第3話 定野って何だ?

 部活動のついでで読み始めた小説だけど、それを読む前は勉強が終わると部屋に籠ってゲームをしていた。今でもまるでやらない訳じゃないけど、だいぶ時間も減った。飽きた訳じゃないけど、たまにはホコリも落としてやらなきゃならない。

 同じ家の中にこもってるのでも小説を読むのとゲームをするのじゃだいぶ心証は違う。小説を読みふける事に因り俺には人間的に大きくなってやろうとか言う高尚な考えもなければ、大人の皆さまのご機嫌取りをしてやろうとか言う考えもない。

 ただの暇つぶし、それから部活動の一環。そんだけ。もしテレビゲーム部なんて部活があって、それで俺がそこに所属してほぼ同じ理由で同じ事をしてたらどうなるやら。もし「文芸部にいる俺」と同じ反応をしてくれた大人に出くわしたら、俺はその人を尊敬するね。


 上田から聞いた話だが、上田の父さんの部下に何かがある度に上田の父さんに近づいては何かありませんかと言い、茶を持って来たり肩を揉んだり、昼休みでもわざわざ定食を持って行ったりするくせに後輩にはやたら先輩風を吹かせ威張り散らしている人がいるらしい。島村さんって人は、その人とどれだけ同じなんだろうか。

 授業参観なんて言うたかが年一、二回の席でそんな事をやったぐらいでうまく行くんなら、まあ簡単な話だわな。小学校の時はしょっちゅう行われていたPTA懇談会って奴も、中学校になってからはほとんどねえらしい。俺の家は中学校から徒歩二十分だが、電車を七駅も乗ってやって来る奴もいる。なかなか集まれるもんじゃねえ。それだけに一回一回の印象が大事になるって理屈もあるけどさ……。

 定野って奴の性格がどんな物なのか、俺にはわからない。わかりやすいくせにわかりにくいとでも言えばいいか。テレビゲームに出て来るNPCのような必要な事しかしないような感じ。

 学校内での印象で言えば真面目で冷静沈着な優等生でしかないが、外でも良く言えば真面目で冷静沈着な、悪く言えば外見以外まったく面白みのない奴なんだろうか。島村さんがどれだけ定野に影響を与えて来たのか、俺は知らない。




 俺が学問や部活動に勤しんだり適当にグダグダしたりしている間に、梅雨入り宣言が出された。上田も相変わらず陸上部の活動に熱中し、定野も元気にボールを蹴っていた。梅雨の時期になるといろいろ損な部活だよな、俺と違ってさ。

 にしても今年の梅雨は何なんだろうな。今年の梅雨は一日に70ミリ降ったり1ミリも降らない日が三日続いたりの繰り返し。言うまでもなく蒸し暑いし、汗もよくかく。そうなるとどうなるか。

「今月末から二学期の九月半ばまで体育の授業で水泳をする可能性がある、ちゃんと水着を用意しておくように」

 そう、プール授業だ。ったくよ、これが小学校とか、あるいは男子校とかなら笑って過ごせるけど共学校だぜ。小学校の時ですらプールとなると四年生から男女別で着替えてたっつーのに、と言うか中学校に入ってからは普通の体育の授業ですら男女同じ教室で着替える事はなくなった。


「最後に母親と風呂に入ったのはいつだよ」

「三年生」

「勝った、僕は七歳の時には卒業してたぜ」


 こんな他愛ない会話を小学五年生の頃にしてた事もある、そのぐらいの時までは堂々と母親って言う異性の裸の体も見られていたと言う訳だ。まあ俺は母さんとはもう入らないが、俺と顔のよく似た父さんとはごくまれに一緒に入る、別に男同士ならいいだろ。

 その時思うのは、父さんがやはり男だって事。俺と同じ物が付いていて、しかもでっかい。俺もああなるんだろうかどうか、まだわかりゃしないが大したもんだと思う。まあ何が言いたいかって言うと、定野の事なんだよ。



 ―――あいつは付いてないんじゃないか。そんな話が最近ひそかに流れ始めていた。何せ便所に行かねえんだもん。

 保険体育の先生から便所で用を足すためのだけのもんじゃねえぞってからかい半分に言われたけれど、まだまだそんなのは先の話だ。とりあえずそうしねえと人体に悪いもんが溜まっちまってどえらい事になるってのはわかってる、俺はたった今そうしながら出て来たばかりだ。定野にはその必要がねえんだろうか。

 しかし実際問題、もしあいつに付いていないとしたらあいつは一体何なんだろう。そりゃあ世の中には男っぽい顔をした女もいるし女っぽい顔をした男もいるが、顔がない以上あいつを顔で判断するのは無理だ。

 太郎って名前からして男だろとも言えるが、太郎だなんていかにも古めかしい名前で逆に噓くさい気もする。そんでもってあいつの胸は平べったい。女ならもうそろそろ出てくる頃だ、クラスの女子たちもそろそろそういう話をし始めてる。まあサッカー部だから俺と違って筋肉で出っ張る事はあるかもしれねえが、それにしたって女性の出方とは全然違うだろう。

 要するにだ、定野太郎って奴を男だって断定するにはまだ決定的な証拠がねえって事だよ。とにかくだ、俺は定野の性別って事に関与する気はない。そんな事を知った所で成績は上がらねえだろうし、逆にこっちだけが火傷しそうだからな。




