一日限りの野外ステージ、そして……。

 異世界に召喚されてからちょうど一週間後、カミルさんはわたしのところに来てくれた。

 玉座の間に呼び出すのではなく、わざわざ自分の足で部屋を訪問してくる彼の配慮に、やっぱり良い人だなぁと思ってしまう。


「ずいぶん待たせてしまったが、帰るための術式が完成した。君の準備ができたらいつでも帰れるよ」


 穏やかな笑みを浮かべて、カミルさんはそう言ってくれた。


 こっちの世界に来たばかりの時は気づかなかったけど、こうして顔を合わせてみるとカミルさんは案外若い王様だ。

 肩よりも長い真っ白な髪に、切れ長のルビーのような深紅の瞳。背丈はヴェルさんほど高くなくて、痩せている。シミひとつないきめ細かな肌を見ても、彼はわたしたちとそんなに変わらない年齢に見える。


「はい、ありがとうございます。でも帰る前にイリスちゃんに頼まれていることがあって」

「……イリスに?」


 ぴく、とカミルさんの眉が動いた。

 彼の表情をそのまま観察していると、だんだんと苦虫を噛み潰したような顔になっていく。一体どうしたのかな。


「くわしくはイリスちゃんに聞いてみてください」


 今回の舞台は彼女の意思なのだし、イリスちゃんに話を振っておいても大丈夫だろう。

 恋愛ごとはよく分からないし、たぶん彼女はカミルさんとの関係でわたしを巻き込むつもりじゃないだろうし。


 普段は明るくて快活な女の子だけど、イリスちゃんって実は思慮深くて、結構賢い子だと思うんだ。







 昼食を終えて庭園に出ると、空は雲ひとつない快晴だった。


 今のわたしは制服姿じゃなく、フリルのついたミニスカートの衣装だった。イリスちゃんと仲が良い女官さんが急いで繕ってくれたんだけど、サイズはピッタリ。ピンクを基調としたデザインで、胸元の赤いリボンがとっても可愛い。


 時々、ざあっと風がわたしの髪を揺らし、誰かの笑い声が頭の中で響く。イリスちゃんによると、この世界で生きている精霊たちの声らしい。

 人じゃない彼らは不思議な存在で、わたしみたいに聴力を失っていても声を聞くことができるみたい。


「イリス、何のつもりなんだ?」


 レイヤーに映し出されたカミルさんの言葉を見て、わたしはちらっと隣に立つイリスちゃんに視線を移した。

 目を固く閉じたまま彼女は余裕の笑みを浮かべている。


「カミルにイリスの歌を聞いて欲しいの」


 彼女の放った言葉はシンプルだった。

 だけど、それでいいのかもしれない。言葉で飾るよりも、見てもらった方が早いだろうから。


「ユイちゃん、お願い」


 わたしの補聴眼鏡グラスはイリスちゃんの小さな声も拾ってくれた。

 彼女を目を示し合わせて、わたしは頷く。


 携帯ミラホを操作して、あらかじめ決めてあった曲を再生させる。

 あとは眼鏡を外して、いつものように歌うだけ。


「みんなの心に——、火をつけます!」


 ユイちゃんは普段と同じで大丈夫、——というイリスちゃんの言葉に従って、わたしは歌詞を紡ぎながらステップを踏む。

 すると、驚いたことに隣に立つイリスちゃんもわたしに合わせて、同じようにステップを踏み始めた。


 腕を振って、笑顔を振りまきながら歌うイリスちゃん。

 足がもつれることなく、くるりとターンしてみせる動きは見事だった。

 本当に目が見えていないのかなと思うくらいだ。イリスちゃんの言葉通り、わたしの歌やダンスには特別なチカラがあるのかもしれない。


『ユーイチャン!』

『ユーイチャン!』


『イリス!』

『イリス!』


 精霊たちのコールがわたしにリアルに届く。

 直接呼びかけられるのは久しぶり。わたしはすっかり気持ちが高揚して、周りを飛び交う精霊たちに笑顔を向けた。

 この子たちも、わたしの歌を聞きに来てくれたれっきとしたお客さんなんだ。


 最後まで歌いきった後、イリスちゃんはぴしりと客席を指差すポーズを決めた。その瞬間、炎をまとった赤い小鳥と、キラキラ光る金色の小鳥が一斉に飛び立つ。

 火の粉と光の粒が舞っていて、とってもきれいだった。


「カミル、話があるの」


 イリスちゃんは腕を下ろしてから、声を張り上げた。胸元のあたりで手を握って、顔をまっすぐカミルさんに向けている。

 大きく息を吐いて、吸って深呼吸。

 その直後に、彼女は口を開いて言った。


「イリスをカミルのお嫁さんにしてくださいっ」


 え、今ここで言っちゃうの!?


