一本道
「艦長、なんで迎撃許可を出したの?」
姶良が不思議そうに問いかける。茉蒜はヘッドホンを片方だけ外し、左手で頬杖をつき「国際信号、見てみてよ」と、右手でモスクワを指さす。
「国際信号は〜……「危険」?」
「そ。あの危険の意味が分からなくて」
「どういう事? それと迎撃許可が、何の繋がりがあるって言うのよ」
典子は首を傾げ、顔を顰める。
「私達に発砲するから危険やでって言ってんのか、それとも日本自体が危険なのか……はたまた、それ以外か。
少なくとも今言った二つの意味はどちらとも取れるの。今上層部と連絡が取れない、食堂のテレビも映らない、どうしようもないこんな状況を知っていて、私達に日本が危険だと知らせているのか、それとも敵だから今から撃つぞと警告しているのか……」
「つまり言うと?」
「敵意があるかないかを調べたい。キエフのように、無いなら無いであちらの艦長と話がしたい。今日本がどうなっているのか、それが知りたいの」
真剣な形相でモスクワを見据える茉蒜。典子は「なるほどね。納得した」と言った以降は何も言わずに、眼鏡を押し上げて艦長席に右手を置いた。
『ユービー1より艦橋へ、艦長』
亮のその声に、茉蒜はすかさず外していたヘッドホンの片耳側をつけ直し「黛よ。どうしたの?」と声をかけた。
『発砲の様子は無い。ツポレフも発艦はしたが、モスクワの頭上を回っているだけで何もしてこない。どうなっているんだ? あの「危険」は何を表している?』
「私にも分からない。みのりちゃん、一応国際信号でどうして危険なのかを送るように言ってくれる?」
「分かった。真理に言ってみる」
キャップ越しにヘッドホンを付けて、甲板上にいる乗組員にモールスで伝えている間に、「浅野三尉、今いるツポレフに当たるか当たらんかギリギリの距離でミサイルを撃ってみて」と、亮にかなり無茶な指示を送る。
『やってみようか』
「やるんだ。結構無茶ぶりだから断るかと思ってたけど」
その言葉に、颯爽ミサイルを一発撃ち込んだ亮はいつもの口調で、
『彼女の命令なら断れないだろ』
テーブルにおでこをぶつけて理性を保とうとする茉蒜に「何があった艦長」と努が心配そうに声をかける。
「あぁ、いいの気にしないで。ちょっと後輩のレアな声が聞けただけだから。で、どう?」
『避けたが反撃はしてこないな』
───それじゃあ敵意は無いのかな?
首を傾げ、茉蒜は考える。これは一度、相手側の艦長と話す必要がありそうだ。そうすれば何か分かるかもしれない。
「艦長、あっちの旗出たって」
「どれどれ?」
肉眼で確認した茉蒜は、意外な言葉を発した。
「トーク……話す?」
あちら側の艦長の指示だろうか。繋げたいとは思うが、応じてくれるかどうか──
「あ、通信来た」
「うせやんなんて?」
「うーんと……あちら側の艦長が、黛艦長と話がしたいってさ。外線来てるけど、繋ぐ?」
みのりが不安げに問いかけてきたのを見て、茉蒜は「不安がることは無いと思うけど、繋げていいよ」と再びヘッドホンを付けた。
「浅野三尉、そのまま偵察を続けて。何かわかったことがあったら管制か副艦に内線で連絡を」
『了解』
亮との内線を切り、茉蒜はみのりに繋げるように合図を送った。
暫く雑音が入り、やがて乗組員の忙しない声が聞こえてきた。
相手側の艦艇の乗組員だろう。入り混じるロシア語の中でただ一つだけ、茉蒜は違う言語を聞いた。
「え?」
嘘だ、そんなはずは。
茉蒜はもう一度聞き直そうと、耳に集中を集めた。しかし聞こえてくるのは、変わらないあの声。もう聞くことの無いと思っていた、
「……パパ?」
───自身の父、黛成実の声であった。
***
「……パパ?」
どうして声が聞こえるのだろう。
茉蒜はしばし混乱していた。あのパイロットは、手紙を書いた直後に亡くなったと話していたではないか。しかし今聞こえるのは、紛うこと無き父の声。パイロットが嘘をついていたとでも言うのだろうか。
典子や他のメンバーは、その声に顔色を変えた。茉蒜はヘッドホンからスピーカーに切り替え、再び聞こえてくる言葉に耳を傾けた。内線は一瞬の静寂のあと、若き男性の声を拾う。
『元気にしていたか? 茉蒜』
茉蒜の父、成実は、茉蒜の記憶に残る声ではなく、やんわりとした、優しい話し口調だった。
「え、あ……と、その……」
まるで昔に戻ったかのようだ。
動揺し、吃りがちになる茉蒜。
『なんだ、久々に話すから緊張しているのか?』
「ち、ちが……そうじゃなくて」
どこか怯えるように話す茉蒜に、『じゃあ、なんだ?』と、成実はもう一度問いかけた。
