第12話 王妃として

 吟遊詩人は詠う。

 国王は、銀の髪の少女に愛を囁く。笑顔の美しい乙女。肯定の返事。重なる手。

 国王の初めての恋は、実った。けれど誰からも祝福はされない。認められもしない。

 だが少女は国王に乞われる。どうかどうか、世継ぎの御子を産んで欲しいと。


          ◇


 その夜、早速、ユーディアは海の宮へと移動した。とはいっても、この国に入国したときのように、彼女の荷物は大してない。

 父と母の形見。そして、貰った鏡が増えただけだ。

 海の宮に行くと、マロウとアガットが入り口に立っていて、そして頭を下げた。


「お帰りなさいませ、ユーディア妃殿下」

「ひ……妃殿下?」


 マロウの口から飛び出したその言葉に、目を丸くした。


「え、ええと、まずは頭を上げてください」

「はい、妃殿下」


 マロウとアガットは言われた通り、頭を上げて微笑んだ。


「あの、今まで通りにしてください。そんなにかしこまらなくったって、私は何も変わっていないもの」

「いいえ、いけません」


 マロウは厳しい表情をして、首を横に振った。


「それでは他の者に示しがつきません。ユーディア妃殿下は王妃であらせられるのですから」

「あらせ……」


 大仰な言葉に驚いておうむ返しにしてしまうが、アガットもマロウの言葉に頷いている。

 思わずため息が漏れた。


「そんなものですか?」

「そうです、妃殿下。確かに我が国の王妃は公の場には出ることはありません。けれども王族方や城の者とは当然、交流もございます。そのとき、侍女や侍従に舐めた態度を取られていては、陛下の品位まで落としてしまうことになるのです」

「はあ……」


 納得はできないが、理解はできる。そんなものだと割り切るしかないのだろう。


「では妃殿下、今着ておられる衣装は、侍女のために支給されたものです。お脱ぎになっていただかないといけません」

「あ、はい」


 見れば新しい衣装をアガットが手に持っている。畳まれていてよくは見えないが、真っ白い生地に薄い桃色の糸でたくさんの刺繍が施されている、高価そうな衣装だ。

 自分にそれが相応しいかどうかは怪しいものだが、それもきっと、「陛下の品位」などという言葉で否定されてしまうのだろう。


 それを受け取ろうと手を伸ばしたが、二人は顔を見合わせる。

 そしてマロウがこちらを向いて言った。


「先にお湯を使っていただきます」

「ああ、はい。そうですね」


 それはそうか、と納得して、海の宮の奥に歩き始める。

 湯殿が奥にあることは知っている。ユーディアも掃除した。あんな広い湯殿を一人で使うのも居心地悪いが、仕方ないだろう。


 そんなことを思っていて、二人が後をついて歩いてくるのに気が付かなかった。


 湯殿に到着して、私は本当にやっていけるのかしら、などと考え込んだあと、はた、と振り返ると、二人がにっこりと微笑んでいる。いつの間にかドレスを脱いで白の軽装になっていて、立ち止まって動こうとはしない。