 彼女の大胆な行動に驚いたのはわたしだけじゃない。庭園に集まっていたヴェルさんやその他のイリスちゃんのご家族の皆さんも目を丸くしている。

 ただ冷静なのは、顔色ひとつ変えずにイリスちゃんの逆プロポーズを受けているカミルさんそのひとだった。


「……分かった」


 たった一言だけ、ぽつりとカミルさんは答えた。

 その言葉を聞くや否や、イリスちゃんはカミルさんのところにまっすぐ走っていく。まるで、彼がどこに立っているのか見えているみたいに、迷いがなかった。


「ありがとう、カミル!」


 恥じらいなく満面の笑顔で抱きつくイリスちゃんは、花が開いたような笑顔で本当に嬉しそうだった。

 良かった。そう思いかけていた時だった。


「ちょっと待ったぁあ!!」


 辺りに聞こえるように大きな声でストップをかけたのは、イリスちゃんのお兄さん、ヴェルさんだった。


「……なあに、ヴェル兄さん」


 当然、イリスちゃんは不満そうに口を尖らせている。そんな妹を軽く睨みつけて、ヴェルさんは指摘する。


「イリス、呪歌じゅかを使ったな」


 ジュカ……?

 初めて聞く単語が眼鏡グラスのレイヤーに表示される。何のことかさっぱり分からない。


「ジュカって何ですか?」

「魔法の力を込めた歌のことだよ。精霊たちの力を借りて、歌声に魔力をのせるんだ」


 カミルさんの隣にいる男の人がにっこり笑って、丁寧にそう説明してくれた。

 この人がノアさんかな。一番上のイリスちゃんのお兄さんだ。今日まで一度も顔を合わせなかったけど、来てくれていたみたい。


「イリス知らないもん。ユイちゃんに歌を教えてもらって練習しただけなんだから。言いがかりはやめてよね」

「お前な、絶対知ってただろ。うまく踊れたのは【ダンス】の効果、んでもって最後に【魅了チャーム】を俺たちにかけただろ」

「ヴェル兄さん、勘違いしちゃだめだよ? イリスと同じで、ユイちゃんも精霊に愛されやすい体質だっただけだよ。だから、イリスたちの歌が呪歌になっちゃったんじゃないかなぁ」


 あくまでとぼけるイリスちゃんは、カミルさんの後ろに隠れている。隣のノアさんは苦笑するだけ。

 なんだか騒動が大きくなりそうな予感がする。どうしたらいいのかな、——と見守っていたら、ずっと微動だにしなかったカミルさん本人が動いた。


「起こってしまったのは仕方ない。とりあえず婚約だけだ。いいな、イリス」

「うん、それでいいよ! ありがとう、カミル!」


 腕にまといつくイリスちゃんを払いもせず、そのままカミルさんはため息ひとつ吐いてお城の中に入っていった。

 不機嫌な顔のヴェルさんも彼らの後に続く。

 一応、解決……したのかな?

 でも。


「これで、良かったんでしょうか?」


 魔法の力を使って恋を成就しても、それはイリスちゃんのためになるのだろうか。

 わたしは恋愛ごとはよく分からないけど、彼女の取った方法はあまり良いとは思えない。


「いいんだよ」


 くすり、と笑みをこぼしてノアさんが言った。

 カミルさんたちがいた場所を見つめて、彼は言葉を紡ぐ。


「カミルほどの熟練の魔法使いなら、イリスの覚えたての呪歌に抵抗することはできたはずなんだ。それを受け入れたってことは、本人もイリスに好意を寄せていたってことだからさ」


 くるりときびすを返して、ノアさんは紫色の瞳でわたしを見つめた。

 そしてにっこりと笑って、こう言ったの。


「ユイちゃん。あの二人にきっかけを与えてくれて、ありがとう」



 ♪ ♫ ♪




「ユイちゃん、本当に行っちゃうの?」


 シンプルな桃色のドレスに着替えたイリスちゃんが、手を握ってきた。

 彼女は誰かと話す際にはよく触れてくる気がする。目が見えないからなのかな。


「はい。わたしの仲間が、『ELEMENTS』のみんなが待っているから」

「そっか、そうだよね。ユイちゃんの世界には、ユイちゃんのお友達がいるんだもんね」


 名残惜しそうにしつつも、イリスちゃんはそっと手を離してくれた。


「イリスもユイちゃんの世界に遊びに行けたらいいのに……」

「無茶を言うんじゃない、イリス」


 すかさずカミルさんのツッコミが飛んできた。彼女がわたしの世界に来ちゃったら、きっと彼が一番精神的に参る気がする。


「うーん。イリスちゃんがわたしの世界に来るのは難しいかもしれないですけど、人生何が起こるか分からないから」


 実際に、わたしは今回もこうしてイリスちゃんたちの世界に来られたのだし。

 寂しそうな顔をする彼女を安心させるように、わたしは微笑みかける。


「もし、イリスちゃんがわたしの世界に来るようなことがあれば、その時はまた一緒に歌いましょう」

「うん、約束ね」





 案内されたのは、最初にこの世界に来た時と同じ部屋だった。


 眼鏡グラスはちゃんと今はかけているし、携帯ミラホもポケットに入れた。

 準備はバッチリだ。


 カミルさんに指示された通りに、わたしは白く光る魔法陣の中へ入った。

 ふわっとした浮遊感を感じた。ついに帰るんだなという実感が湧いてくる。


「ユイちゃん、夏の大会がんばってね!」


 陣から離れた場所で、イリスちゃんがエールを送ってくれた。

 わたしは振り返って、強く頷く。


「はい! 必ず勝ってみせます!」


 堂々と宣言したと同時に、わたしは白い光に包まれた。


 彼女に聞こえたかどうかは分からない。でもきっと聞こえていると思う。

 あの世界の精霊たちは親切で、言葉にならない声でさえも届けてくれるだろうから。

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