あの頃の

 出港して一週間が経った時だった。艦長席に座り、茉蒜は十分ほど考えていた。

 あれからロシア国の動きは無い。だが、捕虜にしたパイロットの話によると、ロシアの艦艇はまだキエフ以外にも日本の領海内にいると言う。その事に関して、茉蒜は頭を悩ませていた。

 自身の父の言うことが正しいのならば、日本はロシア国に応じるべきなのではないかと、そう思っているからだ。このまま戦争を起こしてしまえば、日本もロシアも仲が悪くなる一方だ。それに、一つ攻撃をしてしまえばそれだけで日本はデモを起こすだろう。それだけは避けたい……茉蒜は心底思っていた。

「ねえ艦長、あの時、何を話していたの?」

 みのりの問いかけに、「個人的なこと」と茉蒜はテーブルの資料を見据える。

「?」

 みのりは首を傾げる。典子は既に何か気付いている用で、茉蒜の隣にいたものの何も言わなかった。

「そういえば、着艦してきた戦闘機とパイロットはどうしたんですか?」

 はなだは不思議そうに言う。

「戦闘機はまだ使えるだろうから格納庫にしまって置いてる。パイロットは捕虜にしたよ」

「捕虜、ですか? これまたどうして……」

「ちょっとね。私のお父さんと知り合いなようで」

「艦長の父上さんと?」

 作業の手を止め、はなだは茉蒜の方を向く。

「そ。私が娘だって分かっていたらしくて。敵意はないから安心していいと思う」

「艦長が言うならいいですけど……」

 作業を再開したはなだの次に、「艦長、あなたの父は何人?」と、音羅が問いかける。

「え? 日本人だけど」

「じゃあ、どうしてロシア語話せるんですか?」

「たしかに、捕虜の人、日本語話してたの〜?」

 姶良が音羅に続いて茉蒜に問いかける。茉蒜は困ったように愛想笑いをして、最初は何も答えなかった。しかし根気強く返答を待っていた姶良達に観念したのか、茉蒜は深いため息をついた。

「……何、そんなに知りたいの?」

 茉蒜は深刻そうに言った。

「艦長ですし、知らなきゃいけない事かと存じます」

「ですし、おすし!」

 操舵しながら姶良がノリ良く声を上げる。茉蒜はまたため息をついて、「分かった、話すから」と、姶良達を宥めた。

「とは言っても、どこから話せばいいものか───」

「まって艦長、司令から内線が来てる」

「司令から? 繋げて」

「分かった」

 受話器を手に取り、茉蒜は聞こえてくる音に集中する。

『伊藤だ! 聞こえるか、黛艦長!』

「伊藤司令……! 日本の状況はどうなっているんですか? どうしてロシア軍が我が領海に!」

『今は話すことができない。だが横須賀港にだけは戻ってくるな!』

 伊藤司令の口調はかなり焦っている。それほどの状況だというのは分かるが、茉蒜にも、ほかの乗組員にも、口調だけでは詳しいことは分からなかった。

「よ、横須賀港に戻ってくるなって……どういうことですか。大湊に行けばよろしいのですか?」

『いいや、今はどこの港にも行っちゃいかん。補給は一週間ごとにきちんと送る。日本の領海内を航海し、攻めてきたロシア軍を沈めてくれた方がまだマシだ。それにその「かが」には「国家機密システム」が搭載されている。それが奴らにバレてしまっては───』

 徐々に雑音が入り始め、やがて内線は機能を失う。

「え、あ、司令! 返答をオーバー返答をオーバー!」

 もう繋がらない。そう判断した茉蒜は受話器を元の位置に戻し、深く考え出した。

 日本を、止めろ。

 自身の父の、その言葉が再び頭に過ぎる。

 ──パパの言っていたことは本当だった。

 でもどうして? いつも朗らかで何を考えているか分からないあの伊藤司令でさえ、あれだけ焦っていた。

 本当に日本に何かあったの? そうしたら、あの「国家機密システム」は、敵国に渡してはいけない情報?

「……無理、頭がショートする」

 テーブルに突っ伏した茉蒜を見て、「あ、撃沈した」と真顔で典子が呟く。

 どこまでも続いている蒼穹と海を見据え、茉蒜は指示を出しながら頭の整理をしようと黙々と考え始めていた。

「茉蒜、仮眠とったら?」

 典子がそう提案し、茉蒜は顔を上げる。

「なんで?」

「考えすぎるのがあなたの悪い癖よ。艦長代理は私がやっておくから、少し眠ってきたらどう? 見たところ、あなたここ最近忙しすぎてあまり寝れていないようだし」

 典子の言うことは確かに合っていた。茉蒜はここ最近、書類をまとめたり挨拶周りに行っていたり、艦内の見回りをしたりと、中々寝付く機会が少なかったのだ。

「……仮眠してきます」

「素直でよろしい」

 大人しくいうことを聞いた茉蒜は、そのまま艦橋から姿を消す。

 廊下を歩いていると、丁度亮とばったり遭遇した。

「艦長、課業はどうされたのですか?」

「これから仮眠。浅野三尉は?」

「あなたに用がありまして、艦橋へ向かおうとしていたところです。丁度良かった」

「私に? 何か用?」

 歩きながら亮に問いかける。亮は声のトーンを落とし、

「先週、何を話していたんですか?」

 

 ***

 

