地獄の始まり


 徹夜で戦いの準備をするぜ。そう思って「古の門」を通り、ねぐらのある町に帰ってきたガストンが目にしたのは、燃えさかる町だった。

 森から始まり、ギルド会館のすぐ近くまで、町の半分が炎に包まれている。

「チクショウ、馬鹿の一つ覚えでまた火をつけやがったか」

 一緒に来たオリヴィアは燃える家々を見て眉をひそめ仁王立ちしている。クリノリンスタイルのドレスの上に長い白衣を羽織った姿。白衣は炎を映して赤く見えていた。

 ガストンは心底、炎を腹立たしく思う。心の底にドスンとくるほどこたええるのだ。水が十分にないこの町で、炎を消す手立てはない。延焼すると水魔法の類などでも太刀打ちできるものではない。見慣れた風景が燃やし尽くされる嫌な感じ。火攻めは見る者は戦意を喪失させる――しかめ面をしていたガストンがあることに気づいた。森が燃えているということは……。思い至ったガストンは大声をあげずにはいられなかった。

「おい、ララノア。ララノアはどうした。誰かエルフの女を見なかったか!?」

 逃げていこうとしている町の人たちに尋ねる。この町にエルフはララノアひとりしかいない。逃げてきていれば誰かが気づくはずだ。しかし、目撃者はひとりもいなかった。

「ララノア!」

 改めて森を見る。真っ赤に燃えていた。あのなかにまだララノアが――無意識に一歩踏み出したガストン。その前に立ちふさがる者がいた。クラリスである。ガストンの倍もあろうかという上背、そして筋肉質の分厚い身体が、壁となってガストンを堰き止める。

「ガストンさんはソフィアを助けに行ってください。エルフの方は私が探しましょう」

 クラリスの声はガストンの頭上から降ってくる。

「ありがてぇが、あんたは陣頭指揮にあたったほうがいいんじゃないかい」

 見上げてガストンが言う。

「今回は『悪たれ令嬢』に任せます」

「はあっ?あのトンチキな錬金術師にか。オラァついていけねえゼ」

「大丈夫。戦場では頼りになります。あれはそういう女です」

「はぁはぁ。そういうタイプか。あんたが言うんなら仕方ねえ。ソフィアも早く助けなきゃいけねえしな」

「そういうことです」

 言い残しクラリスは駆けていく。甲冑をつけているというのに速かった。彼女の姿はすぐに炎のなかに消えた。

「てわけで、あとは俺たちだけってわけだよ。お嬢様」

 槍の石突を足の上に乗せ足首を上げる。それだけで槍はポンと飛び上がった。両手で握り、大戦墓苑に槍の穂先を向けて構える。

「槍と錬金だけじゃ要素が足りない。クラリスがお前の古巣の連中に声をかけてくれてる。そして、いま、私もここで声をかけよう」

 オリヴィアは白衣を脱ぎ捨て、深呼吸すると声を張り上げる。

「魔王討伐クエストが発布されました! 報酬はおひとりにつき金貨100枚。魔王を斃した者にはさらに1000枚。王国軍にかわり世界を救える勇気ある方はいらっしゃいませんか」

 育ちが良かったせいか、着ているものがいいせいか、それとも本当は実際にそうなのか、胸の前で両手を組み祈るように訴えるオリヴィアの姿は可憐なお嬢様にしか見えなかった。

「若い男は、こういうのにコロッと騙されたりすんだよなあ、怖い、こわい…」

 ガストンは炎に焼かれた頬を搔きながら言う。

 老人の言った通り、我先に逃げようとしていた男たちが何人か集まってきた。

「ああぁ、ちょろい。ちょろいわ、お前ら…」

 そう言っている間にもさらにぞろぞろと男たちの数は増え、彼らと同じパーティーに属しているであろう女たちも加わった。

「おいおい、これから行くのは地獄だぜ、あんた何考え…」

 ガストンはオリヴィアの顔を見た。無表情だった。すでに覚悟を決めた人間の澄んだ目をしていた。

「わかった。やるっきゃねえもんな」

 ガストンも心を決めた。何人死んでも魔王は斃すし、ソフィアは取り戻すと。

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