 そして七月一日。降水確率0%の快晴、最高気温31℃。

 いよいよその日がやって来た。中学校にもなってとか言う話もあるらしいけど、まあ実際三年生には水泳の授業はないらしいうちの学校には水泳部と言うもんはない。その程度にしか力を入れてないはずなのにどうして授業があるんだとか思ったけど、

「お前成績優秀なのにわからねえのかよ。小学校だけじゃ足りねえかもしれないと思って中学校でもやるんだよ。ほらあれだろ、海難事故に遭ったとかで泳げなくて溺れ死んだらどうしてくれるんだって訳でさ、小学校の時に一応覚えはするだろうけど、学校だって大変なんだよ俺のせいじゃねえって言うのにさ」

 と上田に言われて納得した。

 上田の話によれば、天気次第では一学期の最後か二学期の頭の体育の授業で服を着たまま泳ぐ授業をやるらしい。なるほど別に海や川にわざわざ行って泳ごうとしなくても普通に生活は送れるが、船に乗ってて事故なんかで海に投げ出されたら泳げなきゃ死んじまう。その時に海パン一丁になれる訳がない、いざって時のために服を着たまま泳ぐ技術が必要って訳だ。


 とにかく教室じゃなくて、微妙にかび臭い野球部の部室を使ってお着換えだ。いつもの体育の授業のようにさっさか制服を脱ぎ、ちっこくなったタオルを腰に巻きトランクスを下ろしさっと海パンを足に通す。いくら男ばっかりとは言えそう見せるもんでもねえよなあって訳か、練習なんぞして来なかったけど案外すらっとできた。

 まあ、俺の事なんぞ誰も注目してなかったってのが一番大きいんだろうけどな。適当な見立てだが3分の1ぐらいの男子が定野の方ばかり見てたと思う。

「あいつロボットなんじゃない?」

 GW前に女子たちがそんな噂をしていた時は真面目に物を言えよと思ったが、この前宿題を片付けて天井と向き合ってみるとそんなありえない話が急に現実味を帯びて迫って来た。確かに、もし定野がロボットだとしたら話のつじつまが合う。

 ロボットなら、口は要らない。目や耳については必要なはずだが、それもその役目を果たす器官が他にあれば問題はないはずだ。まあ、パンツ一丁になってもそういう類のもんがまったく見つからなかったっつー事はやっぱり妄想にすぎねえんだろう。


 実際、定野についてひそひそ話してたのは女子たちの方が多い気がする。表向きには無関心を装った所で、どうしても気になっちまうんだろう。男がある意味ずけずけと入り込んで答えを引き出そうとする一方、女子たちは理屈で追って行く物なんだろうか。まあいずれにせよ、気になる事は間違いねえ。

 気になると言えば、文芸部の話だ。この前先輩が、今度誰の作品を読みたいかって顧問の先生に聞かれて谷崎潤一郎っつってバカヤローって言われてた。結局芥川龍之介で落ち着いたが、そんな事言われると気になって来るじゃねえか。前も言ったように、俺は文学にそんなに関心がある訳じゃない。試験に必要な分ぐらいさっと覚えて、後はそれきり。最近部活動で多少読むようにはなったが、やっぱり普通の勉強の方が好きだ。


「谷崎潤一郎ってダメなんですか?」

「あのさ、谷崎潤一郎ってかなりすごいぞ。作品もすごいが私生活もすごいからな、って言うか明治・大正の文豪なんて大半がおかしいからな、宮沢賢治ぐらいだぞまともなのって」


 そんで顧問の先生に聞いてみたらそう言われた。確かに俺らには想像もできねえような世界を作るぐらいなんだろうから、いろいろ凄い事もやらかしてるんだろう。

 図書室に入ってみると、様々な文豪様の作品が堂々と並んでいた。適当に一冊選んでみたら「伊豆の踊子」って書いてあった。ノーベル文学賞まで取った川端康成ってお方の作品だし、確かその川端先生の小説も別のが教科書に載ってた。

 まあ極めて有名なもんであり中学生でも安心して読めそうな代物にすぎねえんだろうと勝手に思ってた。




「ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手をいっぱいに伸して何か叫んでいる。手拭いもない真っ裸だ。それが踊り子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけた喜びでまっ裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。」




 オイオイオイオイ、現代で言えば俺と同じ中一の娘が全裸で飛び出してくるようなもんだってのか!?そりゃ現代とは全然事情が違うだろうし、そんな事を言いたいんじゃねえんだよって話ではあるんだろうけど、その気になれば十分あらぬ想像ができそうじゃねえかよ。

 これを知ってて置いたとすれば、うちの学校の図書室っつーのもカッコいいって言うか大胆って言うか……。俺は無言で本を閉じると、何事もなかったかのように本棚に本を戻して図書室を出た。人目がなけりゃ、俺は股間のもんをデカくしてたかもしれねえ。

 ああ定野の股間の話?あまりにもあっけらかんとした調子でパッパッと着替えたもんだから、誰も見る事ができなかったらしい。逆に見たきゃどうぞって言われると萎える物なんだろうか。それを知ってて動いたとすれば、定野は間違いなく俺より頭がいいね。

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