7-3 2018年9月11日 - 笑える心は、泣くこともできる

 朝になって、恐る恐るスマホを見たら、まあ最悪のボケが届いていた。匿名だけど、誰の手下がどういうつもりで送ったかは大体分かる。俺は佐倉さんにStringで連絡を入れた。


俺、今日はなんとかなるよ。

「さあさあ、濡れた服は脱がないと風邪引くよ」

って送りつけられたけど、

俺、男だから、別に困らないし。


 すぐに返事は来なかった。もそもそと朝食を食べて、学校に出ようかとしたとき、スマホのLEDランプが光っているのに気がついた。開くと、佐倉さんからの返事が届いていた。


  学校に来たら、

  私のスマホを見てもらえませんか?


 なんだろう。

 10秒ほど経って気がつく。

 言いたくないほどひどいんだ。

 俺は返事を送った。


                  分かった。

                  朝礼の前に佐倉さんのクラスに行く。

                  俺は遅刻しても良いから。


 いつも通りの登校時刻だから、佐倉さんは余裕があるけど、俺は時間ギリギリ。そこを無理に佐倉さんの教室に押しかける。「またか」と言った奴がいたが、気にしない。

 佐倉さんは、以前のような、無表情だった。

「佐倉さん、来たよ。スマホを見せて」

 佐倉さんは、おぼつかない、取り落としそうな手つきでスマホを取り出して俺に見せた。


  さあさあ、濡れた服は脱がないと風邪引くよ


 どうして俺と同じものが? 匿名のボケは一人一つだけだろ?

 でも理由はいくらでもつく。吉崎の子飼いがあらかじめ連絡を取り合った可能性は十分にある。それに、システムが表示された候補を選択してボケを作るbocketのシステムだ。裏で悪意が働いている可能性は否定できない。でも、そんなひどいことが起きるのか?

 その考えを俺は改めた。bocketなんて、悪意の塊じゃないか。

 問題は佐倉さんだ。女の子だぞ。これはまずいんじゃないのか。

 動揺している佐倉さんにはとりあえず落ち着いてもらわなければいけない。

「佐倉さん、現実になるかもしれないけど、なんとか見られないようにするから。俺がそばにいるから」

「大丈夫?」

 佐倉さんが俺の顔を見て、一言こぼした。ここで投げ出すわけにはいかない。

「大丈夫だから」

 そのときチャイムが鳴った。違う教室から来ている俺は遅刻だ。佐倉さんの担任の先生に「何やってる!」と怒鳴られたが、内申書の点数なんて、くそ食らえ。

 授業の合間に佐倉さんと連絡を取り合う。本当は授業中もStringしたかったけれど、スマホ没収で連絡だけできなくなるのが怖かったからできなかった。1、2時間目は動きがなかったけど、3時間目が終わった休み時間にクラスの他の男子からStringのメッセージが入った。


  昼休み、空いてるか?

  校庭に来てくれないかな


 俺は佐倉さんに確認する。


                  俺は昼休みに校庭に呼び出された。

                  佐倉さんが別の場所に行くなら

                  呼び出しは無視して佐倉さんの側に行く。


  私も校庭に呼び出されました


                  分かった。

                  一緒に行こう。


 俺は授業は上の空で4時間目が終わるのを待った。

 昼休みになって、佐倉さんの教室に行くと、佐倉さんは自席に座っていた。俺は佐倉さんの手を取って教室を出る。佐倉さんの手を握ったのは初めてだったけど、もうこの手は洗わないとかエロい妄想をしている余裕はない。

