第3話 謎の文学少女と普通の友達

「えっと……」


 謎の少女に見つめられて、俺は固まったままだった。

 状況からして、この小説は目の前の彼女が落としたものと考えられる。


 そのはずだが、謎の文学少女は一向に動かず。

 広がった小説ではなく、ただじっと、俺を食い入るようにして見てくる。


「それ、私の物なのよ」

「え? ……あ、そう……ですか」


 突然しゃべり出した彼女に、俺は面を喰らう。


「階段で友人と喋っていたら、つい話しに夢中になってしまって紙が手から滑り落ちてしまったのよ。私としたことが、迂闊だったわ」

「はぁ……そうなんですか」


 そう言った後、彼女はスカートと捲くようにしてしゃがみこむと、広がった紙を一枚ずつ回収し始めた。


 俺もそれにつられて、また周りに落ちた紙を拾う。


「一つ質問してもいいかしら?」


 彼女は紙を拾う手を止めず、俺に声だけを飛ばす。


「紙に書いてあった内容を読んだ?」

「えーと……それは……」

「別に怒っていないわ。さっきあなたがこれを小説と『特定』したところは見ていたから」


 特定? どういう意味で言ってるんだ?


 随分引っかかりのある言い方に、俺は違和感を憶えたが、本当にただの質問のようだったので、正直に答えることにした。


「ええ、まあ少しは……」

「言ってみて」

「はっ? なにを――」

「これに書かれてた内容よ。言ってみて頂戴」


 食い気味に顔を近づけてくる彼女に、俺は視線を泳がせた。


 能力を使いたくないという理由以前、単純に気恥ずかしい。

 今までの人生の中で、こんなにも間近に女子と顔を合わせたことなどない。


 微かに感じた柔らかい香りに、脳を緩んでしまう。


「た、確かドラゴンの獣人と人間の話……に見えましたけどね……そんな内容に見えました……」


 表示されていた内容は、


“ドラゴンの獣人と男子高校生のファンタジー小説”


 詳しい中身は分からない。


「そう……そうなのね」


 だが、謎の文学少女は納得したのか、近づけていた顔を離す。

 俺は直視しないように、そんな彼女の顔を流して見る。


 無感情の顔だが、何かを考えている――そんな風にも見えた。


 紙を拾い終え、俺らは立ち上がる。


「あなた、名前は? 何年生なの?」

「え?」


 何故そんなことを聞くのだろうか?


 困惑しながら彼女を見るが、相変わらず綺麗な程の真顔だった。表情一つ、動かない。 

 これでは埒があかないので、俺は早々に諦めて、自らの名前と学年を口にした。


「百目鬼深読ですけど……。学年は一年です」

「そう。なら、私の『後輩』という訳ね。拾ってくれてありがとう、百目鬼君。それじゃあ、また会いましょう」

「え? あっ、ちょっと――」


 最後まで引っかかりのある言葉を残し、彼女は俺に背を向けて何処かに行ってしまった。


 一体何者なのか分からない謎の文学少女――『後輩』と呼んできたから、多分上の学年の生徒だろうけど――に色々な疑問を抱きつつも、俺も教室に戻ることにした。


 まだ、昼食を食べていない。

 運が良ければ滑もいるだろうし、彼女に聞いてみるとしよう。


 

◇◇◇



「それはきっと、二年生の隠神刑部鉄火いぬがみぎょうぶ てっか先輩だね」

「長い長い、なんだって?」

「だから、隠神刑部鉄火先輩だよ」


 いつもと変わらない普通の笑みで、滑はそう答えた。


 俺は謎の文学少女と別れクラスに戻ると、丁度いいタイミングで弁当箱を持って帰ってきた滑と鉢合わせした。

 垢嘗同様に、今日は俺も運がいい。


 俺は昼食のコロッケパンを口で頬張りながら、滑に先ほどの謎の文学少女の話を出すと、彼女は即座にその人物が誰なのかを言ってのけたというわけだ。


 にしても、なんて長い名前だろうか。

 テストの名前欄を埋めるにも、一苦労しそうな長さに、俺は眉をしかめた。


「にしても、よく知ってたな」

「その人なら有名人だよ? 

 二年生の隠神刑部鉄火。別名『鋼鉄の文学少女』、『氷結美人』、『鉄壁の女王』と、数々の肩書きを持つ、劇場館高校一の美人! 一部の生徒からも人気な先輩だよ!」

「肩書き持ちて……漫画のキャラクターみたいだな。まあ確かに、あの感じは鋼鉄やら鉄氷結やら鉄壁が似合う雰囲気ではあったけど」


 表情の一つ変えない彼女は、確かに鋼のようだった。

 誰が名付けたのかは知らないが、『鋼鉄の文学少女』なんかは、彼女にぴったりな肩書きだ。


「ぴったりだよねぇ~! 私が名付けたんだぁ!」

「お前かよ」


 灯台下暗し。

 犯人は目の前にいた。


 それを聞いて、犯人の滑はお手本のような笑い声で、あははっ、と笑う。

 そういえば、まだ滑の紹介をしていなかったな。


 彼女は滑倉璃ぬらり くらり

 俺の友人であり、クラスメイトの女子高生だ。


 女子高生と聞いて、『お前、女子と友達とかリア充じゃぁ~ねぇかよォッ!?』と思われたかもしれないけど、こいつに関しては例外だ。


 滑倉璃は、『みんなの友達』なんだ。


 彼女は普通だ。

 何をするのも普通で、どんなことをしても平均点。

 何処までも標準的で、どんな人間にも共通してる。


 それ故に、彼女は誰とでもかみ合うし、誰とでも仲良くなれる。

 どこにいてもおかしくないし。自然と人の輪に溶け込んでいる。

 

