第4話 後宮の侍女たち

 それから、部屋に案内された。狭いとは言っても、ベッドも机もクローゼットもある。確かにその他には余地はないが、充分すぎるほどだ。

 食べ物と寝る場所さえあれば生きていける、といつか父も言っていた。


 マロウはクローゼットを開けると、中からドレスを出してきた。


「ではこれを着て。外におりますから、終わったら声を掛けてください。他の侍女たちに紹介しなければなりませんから」

「は、はいっ」


 マロウが出て行ってから、慌てて寝衣を脱ぎ捨てる。急ぎ与えられたドレスを身に付けた。それは濃い紺色の質素な形のものだったが、今のユーディアには充分なものだった。

 両親の形見が入った布袋は、机の引き出しにしまう。


「お待たせしました」


 部屋の外に出ると、脇に立っていたマロウが顔を上げる。


「あら、案外、早かったわね。行動が早いのは、侍女としてはありがたいことだわ」

「はいっ」


 これも、父のおかげか。着替えたりするときは、なるべく手早くと言われていた。無防備になる瞬間は、減らしておいて損はない、ということだった。


 確かに父は、過剰に用心深かったかもしれない。

 父の左腕には大きな刀傷があった。見るからに痛そうで、最初はその傷が怖かった。だからだろう、父はなるべく傷をユーディアに見せないようにしていた。

 だが母はある日、ユーディアの前で父の腕をとって袖をまくり、その傷を愛しそうになぞって言った。


「これはね、あなたと私を守った証なの。とても誇らしい傷なの。だから、怖がらないでいいのよ」


 何度かそう言われているうち、ユーディアはその傷が怖くなくなっていったのだった。

 あんな大きな傷を負ったことがあるから、必要以上に用心深くなったのかもしれない。

 でも父の教えは、ユーディアにとって役立つものばかりだった。


          ◇


 マロウに連れられて行った宮には、三人の女性がいた。


「今日から新しく人が入ります。挨拶するから皆集まってちょうだい」


 侍女頭がそう言うと、三人はユーディアの前に集まってきた。


「こちらは、ユーディア。ケープの港町から来られました。縁あってこちらで預かることになりましたので、皆さん、彼女をよろしくお願いしますね」

「はじめまして! よろしくお願いします」


 ユーディアがそう一礼すると、三人の女性たちのうち、赤毛の一人だけが微笑んで、「こちらこそ」と返してきた。あとの栗色の髪の二人は、何とも微妙な表情をしている。

 三人はそれぞれに名乗った。赤毛の女性がアガットで、栗色の髪の二人は、エーリカ、ベイジュ、と言った。


「では、後はアガットに訊いてください」


 マロウは「よろしくね」と言ってから、退室していく。


「アガット? よろしく! いろいろ教えてね!」


 そう言って手を差し出すと、アガットは少し驚いたように身を引いてから、でもおずおずと手を出してきた。


「よろしくお願いします」


 握手を交わしたはいいが、どことなくぎこちない。


「あ、ごめんなさい。不躾だったわよね」


 ここにいる女性たちも、慎ましやか、ということを美徳にする人たちなのだろう。やはりユーディアは異分子だ。

 ユーディアが頭を下げると、アガットはふるふると首を横に振った。


「いいえ、大丈夫。新しい仲間ができて嬉しいわ」


 そう言ってにっこりと笑う。

 すると後方にいた二人が、くすくすと笑い出した。


「仲間ですって」

「『呼ばれた』方にしてみれば、一緒にされたくないのではなくて?」


 その嘲笑は、ユーディアの耳にもはっきりと届いた。アガットは顔を真っ赤にして、俯いてしまう。

 ユーディアは思わず声を張り上げる。


「仲間、でしょ?」


 思わぬところからの反撃だったのか、嘲笑していた二人は、ぴたりと笑うのを止めた。


「同じ仕事をする、仲間なんじゃないの?」


 この三人の間にどういう確執があるのかは知らないが、自分の目の前で誰かが侮辱されているのは我慢ならなかった。

 だが二人も、ユーディアの反論は我慢ならなかったらしい。


「まあ、入ったばかりで生意気な口をきく人もいるものね」

「『呼ばれた』方というから、どういう人かと思ったら、ずいぶん下品な」


 それを二人でひそひそと、でも聞こえるようにやるものだから、なおさら頭にきた。