「え、えーと、なに?」

「私ども、妃殿下のお世話も仕事の内ですから。さあ、お手伝いします」

「えっ? いえっ、いいわよそんなの! 一人で入れるわ!」


 慌てて手を振るが、二人は聞かない。


「そう言うと思っておりました」

「大丈夫です、すぐに慣れますわ」

「ええーっ!」


 半ば無理矢理、服を剥ぎ取られ、湯殿に押しやられ、お湯をかけられ、身体を洗われる。

 小さな椅子に腰掛けさせられ、真っ裸を擦られるのは、気持ちいいとはどうやっても言えない。

 身体を硬くして、申し訳程度に腕を前で交差させる。足もしっかりと閉じてはいるが、それが解かれるのも時間の問題かと思われた。


「うー……」

「いかがなさいました、妃殿下?」

「何の拷問なの、これは……」


 ユーディアがそう言うと、二人はくすくすと笑った。


「まあ確かにこれは、落ち着かないかもしれませんね。私などはもう何人も王族の女性方の身体を清めておりますが、される側にはなったことありませんもの」


 マロウがそう言う。


「私は初めてなので、少々気恥ずかしくもありますけど。でもこういったお世話をすることは知っておりましたわ」


 アガットも同調している。

 拒否はやっぱり許されないらしい。


「でも私、できる限り自分のことは自分でやりたいのだけれど……」


 これが毎日続くだなんて、息が詰まりそうだ。

 だが王妃として、それは当たり前で努力が必要だと言われれば、返す言葉はない。


「そうですねぇ。それはまた追々、話し合っていきましょう。妃殿下にも、これだけは、ということもありましょうし」

「本当っ? じゃあ今度から……」


 意気揚々とユーディアが言おうとする言葉が予想できたのか、マロウがすぐさま言葉をひったくった。


「でも湯殿はいけません。無防備になる場所でもありますし、侍女の付き添いは必要です。陛下が宮に渡られるときなどは、特に念入りに清めなければなりませんし」

「あ……えっと……」


 一人でお湯を使うことよりなにより、自分が御子を産む女なのだと皆に認識されたのだ、ということが、いきなり頭の中全てを占めてしまった。


「そ……そう……」


 耳まで真っ赤になったことが、自分で分かった。

 何かを言うことが恥ずかしくなってしまって、黙り込んでしまう。大人しく、されるがままになって、時間が過ぎるのを待った。


 ふと、背後からすすり泣く声が聞こえて、振り向く。


「マロウさま?」


 ユーディアがそう言うと、マロウは首を振りながら、そして涙を拭った。


「私に敬称は必要ありません。それから、失礼致しました。嬉しかったものですから、つい……」


 マロウはレイヴァンに感謝されて、涙ぐんでいた。そのことだろうか。


「私、先王陛下が御子をもうけられたときは、まだ若かったものですから、よくは知らないんですが。後宮ではなくて王宮の方におりましたし。けれどこの度、私の目の黒いうちに、御子が御生まれになることに立ち会えるのが嬉しくて」

「なんだか大げさね」

「大げさなどではありません。今度こそ……、と思うと」


 そう言って目頭を押さえる。

 そうだ。この国の人は、きっと御子が生まれることを待ち望んでいたのだ。

 恥ずかしいとか、そんな私情を言ってなどいられない。


 やっぱりまだ信じられないけれど。

 ユーディアは、王妃なのだ。


          ◇


 湯殿から上がって、椅子に座らされ、アガットに髪を梳かれる。

 さきほど彼女が持っていた衣装は、驚くことに寝衣だった。贅沢に絹の生地がたくさん使われて、着心地が良い。


「まさか寝衣だったとは思わなかったわ。なんだか豪華そうに見えたもの。実際、寝衣にこんなにドレープが入っているなんて。刺繍だってそう」


 寝衣一つとっても、高価そうだ。

 言いたいことは多々あるが、とりあえずは全て飲み込むことにした。

 マロウは寝所を整えに行っていて、その部屋にはアガットと二人きりだった。


「ねえ、アガット」

「なんでございましょう、妃殿下」


 その呼び名には違和感を覚えるが、いちいち反抗するのも彼女たちを困らせるだけなのだろう。


「あのね……私、何も変わっていないの」

「はい、分かっております」


 王妃という身分になっても、中身はやっぱりユーディアのままなのだ。


「私、この国のことも何も分かっていないし、王妃たる者がどうあるべきかとか、全く知らないの。だから、私がふさわしくない行動や言葉遣いをしていたら、注意して欲しいの」