 だから滑と関わった人間は、自然と彼女と友達になる。なってしまう――彼女はどこまでも普通だから。 


 普通だからこそ、滑は友達百人できてしまう。


 滑倉璃とは、そういう『普通の友人』なんだ。

 

 俺としても、彼女といるのは居心地がいい。

 話しやすいし、聞き上手だし、聞いてほしくないことは聞いてこない。


 そんな近すぎず離れすぎないこの距離感こそが、みんなが滑を友達にしたくなる理由なんだと思う。


 といっても、俺に関しては、もう少しだけ滑との関係が深かったりするんだがな。


「どうしたの? 百目鬼くん。私の顔をそんなに見て」

「相変わらず普通の顔してるなって思ったんだよ」

「それ遠回しに可愛くないって言ってないっ!? ひどいよぉ~、百目鬼くん!」


 普通に驚き、口を膨らまして普通に怒る。

 

 うん。これこそが滑。

 何処に出しても恥ずかしくない、普通の平均少女だ。

 見ていて、心が安定化される。


「まあ、でもそんな高嶺の花なら、もう俺が関わることはないだろうけどな」

「それは分からないよ……」

 

 滑の顔に急に影が落ちる。


「滑……お前何言ってるんだよ……?」

「百目鬼くん……気をつけて……彼女は、とても強敵だから……」

「なん……だって……っ!?」

 

 息を呑む俺。

 固まる俺ら。


 そして、俺は万応じして、口を開く。

 

「て、いつまでこの茶番を続けるんだよ」

「あははっ! 面白かったでしょ、意味深に何かを話すごっこ!」


 普通とはいえ、たまにこういうノリのいいことをしてくるところも、滑といて楽しいことも一つだった。


「でも、隠神刑部先輩が強敵なのは本当だよ? これまでに告白話は数あれど、今まで成功した例は一つもないらしいからね」

「ますます漫画キャラだな」

「告白されても、表情の一つ変えず一刀両断!

 氷のよう瞳で振られちゃうんだってさぁ。

 噂によると、紙の束か何かを渡されて、それを読めないと駄目って言われた人もいたらしいって聞いたけど、一体どういうことだろうね?」

「紙の……束……?」


 滑が何気なく発したそのワードに、先ほどのことがフラッシュバックする。

 

 いや、あれ違うよな?

 『小説』って言ってたし、あの場では何もなかったしな。うん。

 あ、でも『また、会いましょう』とか言ってたっけ……?


 …………。


 アハハハハハッ、気のせいだ、機能性。

 

 焦って言葉を誤変換してしまったが、大丈夫。

 俺たちは赤の他人だし、学年も違う。

 そうそうに会う機会なんてないだろうから、変な厄介ごとに巻き込まれることもないだろう。


 俺はそれ以上何も考えないように、別のことを考えることにした。


 そうだ、滑だ。

 この普通少女のことを考えて、心を冷静に保とう。

 サンキュー、俺の心の安定剤、滑倉璃。


「百目鬼くん、また黙り込んで、どうしちゃったの? ああ! もしかして百目鬼くんも隠神刑部先輩のことが好きになっちゃったんでしょ~? ん? んぅ~?」


 滑はにかにかしながら、机の向こうから俺に詰め寄ってくる。

 普通にウザい。


「別に俺はあの人を狙っているわけじゃねぇよ」

「本当にぃ?」

「確かに綺麗な人だとは思ったけど、外見だけで好きになったりはしない」

「そうだよねぇ~。百目鬼くんは、ちゃんと中身を見るもんねぇ~」

「うるせぇ」

「痛っ!?」


 にかにかと笑う滑のデコに、デコピンを弾かせる。


 滑は涙目で赤くなったデコを押さえていると、五限目を告げるチャイムが鳴り響いたので、滑との話しはそこでお開きとなった。


 だがこれで、階段で会った人物が隠神刑部鉄火という、二年の先輩だということが分かった。


 誰かは判明したが、だからといってもう彼女と会うことはないだろう。


さようなら、隠神刑部先輩。もう会うことはないでしょう。アイウィル撤収。

  

 俺は心の中で先輩に別れの挨拶を済ませた後、始まった授業を聞き始める。


 だが、この時の俺は思い違いをしていた。


 会おうとしなければ会わない、とそう思い込もうとしていた。

 

 しかし、人の出会いとは、何も自分から会いに行くだけではない――向こうから会いに来ることもあり得ることを。

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