「あの、さ。どうして生きてるの? 私はあなたが四年前に亡くなったって、あなたのお友達のパイロットから聞いた。でもあなたは今、私と話が出来てるじゃない」
『……』
「ねぇ、どうしてパイロットを通してまで嘘をついたの? あなたが私にした事を償うため? それとも、私の記憶からあなたを消し去るため?」
『……』
「教えてよ、パパ。ねぇどうして? あの国際信号の意味は何? 手紙に書いていた内容と同じなの? 今日本はどうなってるの?」
茉蒜の口から疑問が溢れる中、成実は無言を貫く。
「……ねぇ、なんで? なんで何も言わないの……私達の日本は今どうなってるの? 上層部とも連絡が取れない、テレビだって繋がらないんだよ! こんな状況下で、私達はどうしたら日本を助けられるの?」
暫く沈黙していた成実は、茉蒜が話し終えたタイミングで一言発する。
『落ち着いて聞け、茉蒜』
「……?」
深刻そうな声のトーンで、成実は言う。
『日本は今、アメリカの植民地になりかけている。補給艦を送り出す事は許されているそうだが、それ以外は、もう……』
「しょく……みんち?」
発せられた言葉の一つ一つが、茉蒜には理解し難い事であった。そばで聞いていた典子は、何かを考えるように顎に手を当て、ヘッドホンから微かに聞こえる声を聞いていた。
「ちょ、ちょっと待ってよパパ、それじゃあ日本は領海侵犯されているってことでしょう! 他にアメリカ海軍の艦艇がいるってこと!?」
『そういう事になる』
「じゃあ一体どうすれば……」
問いかけた茉蒜に、『方法はあるにはある』と、成実は声のトーンを少し上げる。
『ロシアと日本は今、日ソ共同宣言を組んでいる。仲は悪いが……日本と戦争をおっぱじめる国ではないことを理解して欲しい』
「それって、ロシアは日本の味方をしているって事?」
『そう。防衛大臣がそう指示を送ってきたんだ。アメリカ海軍を沈めて、日本を奪還する。それを伝えに、俺達はここまで来たんだ』
「国際信号の危険は、日本が危険って事だったのね……」
腑に落ちたように声を上げた茉蒜。
『ロシア艦隊は他にもいる。出来ることがあるなら、俺達ロシア海軍も協力したい。どうか、協力させてくれないだろうか』
「……」
───納得したけど……。
茉蒜はもう一つだけ疑問持っていた。それは、見た限りではアメリカ海軍の艦艇が全く見当たらない事。日本のドッグに閉まっているのか、それとも見えない位置にいるのか、今は分からない。ただ一つ言えることは、
「いずれは、日本の領海内で小さな戦争が起こるって事……」
アメリカ海軍を見つけるためには、まずは日本や港が見える位置まで戻らなければいけない。潜水艦もいる可能性は極めて高いだろう。
「典子、浅野三尉に着艦指示を出して」
「了解」
「もうすぐ日が暮れるから、パパの艦艇はそのままかがについてきて欲しい。キエフにもそう呼びかけて」
『ああ、分かった。言っておこう』
考える事が少し増えた茉蒜は、頭の整理をしようと目を閉じる。
『俺が見ない間に、賢くなったな』
そう聞こえ、茉蒜は口角を上げる。
「そりゃあ、パパの娘ですから」
『ここまで一人で頑張ってきたのか? 偉いな』
「違うわパパ。今はまだスタートなの。それに、私一人だけじゃないの」
目を閉じたまま、茉蒜は懐かしそうに、
「夢という名のスタートは、誰かの手で押されて辿り着ける、一生に一度しかない希望の一本道なのよ」
たちまち笑う声が聞こえ、茉蒜は「もうっ、笑わないでよ」と、少々怒り気味に言う。
『ああごめんごめん、つい笑ってしまった』
「む……」
『でも、その言葉は大切に取っておけ。いつか大勢の者達に感謝を告げる事になる、その日までな』
茉蒜は大きく頷き、「言われなくても」と口にした。成実は安心したように一つ息をつき、
『また何かあったら連絡する。それまではお互い気を緩まずな』
「了解。もちろんだよ」
そうして内線が切れる。戦闘機は着艦し、亮は既に部屋へ戻ったらしく、茉蒜はテーブルに突っ伏す。
「……」
───気を緩まず、か。
今の茉蒜では、到底無理そうな命令であったのだろう。自身の腕越しに見えるモスクワを眺め、茉蒜は少し仮眠を取る事にした。
一七四五、課業終了の艦内マイクすらも耳に入れず、茉蒜は眠るまで考えに考えていた。典子が毛布をかけ、トントン、とハンドサインで茉蒜の背中に『無理は禁物、休むが良し』と伝えたのを最後に、茉蒜の意識は深い奥底へと消えていったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます