第3話 ドレス




「お前、娼婦だったのか?」




部屋に向かう昇降機の中で問いかけるも、アヤメは目を合わせることもなく無言のままだった。

長い睫毛が顔に影を落としている。



部屋は高価そうな家具や調度品で彩られ、床から天井まで届く掃き出し窓からは帝都が一望できた。

流石は一流ホテルと言ったところか。しかしあの女もよくもまぁ、こんな部屋を用意したものだと感心する。


ヤマトはソファに深く腰掛け、アヤメにも座るように促すが、どうすればいいのか分からないかのように、俯き加減で入口の扉の前で立ち尽くしたままだった。


「そんなに怖いか?私が。」


「いえ……。貴方は優しそうな人だから……。」


「目の前で人を殺されておいて、よくそんな言葉が出るな。」


ヤマトが鼻で笑った。


「そう警戒するな。私はお前を抱く気なんかない。お前にはいくつか質問がある。」


俯き加減だったアヤメが、僅かに目線だけを上げてこちらを見たタイミングで、ヤマトが口を開いた。



「あの薬の中身を調べさせた。」


「……!」



表情が強張ったところを見ると、どうやらあの夜、落として行ったガラスの小瓶の中身が何なのか理解しているようだ。



「幻覚作用のある麻薬だ。生成も所持も使用も違法なものだ。売買する目的で所持しているだけで死刑になる可能性だってある。まさかお前が使っているんじゃないだろうな?」


「……。」



どれくらいだろうか、2人はしばらく無言のまま見つめ合っていた。まるでお互いの感情を探るかのように。


しばらくしてアヤメがふっと目線を落とすと、ゆっくりと窓の前に立った。背を向けたまま、ほとんど消え入りそうな声で呟く。


「……薬なんて興味ないです。父の仕事の手伝いをさせられていただけ。父と言っても義理の父親だけど……。」


「要するに薬の運び屋だったのか?帝都を仕切る麻薬組織は、軍と警察によって壊滅させられたはずだが……。」


景気の悪化からか、麻薬に手を染める若者が増え、帝国としてはそれらに関わる者を厳罰に処す事とした。そして薬物の供給源を経つことに着手し、軍と警察の合同チームが組まれ、麻薬組織の壊滅に成功したのは記憶に新しい。ヤマトは当事者ではないが、そのことは知っていた。組織のボスが現在、聴取のため軍に拘束されていることも。


「父は、違法賭博経営に売春斡旋、人身売買に絡む、とにかくクズ中のクズみたいな男で、組織が壊滅させられたのをいいことに、今度は組織に代わって薬物売買を始めたんです。」


「あの時、お前を追っていたのは?」


「麻薬組織の人間です。組織の人間は、トップから末端の構成員まで逮捕されたと聞いていたけど、残党がいたみたい。それで父のことを嗅ぎつけて……。あの時、貴方のお陰で逃げられたけど、私が薬を落としたせいで、薬の受取人と父の怒りを買って仕事の報酬はなし。損失の穴埋めの為に父に売られて娼婦に。……笑っちゃうでしょ?」


ただ淡々と事実のみを語られるその言葉には、決して同情が欲しいわけではない、どこか諦めの響きがあった。


「なるほど、な……。」


ヤマトは1つため息を吐いてソファから立ち上がると、アヤメに背を向けた。


「金なら渡す。お前は適当な時間に戻れ。私は帰る。」


娼婦の女を差別するわけではないが、特に関わり合いを持つつもりもなかった。とは言え、彼女が娼婦にならざるを得なくなった経緯には、自分と出会った夜の出来事がきっかけになっていたし、少なからず負い目を感じる部分もあるので、とりあえず金だけでも渡すつもりでそう言った。


