3-7 2018年9月4日~9月5日 - 二人の過去

 俺は帰ってから、高加良と相沢さんにStringで連絡した。高加良は軽いノリだったけれど、相沢さんは「顔で選んだんじゃないの?」と不信感バリバリ。まあ、あの人は馬鹿を信じないのがデフォだから、ここで引いてはいられない。

 二人にbocketのボケを送ったところで、佐倉さんを思い出した。高加良と相沢さんの二人を差し置くわけにはいかないから、bocketの方はまだ友達申請していなかった。俺の『ウケた』の数では防御にならないかもしれないけれど、せっかくいい感じになったのに、送らないのも残念な気分だ。

 俺は、今日友達登録したStringを早速取り出した。


                    佐倉さん、bocketの方は

                    高加良と相沢さんと

                    話をつけないともめそうだから

                    友達申請しなかったけど、

                    分かってもらったら、今度こそ、


                    友達になろうね


 一分。二分。五分。返事は来なかった。俺が風呂に入って、上がったところで、スマホの通知LEDが光っていた。俺はスマホの画面ロックを解除した。


  明日、

  そばにいてもらえませんか?


 え?

 これって脈あり? むこうもその気?

 その夜、俺は寝られなくて、朝日をばっちり拝み、寝ぼけ頭で母さんが作った朝食を食べた。

 学校に行ってからも、高加良はいいけど、相沢さんをなんとか話し合いの場につくところまで説得して、放課後に俺と高加良の教室で集まった。この四人が顔を合わせるなんて、学校生活でこれが初めてだ。

 俺は高加良と相沢さんの二人に事情を説明した。佐倉さんが小学校低学年のときにいじめられて自分の笑い顔が汚いとすり込まれたこと、中学校に入った今でも一部の女子からオモチャにされていること、佐倉さんに悪意はないこと。

「俺が話すのはこんなところだけど、どう思った?」

 高加良は興味ありげに聞いていたのだけれど、友達追加の鍵となる相沢さんの症状が渋い。誰とも、あの高加良とも目を合わせず、不機嫌なんだけれども怒っているわけでもなく、不愉快さを押し殺しているのが顔に出ていた。

 無表情なのは佐倉さんも同じだ。昨日の昼までと同じ、心が死んだ顔。いつもと同じ怪物の佐倉さん。

 どうしてこんなことに?

 高加良が相沢さんをはっきりと見た。

「俺は中学からこの街に引っ越してきたし、楠木は事情を知らなかったみたいだけど、文佳は同じ小学校だったりしないか?」

 相沢さんが口を開いた。

「小学校低学年の、善悪をまだ知らない頃の話よ」

 え? それって答えになってるのか?

 高加良は穏やかなんだけれど笑った様子はみじんもなく、相沢さんに返した。

「善悪を知らなかったから、同級生と一緒になって一緒になっていじめていたんだね」

 俺の脳裏に、小さな佐倉さんに悪意の呪詛を唱える小さな相沢さんが描かれた。

 ちょっと待て。日頃から人格が下劣な人間をさげすむあんたは偽物・作り物かよ! 表と裏は違うってことか? 高加良はバカップルだから優しく諭すだろう。そんなものじゃ生ぬるい。

「あんた、佐倉さんがどれだけ傷ついたか分かってるのか?」

「だから善悪を知らなかった小さい頃の話だって言ってるでしょ! 学年の八割はいじめに参加してたわ。何が起きるかなんて分からなかったのよ」

 相沢さんの態度は、いつもの相沢さんなら一言で切って捨てる、逆ギレだった。

 佐倉さんが俺を見た。表情が死んでるけど、すがるような目つきだと俺には分かった。

 俺がグループのメンバを話してから沈んでたのは、俺に「そばにいて欲しい」と言ったのは、これだったのか。

 この修羅場に高加良は穏やかな表情を崩さず(だから賢人を通り越して馬鹿だとみんなに言われるんだ)相沢さんに問うた。

「文佳の小学校、一学年何クラスあった?」

 相沢さんは虚を突かれたけれど、信頼している高加良の質問だから、おとなしく答えた。

「三クラスあったわ」

 三クラス…… ということは学年で80人はくだらないよな。その八割以上。少なくとも60人は「おまえの笑い顔は汚い」と刷り込み続けたのか。それは事実だと勘違いして全くおかしくない。

