第1章 |異言《カイト》⑩

 風が吹く。眠る私をとがめるように。

 光が揺れる。何かを諭すかのように。

 

(……ぅ、ん?)


 まぶたを開く。そこに在るのは、柔らかな陽に包まれた小さな庭園。

 けして、先に感じたマイナスなイメージはない。

 それなら、どうして。

 身を起こそうと試みた刹那、庭園の様相がほどけて消えた。


(あぁ)


 夢か。

 それだけを理解して、私は新たな世界が実を結ぶのをただ待った。

 こういう夢は、流される方が幸せな結末になる――そういう経験則があったから。

 ふと、夢にまつわる人物のことを思い出す。自分の許婚でもあり、どこか不思議な神呪アルカナを持つ青年を。

 記憶をほとんど持たない彼は、アルカナを強く望んで使ったときだけ、記憶を夢で取り戻す。どうしてか、私もそれが真実なのだと、今でもはっきり確信してる。

 その夢が、本当に“記憶”である保証なんてどこにもないのに。

 彼のことを思い出したからなんだろう。景色がにわかに赤茶けて、荒野の中へと変化していく。荒野には四人の姿があって、私は引いたところから、まるで傍観者か何かのように立っていた。

 そこにいたのは、今よりもっと幼い私と、それを背中に背負った父と、地べたに座る幼い少年カイト

 そして。


(……だれ?)


――生成りのドレスを身に纏う、小柄な少女の姿だった。

 少女はカイトの背を抱いて、悲しげに目を伏せている。

 まるで、そこに引き留めようとするかのように。

 けれど、カイトは気づかない。

 そもそも、あのときの私の記憶に、こんな少女の姿はなかった。誰も気づかなかったのか、あるいはそもそも、この夢が見せているだけの幻なのか。正体が分からぬままに、記憶の景色は動き始める。

 父がカイトを見つけ出し、彼を“家族”として受け入れた日の出来事が。

 父は彼へと問いかける。けれど、その言葉は聞き取れなかった。

 それだけじゃない。この明晰夢せかいには、音という概念が欠落していた。

 カイトは頷き、おもむろに父の手を取る。

 やはり、生成りの少女に実体はなかったらしい。カイトはあっさり少女の腕をすり抜けて、父の隣に並び立つ。

 そして、背負われた私に向けて、うっすらと微笑んだんだ。

 ああ、こうして外から見てもよく分かる。

 あの瞬間から、私のユメは始まったんだと。


(そういえば、あの子は)


 ふと、視線を先の少女に戻す。

 生成りの少女は――真っ直ぐこちらに目を向けていた。

 肌が粟立つ錯覚。

 恐怖、ではない。強いていうなら、不気味さが際立っていた。

 なぜならば。

 彼女があまりに純な憎しみの情を、こちらに向けている気がしたからだ。

 

 どう、と強い風が吹く。

 歩き出す三人の姿が消えて、荒野はさらに荒れ果てて。

 気づけばそこは、先ほどまでいた“骸の荒野”となっていた。

 生成りの少女は、そこに立つまま。おもむろに、自身の後ろを指し示す。

 

■れないでXalN'oi, Vee.


 生成りの少女の言葉とともに、景色がズームされてゆく。

 遺骸と岩とが散乱する荒野の中で、ひときわ目立つ風力車、その残骸へと。


■女のユ■が、■えるまではUnnil O'port xi Lis Ches.

 

 そこには……そこには。

 今まさに蟲の群れへと呑まれんとする、カイトの背中が――


          ◆


「――カイト!」

「わあっ、何だ急に、ビビるじゃないか」

「グレンっ」


 悪夢から抜け出すように飛び起きる。

 かけられた声は、カイトのそれではない。部屋が暗くてよく見えないが、これはおそらくグレンのそれだ。


「ねえグレン、カイトは!?」


 声の方へとつかみかかって、テマは問う。

 身体に感じる、長く深い縦向きの揺れ。加えてこの圧迫感だ。間違いなく、ここはモストーラの中なんかじゃない。であれば、モストーラに何かがあったに違いない。


「カイトは今どこにいるの!?」


 本音を言えば、今ここで彼が名乗り出てくれることが一番だった。

 けれど、カイトの声は聞こえない。おそらく、カイトはここにはいないのだろう。

 それなら、どこにいるのか。今、何をしているのか。

 カイトがここにいないなら、

 先ほどまでの悪夢の終わりが、テマの心に影となってのしかかる。

 次々に湧いて出てくる良くない想像。それらを一切合切かなぐり捨てて、テマはグレンを強く揺すった。

 端から見れば、それは錯乱にも見えたことだろう。いや、事実彼女は錯乱していた。だからこそ、本来であれば躊躇うような乱暴を、『剛毅』使いに働いたのだ。

 当然、それは力でねじ伏せられる。


「落ち着け、お嬢!」

「……ッ!」


 グレンの一喝。それだけで、噛みつかんばかりの気勢は一旦鳴りを潜めた。


「安心しろ。カイトはいまモストーラを運転してる」

「モストーラ?」

「確かにだいぶ傷んじゃいるが、本を諦めれば動けたらしい。……この小型艇にはあと二人しか乗せられなかったから、俺とお嬢がここにいる」

「……」

 