「私に文句を言いたいのなら、堂々と私に向かって言ったらどうなの? そっちの方がずいぶん下品だわ」

「なんですってっ?」


 睨み合いに発展したところで、アガットが割って入った。


「あっ、あのっ、仕事を教えますから」


 そう言って、ユーディアの手首を掴んで引っ張る。そしてその部屋から出されてしまった。

 少し歩いてから、アガットは小さな声で言った。


「あ、あの、私……大丈夫ですから」

「でも、あんなの言わせておいていいの?」

「いいんです。黙っていれば害はないんですから。だからその……波風立てないでください、お願い」


 俯いたまま、囁くような声でそう言う。

 そう言われてしまうと、ユーディアが自分の主張を固辞する理由はない。


「分かった。ごめんなさい、出すぎたわ」

「いえ、すみません……」

「謝ることはないわよ。私が悪いんだから」


 ユーディアがそう言うと、ほっとしたように息を吐く。そして掴んだままだった手首に今気付いたように、はっとして離す。


「あっ、ごめんなさい、つい強く……」


 見れば、ユーディアの手首にくっきりと赤く、アガットの手形がついている。


「跡が……ごめんなさいっ」


 そう言って、頭を何度も下げてくる。今にも泣き出しそうだ。

 ユーディアは手首の跡をさすりながら、笑った。


「大丈夫よ。こんなの、振りほどこうと思えばすぐにできたもの」

「でも、けっこう強く握っていたし……跡が付くほど」


 ふいに、ユーディアは、アガットに手を差し出した。


「えっ」

「もう一回、強く握ってみて」

「あ、あのっ……」

「いいから」


 アガットは、釈然としていない風ではあったが、手首をつかむ。だがおそるおそるといった感じで弱々しい。


「もっと強く」

「もっと……?」


 言われた通り、それでも何とか力を入れてきた。


「絶対、力を抜かないでよ。私の手首を離さないでね」

「う、うん……」


 ユーディアはぱっと手を開くと、くるりと手を外側に回した。


「えっ」


 すると、するりと手が抜ける。ユーディアは手を掲げて、握ったり開いたりしてみせた。


「ね?」

「すごい! どうやったの?」


 ユーディアは今度はアガットの手首をぎゅっと握る。


「まずは普通に振りほどいてみましょう」

「うん」


 アガットは懸命に手を引き抜こうとするが、ユーディアの手はがっちりと手首を握ったままだ。


「だめよ、振りほどけない……」

「じゃあそのまま、手を開いて、手首を外側に回すの」


 ぎこちない動きではあったが、アガットはユーディアの言葉に従う。

 すると今度は、するりとアガットの手が抜けた。


「あれっ……」

「ね、振りほどけるの」

「力を抜いただけじゃ……?」

「抜いてない抜いてない」


 ユーディアは笑った。


「手を開くとね、手首と手の間に隙間が出来るの。その隙に、手首を回すと振りほどけるのよ」


 アガットは心底驚いたように、弾んだ声で言った。


「へえ! すごいわ」

「父さまが教えてくれたのよ。護身術みたいなもの」


 そして、お互いの手の跡のついた手首を見て、二人で笑った。


「お互い様だわ。だから、謝らないで」

「うん、ありがとう……」


 アガットは、泣き笑いのような表情で、そう言った。

 こうして見ていると、少し気が弱いだけの、とても良い人に思える。

 なぜあの二人は、アガットを邪険にするのだろう。単なる意地悪なのだろうか。


「他にもいろいろあるのよ。いっぱい教えてもらったの」

「へえ、すごいのね。あ、じゃあ、後宮の警備兵とかもできるかも」

「警備兵?」

「今はお妃さまはおられないから、男性の警備兵がちらちらいるのだけれど、後宮は本来、男性は入られない場所だものね。そういう強い女の人がいるとありがたいんじゃないかしら?」

「なるほど。雇ってもらえるなら、そのほうがいいかも」


 楚々としてお妃さまに仕えるよりは、そのほうが性に合っている気がする。


「だから『呼ばれた』のかもしれないわね」


 そう言って、アガットはにっこりと微笑んだ。

 自分自身を見てもらってから、『呼ばれた』と言われるのは、そんなに嫌な気分ではなかった。

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