「そんな大人数でいじめて、佐倉さんがどんな気持ちだったか分かってるのか? いまさら開き直って、佐倉さんのこと考えてないだろ」

「分かってたって謝ってすむ問題だと思ってる? もう何年も費やして、過ぎた時間は戻らないのよ!」

 そうか。

 俺は、ひるんだ。

 高加良は俺と相沢さんの間に割って入った。

「楠木、いったん静まろう。楠木は佐倉さんに同情するだろうけれど、俺には文佳も大事なんだ」

 この場には、熱くなっている俺と、過去の失敗からの逃げ場がないことに苦しむ相沢さんと、いまだに相沢さんが怖い佐倉さんがいて、高加良一人が平静だった。

「楠木、おまえは顔のことでからかわれてばっかりだったけど、まわりが羨ましく思っていたことは気づかなかったか?」

「佐倉さんの話に関係ないだろ。質問に答えると、男が女みたいな顔していいことないだろ。こんな顔が羨ましいはずないじゃないか」

「楠木は自分の立場でしか見えてないんだな。楠木の顔、そこらの男性ホルモンダダ漏れのニキビ面より女子からの印象はよっぽど良いんだぞ。そんなのまわりの男子はみんな勘づいてる。羨ましい。悔しい。だからからかって自分より下の見下せる人間にしたがるんだ」

 確かに、佐倉さんが俺を頼ってきたのは、おそらく、俺の顔で好印象を持ったからだ。そう言われるとぐうの音も出ない。

「男子が女子みたいな顔をしていてもそうなんだ。女の子が絵に描いたような美少女だったら、周囲がどれだけうらやましがると思う?」

 高加良は視線を佐倉さんに向けた。佐倉さんは全身固まってしまう。

「だからっていじめていいってのか?」

「よくはないけど、子どもってそんなに聖人君子か? 人間は天使じゃない。悪意もサディズムもある。小学校の中で当時の佐倉さんは、ただそこにいるだけ、何も悪いことをしていない、というのは今なら分かる。でも、いるだけで何もしなくても人から好意をもらえる生まれつき恵まれた人間を見て、そのまま好意を捧げていたら、ふと、自分が損していると思う。憎らしいと思う。辱めたいと思う。その結果、恵まれた人間が好意を得続けるか悪意を浴びせられるかは、紙一重の運だ。そして人は謝ろうとしない。後から謝ってもらえることは、まずないことなんだよ」

 そりゃ子どもがすることはその程度かもしれない。特別に恵まれた人間を引きずり下ろして楽しいのは俺だって感じる。でも、何もしてないのに嘘を信じ込まされた人がここにいるんだ。

「じゃあ黙ってろってのか?」

「でも、今なら事情が分かるよな」

 高加良の言葉は相沢さんに向けられていた。

「文佳、いじめられっ子がいじめっ子から謝ってもらうことは滅多にないけど、その滅多にないチャンスをつぶすことはないんじゃないかな。もう善悪が分かる年なんだし」

 相沢さんはむっすりしたまま立ち上がった。佐倉さんの前に歩み寄る。何する気だ? 手を上げたら承知しないぞ! 俺が間に入ろうとしたところで相沢さんが腰を折って深く頭を下げた。

「佐倉さん、小学校ではごめんなさい。あれは、私が何も分かってなかったから。許せないかもしれないけど、悪かったって思ってることは分かって」

 佐倉さんは驚いて、「それほどでも」というときのように両手を横に振った。

「いや、私だったら、大丈夫ですから」

 大丈夫じゃなかったじゃないか。俺は割り込む。

「佐倉さん、正直に言っていい。ここで取り繕って強い人のふりしちゃダメだ」

 佐倉さんはしばらく間を置いてつぶやいた。

「あのとき、みんなが、怖かったです。今でも、怖いです」

「ごめんなさい」

 佐倉さんと相沢さんがしばらく黙り、間が持たなくなったところで相沢さんが頭を上げ無言で椅子に座った。二人が申し訳なさを抱えていた。

 しばらく時間が流れたところで、あ、本題がまだ終わっていなかった。

「ところで、bocketの仲間の件なんだけど……」

「もう話し合いはいらないんじゃないかな」

「何も話し合ってないだろ」

 心配する俺の横で、相沢さんがばつが悪そうに無言で自分のスマホを佐倉さんの前に差し出した。画面には二次元バーコード。おびえている佐倉さんはしばらく見ていたけれど、何かに気づいたのか慌ててポケットを探り、スマホを取り出して相沢さんのスマホの画面を撮影した。そしてスマホを操作すると、相沢さんに視線を送った。視線を受け取った相沢さんはスマホを操作して、佐倉さんに目配せして一つうなずいた。

 無言のうちに二人の和解が成立した。

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