第四話 決断の時
「懇意の出版社の支社がセリセアにある。そこで新聞の号外の準備をしているんだ。内容は……難民たちにリスタルじゃなくハルミドに行こうって呼び掛けるものだ。それを読んで少しでもリスタルを避けてくれれば、犠牲者は減る」
「それで、あたしたちは何をすればいいの? というか、あたしたちに何か出来るとも思えないんだけど……」
しかしティリダはニヤリと笑った。それが妙に悪戯っぽくて鼻につく。
「ここの難民キャンプでは君たち……正確には君たちのウォール・バンガーは有名だ。アンダー・コマンドを蹴散らして難民を救ったからな。だから君たちがハルミドに向かうって大きく見出しを打てば、それに
ルシルはそれを考えてみるが、余りにも雑然とし過ぎていて上手くまとまらない。
ウォール・バンガーはそんなに有名だろうか。どちらかと言えば避けられているような雰囲気が強い。皆が同調してくれるとは思えない。それに新聞なんかに載ってしまうとアンダー・コマンドと同胞団、どちらからも狙われるかも知れない。さらにそれ以外の難民からの視線も怖い。
面倒に巻き込まれることしか思い浮かばない。
「そんなに上手くいくようには思えないわ。それにあたしたちは新聞なんかには……」
「それはこっちでするさ。何たって新聞は“嘘、大げさ、紛らわしい”は得意分野だからな。何か大きく目を引く材料さえあればいいのさ。というか、現状では君たちしかいないってところなんだがな。もちろん君たちの名前が載るなんてことはない。そうだな、適当な愛称でも考えて……まあ、その辺は上手くやるからさ」
テラリスがリスタルに進攻するのは当然だろうと思う。ルシルの誤算は同胞団が予想外に脆いということだった。難民を人間の盾にするつもりなのかはわからない。しかしリスタル陥落などということになるのならば、そこを目指す理由はない。
「そのハルミドってどういうところなの?」
「入植初期に作られた鉱山者の宿場町だ。リスタルから南西に二百六十キロくらい離れている。リスタルが鉱山都市として活動の中心になってからは
うーんと考えていると、リコットが耳打ちした。
「ダメよ、ルシル。絶対に危ないことになる。だってわたしたちのことが周りに知れ渡るんですよ? ただでさえ……わたしたち、歓迎されてないみたいなのに、それでどんな目に合うか……」
ちらりと彼女を見る。リコットは胸に手を当てて不安そうにルシルを見上げていた。アミナにも目をやるが彼女も黙って首を振った。
自分から危険を呼び込むような行為には間違いない。だが罪のない難民が多く死ぬのはルシルも嫌だったし、そのために出来ることがあるなら、という思いも少なからずあった。
「ちょっと考えさせてもらってもいい? あたしだけで即断は出来ないわ」
「いいけど、そんなに時間はないぜ。この難民キャンプも期限がある。あと四、五日でULGも引き上げるし、難民だって早く避難したいはずだ」
わかったわ、とルシルは返したが、答えはまだ闇の中だった。
食事の後、ウォール・バンガーに戻った。キィンはあれから姿を見せていない。アミナは一緒に来た難民たちの元に帰って行った。仲間や家族というわけではないが、見知った顔が多くいるところが安心するのだという。
ウォール・バンガーの胸の扉を上げて中に入ろうとした時、リコットが困惑した様子で声をかけてきた。
「ルシル……ちょっと気になることが……」
何? と聞き返すが、彼女は妙に周囲を気にしていた。一緒に中に入り、扉を閉めてロックをかける。
「どうしたの?」
「回りに足跡がたくさんあるの。車体の上にもあって……何か調べていたか、漁っていたのかも……」