「何って……あなたには関係のないことよ」

「関係のないことだということは分かっています。しかし個人的に、ロシア語が話せることや、あのパイロットと何を話していたのかなど、少し気になりまして」

「ロシア語が話せること? それを知って何になるの?」

 肩を竦め、茉蒜は不思議そうに問いかける。

「変なことを聞きますが、私……いや、俺のことを、どこかで存じましたか?」

「え?」

 首を傾げ、茉蒜は「どうして、そんなことを?」と、声のトーンを落として言う。

「俺の名前を聞いた時、あなたはどこかで聞いたことある、とでも言わんばかりの顔をしていました。だから少し気になったのです」

「なるほど。でもごめんね。聞いたことあるだけで、何も思い出せないの」

 茉蒜はそう嘘をついた。茉蒜の記憶の中には、確かに「浅野亮」という小さな存在が残っているのだ。しかし今、彼に言っても思い出せないだろうと、そう確信していた。

 誰だって、小さな頃の記憶を覚えている訳でもない。茉蒜が覚えているのは、亮と初めて会った時にしたあることが、どうしても忘れられないからなのだ。

「そうですか。では、ロシア人のあのパイロットと何を話していたのですか?」

「ずかずか来るわね。そんなに知りたいの?」

 茉蒜が聞くと、亮は小さく頷く。何かを知りたがっているような顔をしていた亮を見て、茉蒜は「ふぅん……」と小さく呟く。

「いいよ、教えてあげる。口外しないようにね」

「それは分かってます」

 茉蒜は歩きだし、亮がその後ろをついて行く。

「小さいですね。ロリ艦長」

「ロリで悪かったわねロリで。これでも二十八なんですけど」

「俺は二十四です」

「あら、私の幼なじみの一つ上じゃない。女の子だけど、気が合うんじゃない?」

 そんなことを話しながら、茉蒜は艦長室の前へと到着し、カードキーで扉を開ける。

「どうぞ。机が作業場になっているところ以外は、面会したりする普通の部屋だから安心して」

「失礼します」

 軽く会釈をし、亮は中へと入る。茉蒜は扉を閉めて、「そこの椅子にかけていいわよ。お茶は何派?」と、微笑みながら問いかける。

「緑茶派です」

「私と同じね」

 お茶を入れながら、茉蒜は嬉しそうに呟いた。

「……艦長、あの兎のぬいぐるみは?」

 亮はそう言って、ベッドの上にちょこんと置いてある兎のぬいぐるみを触ろうと近づく。

「それ? 私の大事なものだけど、別に触ってもいいわよ」

「構わないのですか?」

 お茶を持ってきてテーブルに置きながら、茉蒜は呟く。

なら、ね」

 その言葉に疑問に思いながらも、亮は兎のぬいぐるみに触れる。

「……?」

 ───この触り心地、このシルエット。

 俺はどこかで、このぬいぐるみに触れたことが無かっただろうか?

 亮は自分の両手に目をやりながら、深く考えだした。あれはいつの頃だっただろうか。自分よりも体格の大きな少女が、会う度にこのぬいぐるみを抱きしめていなかっただろうか? この両手で、このぬいぐるみを差し出した相手がいたのではないだろうか?

「思い出した?」

 横から茉蒜が覗き込んできて、亮は驚いてぬいぐるみを手放してしまう。ぬいぐるみは枕の上に落ち、バウンドしてベッドの中央に転がっていった。

 その時に見えた、茉蒜の左の首筋にある大きな切り傷が、亮の記憶を段々と呼び覚ましていく。

 無意識に亮は、茉蒜の傷跡にそっと触れていた。茉蒜は驚いて少々縮こまったが、すぐに元に戻っていった。

「『いたい、いたい』……?」

 ボソッと呟いた亮の言葉に、茉蒜の身体が揺れる。

 茉蒜は何も言わず、兎のぬいぐるみを手に取り、ついていた埃を軽く払う。

 そうして椅子にストンと座り込み、ぬいぐるみを抱きしめて口元を隠し、照れくさそうにもう一度言った。

「……思い、出した?」

 亮はそんな茉蒜を見据え、同じく向かい合う椅子に座る。

「艦長、俺は……どこかで、あなたにお会いしませんでしたか? 思い出せそうで思い出せない。ただ一つ記憶にあるのは、そのぬいぐるみを抱く、幼いあなたのような少女のシルエット……。

 艦長……いや、「茉蒜」。教えてくれ。俺達は、どこかで会ったんじゃないのか?」

 亮は真っ直ぐな目で茉蒜を見る。

 亮にはどうしても知りたいことがあったそれはいつ自分がパイロットを目指そうと思ったのか、ということ。「人は夢を持つ時、誰しもがきっかけを持って憧れる」と、亮の父は幼い頃に亮に教えてくれた。

 そのが亮には分からないのだ。自分がどうしてパイロットを目指そうと思ったのか。マグダネル・ダグラス社の社員であった亡き祖父の夢を叶える為なのは確かだ。しかしそれ以外にももう一つ、が、亮はどうしても思い出せなかった。

「ふふっ、あなたがそう聞いてくれるのを、私はずっと待っていたんだけどなぁ」

 ふわっと笑い、茉蒜は嬉しそうに言う。

「まさか一週間経って聞いてくるとは。良かった。浅野三尉……ううん、「亮」」

 そうして茉蒜は、恥ずかしそうに、しかしどこか、懐かしそうに話し始めた。

 自身と亮が、一番最初に出会った日のことを───。

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