 一瞬だけ納得しかけて、押し黙る。

 ひとつだけ、強い違和感を覚えたからだ。


「何って?」


 問い返すテマに、だから、とグレンは再び告げた。


「この小型艇には二人までしか」

「違う、その前」

「本を諦めりゃ、モストーラはまだ動け――」

「嘘」


 テマは確信した。カイトのことをよく知るゆえに。

 カイトは、嘘をついている。


「そもそも、あの本は持って行くってお願いしたの」


 “カロン”から脱出する折、カイトはテマに問うていた。

 曰く、「本は捨てる?」と。……その提案を、テマは既に退けている。

 追いつかれるリスクを考慮してなお、カイトはそれを受け入れた。自惚れるわけではないが、それくらい、カイトはテマの意向を重んじてくれているのだ。

 それを、今更車が壊れたのことで――


「本棚ひとつとか、ほんの少しまでならともかく、カイトが全部捨てるわけない!」

「あいつが嘘をついたってのか?」

「わかんない。でも、そうかもしれない! ペリスコープを出してっ」


 しばし躊躇うように考えてから、グレンは船内の代表者に確認の上天井のレバーを引いた。ペリスコープの細身の筒が、ゆっくりとテマの前へと降りてくる。


「後ろを確認したら終わりだ。皆ナーバスなんだ、あんまり騒いでくれるな」

「分かってる。ごめんね、グレン」

「良い。あんだけ仲が良いんだ、そりゃ心配にもなるだろ」


 悪夢のせいもあったとはいえ、あまりに酷く取り乱していた自覚はあった。

 そう。少し後ろを確認するだけ。それだけで事足りるのだ。

 小さく息を吐いてから、急かされる前に接眼部にその目を当てた。

 そして、数秒。


「……いない」

「なに?」

「後ろに、モストーラがいない!」


 視界の中に見えるのは、遙か地平の土煙と、ただただ広い荒野だけ。

 モストーラの姿もなければ、近くに落伍した痕跡もない。


「グレン、この艇が動いてから何分経ってる?」

「まだ十分も経っちゃいねぇぞ」


 測距ゲージと倍率から地平までの距離をざっくりと想像する。


「……やっぱり、最初から付いてきてない」

「あの野郎」


 騙しやがった、だの、最初からそのつもりで、だのと悪態をつく声が聞こえるが、テマは無視する。はやる心を抑えつつ、ペリスコープの倍率をさらに上げてゆく。


 気になるのはただ一点。

 まだ、助けられるのか否か。


 接敵まで時間があるなら、テマは操舵手を脅してでも反転させるつもりだった。

 今自分がいるこのふねが意識を失う前に見たそれならば、甲翅族の軍勢を二度振り切ることだって可能なはずだ。

 定員超過? 知るもんか。こんな狭い椅子なんか無くたっていい。

 何なら自分が仔ラッコよろしくカイトの上に乗ってやる。

 倍率つまみを巻き上げて、ピント調節。土煙だけが見えていた視界の中に、ぼんやりと、モストーラの残骸らしき姿が見えた。

 喜びかけるも、刹那、テマは自身の心臓が鷲掴まれた感覚を得る。

 黒山の虫たちの中に、虹色の光を散らし、踊り狂う鮮烈なあお

 藍鯨隊士服を纏った彼が、剣と杖とを両手に掲げて戦う姿が見えたのだ。

 圧倒的に、多勢に無勢。

 おそらく既に、彼に生存の途はなく――


「カイトっ」


 テマはたまらず、手近なハッチのハンドルを回す。思ったよりもあっさり回った留め金は、そのまま彼女の勢いに押されるように外へと開く。

 身を乗り出して足を踏みしめた瞬間、腰に誰かが取り付く感触。


「馬鹿やめろ、死ぬ気かお嬢ッ」

「離して、行かせて!」


 今すぐにでも、彼のところに戻らなきゃ。

 衝動じみた感情のまま、テマはもがいた。けれど、下位の『太陽』持ちが『剛毅』使いに力で勝てる道理はない。辛うじて中にまで引き戻されることはなかったけれど、そこで彼女の逃避行は終わってしまった。