それにドキリとする。持ち物は多くはない。運転席の回りを見回しても無くなったものはなさそうだ。
一応、出入り口の扉は外からでも簡易な電子ロックがかけられるようになっている。解除にはパスワードが必要で、それは運転席のモニターに表示させることが出来る。だから知っているのはルシルとリコットだけのはずだ。後ろのコンテナは空っぽ、盗られるようなものはない。もっとも部品を外されたり壊されたりすれば、最悪、動かなくなる可能性はある。
「これからは気をつけて……出来るだけウォール・バンガーの中にいるようにして。外に出るのは必要な時だけで扉は必ずロック、いい?」
リコットが頷く。難民キャンプ、誰が紛れて潜んでいるかわからない。その恐怖がずっしりとのしかかってきた。
その夜はリコットと一緒にウォール・バンガーの中で眠りについた。それが一番、安全だった。難民キャンプではテントと寝具の貸し出しもやっていたが、余りにも無防備過ぎる。
何時ものようにリコットの体を抱いて毛布に包まるようにして眠る。扉だけでなく幾つかの覗き窓も閉め切り、灯も点けなかった。だから中は完全に闇に閉ざされていた。
リコットは先に眠りについたようだった。その温もりと静かな寝息を腕の中に感じながら、ルシルも少しずつ意識を夢の中へと埋没させていった。
どれだけ時間が経っただろうか。ルシルは小さく自分を呼ぶ声と体を揺さぶられる感覚にゆっくりと意識を取り戻した。
「……シル、ルシル」
「な、あに、リ、コット……」
耳元に彼女の息が吹きかかる。それを避けようとした時、確かに聞いた。奇妙な物音、それもひとつやふたつではない。周囲に複数、それが響いてきてそれで不意に覚醒した。ぞわっと鳥肌が立って、寸でのところで声が出ようとするのを何とか押しとどめる。
どこから? 外?
ルシル、とリコットが話しかける。耳元だがそれでも聞き取れるかどうかギリギリの声量であった。
「外に誰かいるみたい。それも何人か。さっきから回りを歩き回っている」
「まさか……誰?」
「わからない……でも……怖い……」
リコットは震えていた。ルシルはその体をしっかりと抱いて、音の動向を見守った。それは確かに運転席の外から聞こえていた。回りから同時に響いていて、数人はいるようだった。神経を研ぎ澄ませると、たくさんの気配を感じられた。
そしてまさぐるような擦れるような音、内容が聞き取れないほどのボソボソ声、ついには覗き窓をつついたり、正面の扉をこじ開けようとするような音まで響いてきた。
ひっ、と小さくリコットが悲鳴を上げる。ルシルも恐怖の余り自分の口に手を当てていた。
不意に、その音が止まる。
耳を澄ますと声が聞こえてきた。それは小さくやや高い、若い女の声だった。
「あの、そのビルド・ワーカーの方ですか?」
しかしそれに返事はない。
「私、お礼を……パパやママが危ないから行くなって……だから夜中にゴメンナサイ。でもどうしても……」
その直後、アッ、という声と一緒にドサリと何かが地面に崩れるような音がした。
周囲が静まり返る。しかし気配はまだあった。
それが不意に、まるで強い風がとおり抜けるかのように急に遠ざかって行った。
息を殺してルシルは待った。胸に顔を埋めて震えるリコットを抱いてそのまま長い時間、しかしもうそれ以上、声も音も聞こえなかった。
知らない間に眠っていたらしい。ルシルは目を覚ましたが、意識が朦朧としていて直ぐに自分がどうなったのかわからなかった。ただ胸にはずっしりと温かいリコットの感触だけはあった。
運転席の周囲がうっすらと明るかった。もう夜が明けたのだろうか。頭をふって徐々に意識が戻ってくると、夕べの恐怖が蘇ってきた。
あれは何だったんだろうか? 誰かが何かを探っていた? 誰?