「待って……。」


そう引き止める声に振り向くと、アヤメが身にまとっていた赤いドレスがするりと音を立てながら足元に落ちた。

白い肌と、見事な曲線が露わになる。

自ら望んで娼婦になったわけではない彼女が、こちらにその気はないと言った以上、そんなことをする必要もないはずなのに、少し驚いた。


「何を……」


「この前のお礼ができてませんから……。」


誘うような言葉とは裏腹に、にこりとも笑わない表情と生気のない瞳は、まるで精巧なビスクドールとでも相対しているかのような気分にさせる。

なので、一歩、距離を近づけられたとき、思わずどきりとさせられたくらいだ。体温と混ざり合い湿度を孕んだバニラのパフュームの香りが鼻腔をくすぐる。


「それとも……私じゃダメ?」


「いや……、お前は綺麗だからな。」


そう言われたアヤメは、少し戸惑ったように目を伏せた。


「娼婦なんてやめたほうがいい。お前には向いてない。娼婦になって、これから先、人並みの幸せが手に入ると思うなよ。」


「わかってます。でも、私は逃げられないんです。このご時世、教養なんてない女は体を売って生きていくしかないでしょ?」


「……。」


男でも仕事に困る時代だ。それが女なら尚更だろう。

金も職も教養もない女は身体を売って生きていくしかない。


「それに私は、幸せだったことなんて一度もないです。たぶん、これからも……。誰かに愛されたことも、男の人に優しくされたこともない。だからあの夜、貴方が助けてくれて嬉しかった。貴方は、私に初めて優しくしてくれた人。」


彼女は美しい。

誰が見てもそれは揺るぎないはずだ。

それは女の最大の武器であり、彼女の美貌に惹かれる男など、いくらでもいるだろうに、誰も手を差し伸べてくれなかったのだろうか。



「あれから毎日、ずっと貴方のことを考えていました。こんな形だけど、また会えてよかった。」



首に腕を回され、瞬きの音さえ聞こえそうなくらいの距離で、赤い瞳が見つめてくる。


宝石みたいだ。


そう思った直後、なんて陳腐な表現しか思いつかないんだろうと心の中で自嘲した。



アヤメを軽く抱き上げ、寝室のベッドにそっと下ろす。アヤメを見下ろすように組み敷いたヤマトは、白手袋を咥えて外すとアヤメの頰に指で触れた。白く温度を感じさせないその肌は、見た目とは違い、ほのかに熱を帯びている。その指先を徐々に唇に移すと、アヤメは優しく食むような仕草をした。その淫靡さに、ヤマトは僅かに目を細める。


「……後悔するぞ。」


「貴方になら、後悔させられてもいい……」





そうして2人は、シーツの海に沈んでいった。










琥珀色の液体の中で、氷がからん、と音を立てる。

「あの子はうまくやっているかしら。」

すっかり薄まってしまったウイスキーを指でかき混ぜながらエリザは呟く。


「それはあのお嬢さんのことか?それともヤマトのことか?」


「両方……かしらね?」


マクシミリアンは、唇から煙草を離すと1つ、煙を吐いた。


「あれは堅物に見えて、女性の扱いは心得ている。女性に恥をかかせるような真似はしないさ。」


「総帥は、部下のことをよくご存知なのね。」


「そうだ。あれは私の期待を裏切ったことがない。一度も、……な。」


含みを持たせた言葉で、唇の端を持ち上げて笑った。

その自信が、いつか足元を掬われなければいいのだけど。

エリザがマクシミリアンの横顔を見つめる。煙草を灰皿に押し付けた時、「お客様っ……?」と言う、緊張感のある声が聞こえてきた。ピアノの演奏が中途半端なところで終わり、クラブ内は急に剣呑な雰囲気に飲まれる。

その方向に視線を向けると、この場に相応しくない格好をした男たち数人がクラブ内を見渡していて、何やら話した後、こちらに向かってきた。

体格のいいスキンヘッドの男がマクシミリアンを見下ろす。太い腕には悪趣味な刺青が彫られている。


「お前、マクシミリアンだな?」



問いかけられたマクシミリアンは答えることも、男の顔も見ようともせず、もう何本目かの煙草に火をつけようとすると、男がサーベルの切っ先をマクシミリアンの喉元に突きつけた。

近くのテーブルの女が悲鳴を上げる。


「護衛もつけずに随分、不用心じゃねぇか。帝国軍の総帥ともあろうお方が。」


「……顔が知られているようで光栄だね。で、君たちは誰だ?」


サーベルを突きつけられているのにも関わらず、その表情は余裕すら伺える。

男はニヤリと笑う。


「お前らに壊滅させられた麻薬組織の人間だよ」


「……。」



マクシミリアンがゆっくりと男の顔に視線を向けた。

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