 忸怩たる想いが背筋を駆ける。

 どうして自分は、今こんなところにいるのだろう、と。

 私の居場所は、彼の隣であるはずなのに、と。


「なんで、なんで邪魔するの」

「カイトにお前を頼まれたんだ、離すわけないだろッ」


 その言葉に、ああ、そうかと得心がいった。

 先ほどの“本”の話にしても、どこに行っても、護ってくれることにしろ。自分がカイトにひどく大事にされていることくらい、言われずとも実感できていた。

 そんな彼が、テマをこうして自分から引き離している。

 カイト自身が、そうすることが一番安全であると結論づけたということだ。

 周囲を見回す。

 既に一度敵を振り切り、酷く傷んだ小型艇。

 自分を強く掴みながらも、おそらく魔力不足で引き込みきれない『剛毅』持ち。

 ペリスコープの中に見た、魔力の光を迸らせつつ戦うカイト。

 テマには理解できてしまった。

 カイトは自身を、蟲たちの餌にしたのだと。

 それはおそらく、この艇を――ひいてはテマを、生きて国まで返すため。

 だからこそ。

 今更のこのこ戻っても、何の意味もないことが分かってしまって。


――いや。

 まだ、できることはあるはずだ。


「……グレン」

「なんだ? 戻るのは無しだからな!」

「そんなこと言わない! ちょっと手伝って欲しいのッ」

「何をだ!」


 断続的に、縦揺れの衝撃と叩き付ける乾いた風とが襲いくる。

 テマは外側、グレンは内側。必然的に、あらん限りの声量で対話することになる。


「今からアルカナ使うから、落ちないように掴んでて!」


 テマの言葉に、「はぁ!?」というグレンの声が投げ返された。


「お嬢のアルカナで何が――」

「いいからッ」

「……ああもう、好きにしやがれ!」


 その言葉を了解だと認識して、ハッチの蓋から両手を放す。

 腰のほうで何か絶叫が聞こえたけれど、気にしない。


「『我願う、天照らすIl Beque; Lu Sol xi 孤高の光をLumine Azure』」


 後方へと右手を向ける。

 虹色の魔力光が渦を巻いて、ひとつの光球を形作った。

 まだ。

 まだ、足りない。


「『我願う、天照らすIl Beque; Lu Sol xi 孤高の光をLumine Azure』」


 再びの詠唱。

 光球がさらに密度を増して、その色もまた、白に近い黄色へと変じた。

 ふと、出立前の出来事を思い起こした。奴隷商の亜人種たち三人のことだ。

 もしこれだけの光球をあのときに放っていれば、おそらく彼らは失明を免れられなかっただろう。それくらいの出力だ。

……テマ自身の限界に近いと言ってもいいだろう。

 でも。

 まだ、足りない。


「『我願う、天照らすIl Beque; Lu Sol xi 孤高の光をLumine Azure』」

「『孤高の光をLumine Azure』!」

「『孤高の光をLumine Azure』――!」


 圧縮に圧縮を繰り返されて、もはや輝く点と化した光球。

 がたがたと右手が震える。

 暴れる魔力をその場に留め置くことすらも、今のテマには難しかった。

 爪が食い込まんばかりの勢いで左手を右腕に当て、照準を定める。

 目標は、ざっくり後方。そもそも狙いが付くわけがない。

――当然、地平に向けて可能な限り遠くへ飛ばす。

 甲翅族カブトムシはその多くが複眼持ちだ。

 だからこそ、この当てずっぽうな最大火力が、生きてくる。

 

「カイトは、やらせない――『孤高の光をLumine Azure』!」


 最後の一押しを加えて、射出。……同時、テマは自身の内側にある何かの流れが、一旦完全に途切れたことを自覚した。同時、胸元の陶板がひび割れる乾いた音。

 魔力切れ――認識すると同時、テマの視界は暗転する。

 結果を確認することなく、彼女は一旦、戦場から己の意識を切り離した。

 ただひたすらに、カイトの無事だけを祈りながら。



           ◆



カルセドニア史記 叙事・第一五紀章 抜粋


 通聖歴1578年、8月10日。

 “骸の荒野”と呼称される地域において、大規模な武力衝突が発生した。

 勢力内訳は、甲翅族を中心とした混成部隊、蠍人族およびその亜種で構成された単一部族、及びカルセドニア大帝国所属の武装隊商、五番隊の“藍鯨”艦隊。

『七八第一号会戦』と命名されたその会戦で、何が起こったのかは判明していない。

 記録を持ち帰るべき“藍鯨”艦隊が、文字通り殲滅されてしまったためである。

 わずか九名の生存者がもたらしたのは、“藍鯨”が致命的壊滅を喫したことと、神呪由来の巨大な閃耀が発生したことのみ。

 閃耀は一帯をすべて呑み込み、当該地域で発生していた戦闘行為を、すべて中止させるに至ったとされている。


 この由を以て“藍鯨”は解散。

 “■■”を得るに至った『太陽』のテマは、神官位に叙されることと相成った。

 


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