「おこがましくも、私が注意だなんて」

「アガットがいいの」


 そう言うと、アガットは髪を梳いていた手を止めた。


「アガットがもし嫌でなければ、ずっと私のそばにいて欲しいわ。だめ?」

「だめだなんて。私のほうからお願いしたいほどですのに」

「本当?」


 ユーディアは振り返る。するとアガットはぱっと目元を手で隠した。だが、見えた。うっすらと涙が浮かんでいるのが。

 マロウに続き、アガットまで泣かせてしまったようだ。


「……妃殿下には、お分かりにならないかもしれません」


 小さな声でそう言う。侍女頭であるマロウがいないからこそ言える本音なのだろう。


「自分が必要とされることが、どれだけ嬉しいか。自分の居場所があることが、どれだけ幸福か。今私がどれほど幸せだと思っているのか、きっと、妃殿下には分からないでしょう」


 今まで、そうされたことがなかったから。

 他の人が当たり前のように受けてきたことに、どれだけ飢えていたか。


「分からないわ」


 ユーディアはアガットの手の上に、自分の手を乗せた。


「あなたを必要としない人の気持ちが。どれだけの損失を自ら招いたのかと思うわ」

「……ありがとうございます」


 喉を詰まらせながら、そう言う。


「さあ、前を向いてください。まだ御髪を梳きおわっておりません」

「はあい」

「そのような間延びしたお返事は、はしたないですよ」


 笑いながらアガットがそう言う。それが彼女の返事なのだろう。

 そこでマロウが戻ってきた。そこではた、と気付く。

 彼女は侍女頭で、この城全部の侍女を統括しているはずだ。なのにずっとここにいる。


「マロウさ……いえ、マロウ。あの二人はどうなったの?」


 もしや、王妃になる人間に悪態をついたとか何とか難癖つけられて、罰でも受けているのではないだろうか。それならば、いくらいけ好かない二人でも、申し訳ない。


「エーリカとベイジュですか? あの二人は、暇を申し出ました」

「ああ、まあ……そうよね」


 このままユーディアに仕えることを、彼女たちが喜ぶとは到底思えない。


「とはいえ、一度王城に入った身です。城の外に出ることは許されませんから、王族方の宮の方に行ってもらいます」

「そうなの」


 とりあえず、罰などを受けているわけではないようだ。ほっと安堵の息を吐く。


「ええ、あの二人は王城での勤めを甘く見ていたのですわ。親から子にきちんと受け継がないからこういうことになるのです。暇を申し出たところで受け入れられるはずもありませんのに。王族方の宮に行けば、現実を思い知るでしょう」


 マロウが苦々しげにそう言った。その様子が、なんだか少し思うより深刻そうで、ユーディアは首を傾げた。


 それに、親から子とは。確か、シアンが以前、この国はほとんどが親の仕事を子が受け継ぐとは言っていたが、そこまで求められるものだったのか。


「ええと、こちらより、王族方の宮のほうが、厳しいの?」


 ユーディアがそう言うと、マロウははっとしたように顔を上げた。


「いえ、そういうわけではないのですけれど。こちらには今まで誰もいませんでしたし、あちらに比べれば楽でしょう」


 何かごまかしているようにも思えたが、だからといって不審なことを言っているわけでもない。

 ユーディアは首を傾げつつも、マロウの言葉をそのまま受け取ることにした。


「まあ、それはそうよね」

「ですから当分、私とアガットで妃殿下のお世話をいたします。妃殿下には不自由な思いをさせてしまうかもしれませんが、すぐに人手を募りますので」

「私、大丈夫よ。自分でできることは自分でするし、無理しないで」


 ユーディアがそう言うと、マロウは頭を下げた。


「妃殿下の細やかなお心遣いに、感謝いたします」

「なんだったら、掃除だって草むしりだってできるのに」

「いけません、そんなこと」


 アガットが慌てて背後からそう言う。


「そう言われると思った。大丈夫、慎ましやかでいられるように努力はするわよ」


 そう言うと、二人はころころと笑った。だから少し安心する。周りだけがどんどん変わっていくのは、怖い。


「ああ、そろそろ陛下が渡られるころです。私どもは別室にて控えておりますから」

「え、あ、そう……」


 今まで、この宮の庭で会っていた頃とは違う。

 王として、彼はこの宮にやってくる。

 そしてユーディアは王妃として彼を迎えるのだ。

 それはあまりに未知の世界で、ユーディアは少し不安になる。

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