新月の宵闇

 錬金術都市を魔王が襲う少し前、墓守の町でも事件が起きていた。

 イライザが留守番をするカモミール治療院を訪れるものがあったのだ。

 最初にあったのは、庭木が揺れる音。続いてノックの音がした。

「どなたですか。こんな暗い夜に」

 イライザはドアを睨んで言った。

再びノックの音がした。今度はもっと激しく。肘で叩いているかと思うほど大きくなり、ついにはドアを蹴破ろうとするかのような激しさとなった。

「やめて、やめてください! ドアが壊れてしまいます‼︎」

 イライザが叫ぶと、ドアを叩く音はピタリと止んだ。

 静寂があたりを包む。地虫の鳴く声がやけに大きく響いていた。

 イライザはそっとドアの近くへ歩いていく。音を立てないように。ドアの内側にはクラリスが持ってきてくれた魔避けの札が貼ってあった。これがあれば、生ける屍アンデッドは中には入れない。ドアだけでなく窓にもすべてお札が貼ってある。封印は完璧だ。

 静けさはさらに深まり地虫の声さえ途絶えた。

 あまりに音がしないので、イライザは自分が息をする音が気になってきた。心臓が早鐘を打つ音も。まったくの無音はかえって人を不安にさせるものだ。

 外のもの音を捉えようと、イライザはドアに頭をつけ耳を澄ました。無音と思ったそのあとに、

「いるんだろう。開けてくれ」

 囁き声がした。ドアに頭をつけていたせいか、その声は彼女の頭のなかに直接響いてきたように思われた。

「お願いだ。どうか、このドアを開けてよ。ねえ」

 甘えた声。イライザはその声が彼女の亡き夫、バーク・ラズモフスキーのものであると思った。しかし、それでも彼女は言った。

「どなたか存じませんが、明日になさってくださいまし。雄鶏が夜明けを告げた後に」

 言った後で、イライザのなかで疑問が首をもたげる。死人がここまで喋れるものだろうかと。骸骨兵士スケルトンもゾンビも死霊リッチーも叫んだり骨を鳴らすことはあっても、会話することはしない。ドア越しに立っているのは生還を果たした彼女の夫ではないのか。

「やっと許しが出て戻ってきたっていうのに、じれったいな」

 それを最後に声はしなくなった。

 イライザはずっとドアに耳を押し当てていたが、何も聴こえてこなかった。思い切ってドアを開けてみたい衝動を抑える。そして、一歩いっぽと後ずさりし、ドアから目を離さないまま寝室に向かう。寝室のドアを開け、閉める。そこにまたしても貼ってあるお札が目に入った。アンデッドから身を守る多重結界が完成していた。

 イライザは眠り、一番鶏の鳴き声で目覚めた。

 そして寝室を出て、玄関のドアを開ける。一瞬、違和感があった。開けようとしたドアを閉めようと思った。しかし、閉まらない。革靴が挟み込まれていたから。その靴の持ち主はと彼女は顔をあげ、ドアの外を見た。

 そこには朝の光に満ちた世界ではなく、新月の無明の闇が広がっているだけだった。

「クックドゥルドゥルドゥ!」

 腐った肉塊が人間にはでき得ない精巧さで鶏の鳴き真似をする。その声音にまんまとイライザは騙され、夜を朝だと信じこまされたのだった。

 イライザは腕を掴まれる。その腕には皮膚がなく骨のうえに腐肉がからみついているだけだった。

「助けてぇ!」

 イライザは悲鳴をあげたが、その声も闇に飲み込まれたか、誰の耳にもとどくことはなかった。

 新月の宵闇のなかイライザは消えた。

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