 校庭は、普段通り、一部の男子がサッカーをして、平和な情景だ。

 俺は佐倉さんの手を握り、佐倉さんの前に立ちかばう構えをとる。佐倉さんの手が震えている。

「皆さん、来ないですね」

 佐倉さんの言葉は、誰が来るのか分からないことを表していた。

「まだ、分からないからね」

 気を抜いて離ればなれになったところを狙われるのが一番怖い。俺は佐倉さんの手を一層強く握った。

 5分経ったところで、生徒の一団が、つまり一団と呼べるだけの人数が校舎から出てきた。

 男子が5人。女子が7人。男子は普段は俺に恨みがなさそうな(俺、そんなに悪いことしてないぞ)人間だが、女子の先頭は佐倉さんをオモチャにしていた3人だ。

 男子と女子がそれぞれ二手に分かれて、一方は校舎脇の水道に据え付けられたホースを持ち出してくる。まさか、わざとかけるつもりか。

 俺たちに向かってきたのは男女3人ずつ。女子はいじめっ子3人。その中の一人が俺の目前に来る。

「佐倉さん、彼氏できたんだね。幸せそうじゃない」

 その後ろからホースを引っ張ってくる集団が近づいてくる。

 人数かけて取り囲んで水ぶっかけて服を脱がそうってか? 公開の場で? ひねりが何もない、全くのイジメじゃないか。

「あんたが幸せになるのって、むかつくんだよね」

 その後ろの女子が手招きすると、水道の蛇口に張り付いていた女子が蛇口をひねった。

 俺と佐倉さんをホースの水が襲う。俺はなんとか前に立って佐倉さんをかばうが、佐倉さんも結構濡れていく。

 そのとき、男子と女子が俺たちに襲いかかった。女子は佐倉さんに、男子は俺に、俺たちの手足をとって二人を引き離す。俺の手の中から佐倉さんの手が抜けていった。

 俺たち二人は交互にホースの水を浴びる。三対一だ。為す術もない。

 いじめっ子の女子が下卑た笑い顔をした。

「さあさあ、濡れた服は脱がないと風邪引くよ」

 女子二人が佐倉さんの手足を押さえ、一人がシャツのボタンを解いていく。次第にあらわになる肩、胸。

 ピンクのブラジャーが丸出しになった。

 そうか、ピンクなのか。

 というスケベ心が心の隅に浮かんだけれど、蹂躙されていく佐倉さんを見続けることに罪悪感が浮かぶ。

 校庭の隅、俺らから離れたところで、嫌な笑い声がした。

 吉崎だった。

 脱がされていく佐倉さんを見て、なんの屈託もなく笑っている。

 このゲスが!

 佐倉さんを蹂躙する手は止まらず、ついにスカートもずり下ろされた。青いパンツが目の前に見えた。

 佐倉さんは身体のラインもバランスがとれていて綺麗だった。胸の膨らみもウェストのくびれも腰の丸みも全部見えた。ずっと見たいと妄想してきた姿だけれど、俺の息子を膨らませる余裕はない。

 俺を押さえつける男子も、俺のシャツのボタンを解きはじめ、ズボンもずり下ろされた。トランクスがあらわになる。ブリーフじゃなくてよかった。シャツを脱がせた男子がにやりと笑う。

「おまえ、男子だから、上の下着は脱いでも良いよな?」

 抵抗もむなしく、上の下着を脱がされた。

 遠くから、吉崎の声が聞こえた。

「本当に胸無ぇんだな」

「あるわけないだろ。あったらキモいわ!」

 俺の叫びを吉崎はかんらかんらと笑って流した。

 校舎の校庭側のベランダは人だかり。下着姿に剥かれた俺たちを見ていた。

 校庭まで響く、笑い、笑い、笑い。

 職員室から先生が飛び出して、俺たちを押さえつけていた生徒たちが逃げる。

 このままだと先生に事情を聞かれるだろう。

 辱められた佐倉さんを教師からの質問「責め」に会わせてはいけない。

 俺は佐倉さんのシャツを手に取って佐倉さんの前面にかけ、もう片手で佐倉さんのスカートを持ち上げ、佐倉さんに合図して先生から走って逃げた。

 校舎の裏側まで走ったら二人して息が切れた。佐倉さんのシャツは、水浸しになった校庭に無造作に放り投げられていたから、泥だらけになっていて、佐倉さんのきめ細やかな肌に泥がついていた。

 俺、何してるんだ?

 佐倉さんに「大丈夫だ」と請け負って、このザマだ。何が大丈夫だ。

 佐倉さんを見るのが怖くて、真正面から見られない。

 やや横を向いているとき、視界の隅に、ホースの水とは違う水滴が見えた。

 佐倉さんが、泣いている。

 数日前までの、佐倉さんが怪物に見えたときも、ついこの間の、佐倉さんの綺麗な笑顔を見たときも、佐倉さんが泣くだなんて想像しなかった。

 でも、泣くのだ。

 今までは心が死んでいたから、笑いもしなければ、泣きもしなかった。

 笑える心は、泣くこともできる。泣いてしまう。

 心を取り戻して、地獄の苦しみを味わっている。

 佐倉さんは、泣いて、泣いて、泣き続ける。

 俺は見てるしかない。

 しばらく泣いて、佐倉さんは泣き疲れて、嗚咽も弱くなった。

 俺たちの関係は、ここが限界なんだろう。そう分かった。

 俺は佐倉さんに向き直った。

「佐倉さん、俺じゃ、佐倉さんを守れない。他の奴に乗り換えた方が良い。佐倉さんなら、笑顔を見せれば、きっと守ってくれる人はいるよ」

「楠木君が良いです」

 俺は耳を疑った。弱いけど、はっきりとした声。

「俺、全然ダメだよ。それでもいいの?」

「ハイ」

 佐倉さんは言い切った。俺より佐倉さんの方が肝が据わっている。佐倉さん、強いんだな。

 でも、俺たちが限界に来ているのも事実だ。限界を超えて、俺たちはどこに行けるんだ?

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