まだ戻りきらない意識のまま、恐怖に押し潰されそうになるのを必死に耐える。リコットの体温を感じていたからこそ恐怖に耐えることができた。彼女の髪を撫でながら心の中で感謝する。
その時、扉を叩く音がした。大きな声で、誰か中にいるのか、と問いかけられる。
ルシルはそれにビクリと体を震わせ……しかしもう陽が昇っているだろうことと、声の大きさに夜のような恐怖は感じなかった。
「は、はい!」
「どうしたの、ルシル……」
寝ぼけながら問いかけるリコットを床に下ろして、ルシルは扉を開けた。まぶしい光が飛び込んでくる中、大きな
「このビルド・ワーカーは君たちのものか?」
「は、い……ああ、いえ、いや、はい、そうです」
まさか知らない街の工場にあったものを乗ってきたとは言えない。話を複雑にしないためにも、余計なことを言うのは止めた。
「そうか、私は……こういう者だが」
といって胸にぶら下げた何かのカードを示す。そこにはULG難民キャンプの運営責任者と記されていた。
「少し話を聞きたいのだ。君たちは昨日の夜もここにいたのかね? 何か変わったことはなかったか?」
そう聞かれて真っ先にあの不可解な音が頭に浮かんだ。
「夜中に……誰かがこの回りにいて……ひとりやふたりではなかったと思うんですけど……。その……何かあったんですか?」
彼は少し沈黙した後、重そうに口を開いた。
「昨日、ここで殺人事件があったんだ。女の子が銃で撃たれて殺されてね。どうも彼女は夜に両親のところを抜け出してここに来たらしい」
殺人、と聞いて背筋にぞくぞくと悪寒が走る。
「そ、それは、どうして……」
「君たちに助けられた娘なんだよ。親からは反対されていたが、君たちに礼が言いたいとずっと言っていたそうだ」
「それで撃たれて殺されたって……」
彼は首を振る。
「わからない。どうして殺されたのか。こんな状況だ、我々にはどうすることも出来ん。難民は元よりULGスタッフの身に危険が及ぶようなことがあれば、キャンプの撤収も考えねばならん」
「あ、あたしたちは何も! それに昨日は夜中にこの回りを何人かが探っていて……」
その時、ふと若い女の声がしたのを思い出した。それが殺された彼女だろうか。見ず知らずの少女が自分たちが原因で殺されたというのだろうか。それにあの時、間違って外に出ていたらと想像したら、悪寒はますます酷くなった。
「ああ、夜警の者が、ここから逃げていく数人の人影を目撃している。君たちがキャンプに入る時に身体検査や持ち物検査もしているから、犯人だなんて疑っているわけじゃない。ただ、キャンプに不都合なことがある場合は……」
ルシルはウォール・バンガーの中で運転席にもたれながら膝を抱えていた。その横でリコットも一緒に肩を寄せていた。
「これ以上問題を起こすようなら出ていってくれ、そういうことよね……」
「わたしたち、何もしていないのに……」
リコットは泣きそうになっていた。ルシルも悔しかった。犯人ではないにしても自分たちのせいだと言われたのだ。ただ立ち寄っただけの難民キャンプで邪魔者扱いである。
難民がウォール・バンガーを奪おうとしていたのだろうか。それとも紛れ込んだ同胞団かアンダー・コマンドの連中だろうか。まさかキィンやその仲間の仕業だろうか。ルシルは色々と考えてみたが、どれもこれも想像だけで、疑いだせばきりがない。
ただこのままここに留まれば同じようなことが起きるだろう。昨日は夜中だったが、白昼でも襲われるかも知れないし、殺されることだって有り得る。
「こんなところ、もう居たくない。ルシルと一緒に行きたい……」
「あたしも……。ねえ、もうここから出てハルミドに行かない? ここに居たって嫌な思いをするだけだわ」
リコットは頷いた。
しかしルシルはどうしても我慢がならなかった。このまま逃げ出す前に、それだけはやっておこうと心に決めた。大きな置き土産を残していくのである。
ルシルは立ち上がってリコットに告げた。
「今からティリダに会って来るわ」
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