出来ないけれどね。もしかしたら研究が進めばその辺も解決できるかもしれないね、私はまだ駆け出しだから出来れば生きている間に信ぴょう性のある説を論文で見たい…あるいは自分で書いてみたいものだね」


まぁ、それはそれとして…昌泰の乱を鎮圧した後のことで、彼について必ず話しておかなければならないことが1つある」


そう、前に言った高麗との交流だ。当時の半島内で最大の勢力を確保していたとはいえ、当時情勢は不安定なことばかり。心細いこともあったはずだ」


そんな時、経済援助を申し出る国があったとしたら? 誰だって喜んで飛びつくよね。特に最前線で指揮する将軍からしたら大助かりだ。太刀に大弓、食糧などなど、取り決めをした次の来航では大量の物資が届けられたそうだ」


見返りは定期的な交易と相互協力による海賊の排除、国土の認知とその地への侵略の禁止などだ。一件こちら側には旨みが少なそうに見えるが、今までに発見された書き置きや書簡を見ると、1つの可能性が見えてくる」


それは、かの半島を大陸側への抑え…悪い言い方をしてしまえば脅威に対しての肉壁にしようと考えていたのではないか? ということだ。古来より度々あった大陸側の侵攻。現代に至るまでそれは全て失敗に終わっているが、高麗側を取り決めである程度自陣営につなぎ止めておくことで有事に対して備える時間を作るという戦略だね」


そしてこれは道真がかなり正確に地政学的な概念を理解していた可能性を示している。当時測量なんてやっていなかったわけだし、伝聞による感覚的なものもあっただろうけど…外交の達人と言われる理由がここにあるということだ」


「100年の安定のために投資をする。口で言うのは簡単でもなかなか出来ない、いやできる人は限られているだろうね。」

































-延喜2年(902年) 4月上旬 大極殿-


『我らの同胞は皆喜んでおります。主、弓裔は今後ともよしなにとのことです』


 うんうん。交渉はそれなりに上首尾に終わった。


 遷都前後を狙って物資を色々と送ってあげたことはだいぶ恩を感じているらしい。今後彼らが半島を統一すれば良好な関係が築けるだろう。


『こちらとしても取り決めを守っていただければありがたいことです、聞けば昨年には国号を定められたとか。これからが楽しみですな』


 まぁ15年後にはクーデター起こるけどね...とはいえ後継の王建は比較的良識的な人間だ、こちらが拒否しなければ通商だって結んでくれたはずだったほどである。“史実”であればという但し書き付きだが、今まで聞いてみた感じだと大きく変わりはしなさそうだ。


『ええ、唐は荒廃して人心は乱れるばかり…中々頼ることは難しい』


 ため息を吐いて暗い顔をする使者。今後60年は群雄割拠するからねぇ、倭寇…中国人がそれなりにいるのにこの呼び方ってどうなんだろうとも思うが…も増える増える。お陰でこちらは島に引きこもる羽目になったからなぁ…撃退する秘策は一つ心当たりが無くもないが、この人生で完成させるのは不可能だろう。


『唐が荒れるのは痛いが、この際仕方の無いこともある。朕らは朕らの国を考えるべきであろう』


 使者が帰ったあとで、内容をまとめた報告書を読んだ陛下がそう仰られ、皆が頷いた。とりあえず、対等な関係が結べたのは良しとすべきか。全く、ここまで工作を行うのは大変だったぞ。なにせ皆高麗のことを新羅の後継者、つまり敵国だと考えていた訳だからな。とにかく上手いこと各方面に渡りをつけて、時には金で懐柔したり政治的な立場を利用して脅したり...一時期は死んだ方がマシかと思うほど忙しかったわ。まぁ、王建が太祖になった時もこの関係が維持できるかは運次第な所があるが、国内で前例を作ったことにも大きな価値がある。公家は前例至上主義だからな、外国と国交が結びやすくなったという点はアドバンテージになるはずだ。300年後、おそらく襲来するであろう元軍…その障害として“史実”以上の働きを期待したいところだな。
































後高句麗に対して送った物の中には、日本刀数百振り、米千俵以上、塩百石以上など実用的なものが多く含まれていた」


これらの物資は荒んでいた土地で非常に重宝され、結果として統治の安定に寄与することとなる。そのため貿易も良好な関係に始まり、多くの技術や物の交換があったとされる」


経済を動かすことで多くの人間がその恩恵に与れるようにし、結果として海賊…倭寇だね…の発生の抑制も出来た。まさにwin-winだったわけだ」


初の接触から数年の後に弓裔は悪政を敷き始めて人心を失い、代わりに王建が台頭してくる訳だが…幸いなことに彼は貿易に理解があり、通商を引き続き行ってくれた。お陰でそれなりに両国に富がもたらされたんだ」


道真が亡くなったのは弓裔の暴走が始まった頃だけれど、彼は死ぬ直前までそういった情報もいち早く提供し、朝廷の外交政策に貢献した。遺言には海外との付き合い方や臣の心構えなどが訓示してあったという」


そうそう、こぼれ話が一つあった。いろは歌は知っているよね? あれは道真の遺言状の中に含まれていたものなんだ」


色は匂へど散りぬるを、我世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見し酔ひもせす...かなを一つづつ使って文を作っただけでなく、7文字目を抜き出していくと、『咎無くて死す』という文章が現れるという代物。梅の阿呼に捧ぐという前文が添えられたものだけど、この阿呼というのが誰かは未だに分かっていない」


彼の幼名が阿呼と言われてるから近しい人間の可能性が高いけど、女遊びをしない人間だったから隠し子という訳でも無いとは思う…まさか本人だとは思えないし、実際どうだったんだろうね」


ともかく、彼の実績はその後継者達に引き継がれ、国を発展させる大きな基礎となっていく」


「その中でも道真の功績を継承、発展させるほど特に群を抜いて秀でた才能に恵まれた人がいたんだが...それに関してはもう日も遅いし、また次の機会にしようか。」





******以下あとがき******

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。この投稿30分後を目処に資料も追加する予定です。分かる方には分かるかと思われますが、第二章以降にある役割を持たせるつもりです。まだしばらく第一章が続きますけど(爆)


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