7-1 2018年9月10日 - 俺たちはすっかり孤立した

 俺には気がかりがある。だから昼休みに佐倉さんを呼び出した。教室で二人が顔を合わせて騒がれるのは嫌だったけれど「暗がりに誘い出して何かしようというわけじゃないんだから」と、だだっ広い校庭の一番隅っこ。佐倉さんと二人でフェンスの横に来たところで、敷物は持ってないから、俺はその場にしゃがみ込んだ。

「佐倉さんも座ったら?」

 あ、しまった!

 と思ったときにはもう遅く、佐倉さんもその場にしゃがみ込んだ。

 美少女をウ○コ座りさせてしまったのはまずかったと思う。でも、やっぱり、かわいい! つい俺の顔がにやける。

 でも、話す内容は、少しだけ暗くて重いんだ。

「佐倉さん、最近笑うようになったけど、俺らのチームの中だけだよね。他の人を笑うのって、やっぱり、怖い?」

 佐倉さんは無表情な顔を俺からやや背けて黙り込む。しばらく時間が流れて、俺がしびれを切らした。

「佐倉さん、この話、つらい?」

 佐倉さんが俺の方を向いた。

「怖いです」

「まあ、俺だって、関係ない人を笑って、仕返しされるの、怖いしね」

 本音がぽろっと出た。

 笑いは、控えめに言っても、礼を失しているところがある。

 後で釈明して仲直りできる関係なら良い。

 つながりがほとんどない人間を笑うと、笑われた側がこらえるか、笑った側が仕返しを受けるか、たいていは良くないことが起きる。

 だから避ける。笑わない。

 そのことは毎日感じているはずだったのに、言葉で考えると、つい、どうして笑わないのだろうかと結論づけていた。

「この話、俺の方が悪かったよ。赤の他人を笑うのって、あんまり良くないしね。まあ、どうしても笑っちゃうときもあるけどね」

「どんなときです?」

 そう問い返した佐倉さんは、真面目だった。

 改めて聞かれると、困る問いだ。

「そうだなあ、相手があまりにひどいことをしていて、情状酌量の余地がないとき、とかかな。こいつは馬鹿にされてもしょうがないと思えるときってたまにあるよ」

 そのとき、校庭から叫び声が上がった。

 声がした方を見ると、声の向こう、三階建ての校舎の屋上から、男子生徒が一人、落ちそうになっているところを両腕を二人の男子生徒に掴まれてかろうじてぶら下がっていた。

 落ちかかっている男子生徒は、吉崎だった。

 屋上の高さから、校庭に向けて、一枚の紙がひらひらと落ちていく。見慣れた色の綺麗な印刷。一万円札だった。

 この状況を冷静に見ると、風に飛ばされた一万円札を取ろうとして足を滑らして屋上から落ちかかった、というところだ。だが、そんなことがそうそうあるだろうか。

 今はあるのだ。bocketがあるから。

 bocketの匿名のボケは「ウケた」が多い参加者のものが選択される。しかしそれはあくまで傾向に過ぎない。時折番狂わせがあることを、噂で聞いたことがある。

 まわりを親衛隊で固めた吉崎に、その番狂わせが起きた。そういう解釈ができる。

 しかし、これは本当にbocketのボケなのか? bocketは身体にだけは危害を加えない。三階建ての校舎の屋上から落ちれば、少なくとも足の骨折、悪ければ命に関わる。

 それも大事だが、周囲の人間にとっては、相手が吉崎だというのが重要だ。校内の「ウケた」を一手に集め王国を作った吉崎だ。あとで何をするか分からない。落ちていく一万円札を拾ったりしたら、どんな仕返しが来るだろう?

 誰も笑えない。無言の中を、一万円札がひらひらと落ちていった。

 皆の注目を浴びる中、吉崎の取り巻き二人がどうにかして吉崎を屋上に引き上げた。結局怪我はなく、これがbocketで引き起こされたという間接証拠になった。

 校庭の皆が、関わり合いにならなかったことに胸をなで下ろしていた。

 そのとき。

「ハハ、ハ、ハハハ。アハハハ」

 小さな笑い声が聞こえた。俺のとても近くから。

 佐倉さんが笑っていた。

 声は小さいけれど澄んでいて、顔は屈託から解き放たれて明るい。

 学校の皆が、初めて佐倉さんの笑い顔を見た。それは美しいのに、美しすぎて場違いであるが故に、皆はおぞましいものを見たような顔をした。

 その視線は横にいる俺にも突き刺さる。怖い。

「佐倉さん、今、笑うところ?」

「あんな強い人でも、bocketに引っかかるところが、おかしくて…… アハハ」

 俺はさっき言った。「相手があまりにひどいことをしていて、情状酌量の余地がないとき、とかかな」。

 吉崎がやってきたことは「ひどい」の一言だ。暴力をちらつかせて「ウケた」を独り占めし、協力した人間も平気で裏切った。

 彼を笑うことができる人間がいなくなった吉崎が、一番笑われるべき人間なのだ。

 佐倉さんは、笑われるべき人間を、きちんと分かっていた。買いかぶりかもしれないけれど、俺はそう思うことにした。

 佐倉さんを突き刺さる視線の中に孤立させてはいけない。仲間を増やそう。

 俺は、笑う。

「そうだよな。あれだけみんなを脅して『ウケた』をかき集めても、運が悪いとボケに引っかかるんだもんな」

「意外とbocketって何が起きるか分からないんですね」

「人を踏みつけにしても、ダメなときってあるんだな」

 笑う佐倉さんと俺を、校庭の皆が冷たい目で見る。「どうなっても知らねえぞ」と小声で誰かが言った。それでも佐倉さんと俺は笑い、動けない皆の間を一万円札が風に吹かれてずりずりと動いていく。

 校舎から吉崎が出てきた。一万円札を見つけると一目散に走り出した。周囲が吉崎の行く先を空ける。一万円札が吹き寄ってくると、汚いものが来たかのように逃げた。そうして、誰も拾わなかった一万円札を吉崎は拾って財布にしまった。そのあと、校庭でただ二人笑っている佐倉さんと俺に歩み寄ってくる。怒りの形相で。

 座ったままでは、何かあったときに逃げられない。俺は立ち上がって、佐倉さんに手で促した。俺につられて佐倉さんも立ち上がった。

二人で吉崎と対した。

 吉崎は、目で俺たちをねめつけ、ズボンのポケットに手を入れ「ジャラ」と鳴らした。

「佐倉、おまえか?」

 佐倉さんは震えている。

「私……じゃ……ありません」

「笑ってたじゃねえか」

「私の……ボケじゃ……ありません」

「なんだと!」

 ここは俺が前に出なきゃダメだ。

「佐倉さんはまだ『ウケた』が5個しかないんだ。いくら番狂わせが起きたとしても、当たり前に考えて、他の奴だろ」

「俺っ娘! おまえか!」

 吉崎は俺の鼻先までにじり寄ってくる。佐倉さんのときと違い、男子の俺には容赦する気がない。

 喧嘩慣れの差があるにしても、俺だって「男」だ。ここで折れるわけにいかない。

「俺だって、『ウケた』を集めるグループに4人しかいないんだから、吉崎の親衛隊を突破できるわけないじゃねえか」

 いくら俺が男子だといっても、ここは衆人環視だ。吉崎だって、そんなに乱

暴はできない。ポケットのあれも、音で想像を膨らませるだけで、実際にここで使うわけじゃない。ひるまず強気に出ればいい。 

「じゃあ、なんでおまえらだけが笑ってるんだ!」

「ギャグセンスの差じゃないの?」

 俺は吉崎の鼻先でひときわ大きく笑ってやった。

 吉崎が振り向いた。そのとき、俺の左足に蹴手繰りが来た。

 俺はバランスを崩し、地面に手をつく。佐倉さんがかがみ込み「大丈夫?」と声をかけるから「大丈夫」と(力なく)答える。

「佐倉! 俺っ娘! 覚えてろよ!」

 吉崎は捨て台詞を吐いて俺たちから去る。校庭の皆は、吉崎に従順の姿勢を示すため、佐倉さんと俺に「馬鹿が」とか「終わったな」とか悪態をついていく。

 俺たちはすっかり孤立した。地面に手をつく俺の姿は無様だ。でも、隣の佐倉さんが肩をさすってくれた。

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