第3話

 


 夢を見る事もなく目を覚ますと、いつも寝起きしているベッドじゃない事は寝心地でわかった。


 ――地味に硬いベッドだなこれ。


 ゆっくり起き上がり、どうやら倒れた時に受け止めて貰えたのかどこも痛くなかった。服も汚れていない。

 周りを見回すと、白いカーテンに囲まれていて何も分かりはしないが、保健室だという事はそのカーテンですぐにわかった。

 廊下方面からは、声が聞こえたり歩き音が聞こえて来たりするから休憩時間なのだろう。


「そういえば、朝に倒れたんだっけ……」


 それにしても酷い目にあった。まさか推し――好きな人が半年ぶりの再会であんなに激しいスキンシップをするとは思わなかった。心の準備が整わないうちにあれは心臓に悪い。


 ――っていうか、私半年前クリストファー様とどんなやりとりしたんだっけ……?


 全く思い出せない。そもそも彼と関わった記憶がほとんどない。

 急に訳が分からなくなり脳みそが急に混乱し出す。あんなに気さくの話していたのに、ここ数年関わっていない……?

 分からない事は今考えても仕方ないと頭を振り先程の事を思い出す。

 これから心臓を何個持ち歩けばいいのだろう。普通に下手すれば死ぬかもしれない。

 幼馴染なんだからこれくらいしてもいいと思われているかもしれない、なんたってスティと一緒に育ったようなものだから、妹かそこらだと思われていても不思議ではない。

 将来的にクルエラが、クリストファールートに移り変わる事があったとしたら私は違う人と結婚する事になるだろうし、あとで失恋で辛い思いをしたくないからあまり期待をしないでおこうと思った。


 ――いや、そもそも推しが結婚するという段階でメンタルずたずたになるかもしれない。心して置かないと塞ぎ込むかも知れない。


「あ、起きたみたいだね。どこも痛い所はない?」

「えーっ!?クリストファーさまっ!?」

「シャル、ここは保健室だから静かにね」


 ベッドを囲むカーテンの隙間から、ひょっこり現れる銀髪の麗しのクリストファー様は、綺麗な形のいい唇に人差し指を添えて静かにとジェスチャーしながらウインクする。


 ――顔が良すぎて、直視出来ない……!


 ちらりと横目に微かに見える、壁に掛けてあった時計をみるとお昼過ぎをさしていた。すっかり寝過ぎてしまったようだ。


「ずっと、見ていてくださったんですか……?」

「僕の顔を見て倒れたんだから……一応ね」


 ちょっと根に持ってますね、本当にごめんなさい。

 背もたれのない回転椅子をベッドサイドに置いてそこに腰を掛けながら、私の様子を見て安堵したのか、朝と同じように柔らかい微笑を見せる。

 この笑顔はズルすぎる。

 世界を破滅させそうな破壊力だと思う。


「体調は大丈夫?」

「は、はい……。あの、スティは……?」

「スティには、教室に戻ってもらったよ。シャルの分も授業を受けるように言っておいたから」


 彼女は無遅刻無欠席の常連とも呼ばれている優秀な生徒だ。

 私のせいで遅刻になったらと思うと申し訳ない気持ちになる。クリストファー様はいい判断を出してくれたと賞賛したい。

 いや、スティと共に行動している私も同じく無遅刻無欠席なのだが、あんなに美しい彼女が居ては私の存在など霞むという物だ。

 迷惑をかけてしまい申し訳なさにしゅんとしていると、クリス様は聡い方でそれを察して慰めるように頭を優しく撫でてくれる。

 そして、朝と同じ動悸が始まる。

 どう考えても重症の恋です。本当にありがとうございます。


「あの……、クリストファー様――」

「シャル、昔みたいにクリスって呼んでくれないのかな」


 ――というか、本当に貴方のその喋り方はどうしたんだと聞きたい。


 クリストファーはゲームではもう少し、例えるならグランツ寄りの喋り方をしているはずなのだが、なぜこんな優しい王子様みたいな喋り方になったんだと突っ込みを入れたいが、いつからこんな喋り方していたかシャルティエの記憶では思い出せず悶々とした。

 昔を懐かしむような、でも私の他人行儀な態度に寂しそうな瞳の彼に、私は断る事も出来ず、控えめに小さい声で「クリス様」と呼ぶと、満足げに笑ってこちらに微笑みかけてくる。

 耳から火が出ているような感覚に俯く。

 きっと今の私の顔は真っ赤だろう。


「小さい頃だったからと言うのもあって、少し照れくさくなってしまって……」

「僕はシャルにクリスって呼ばれたいから、次からクリストファーって呼んだら無視するからね」


 めちゃくちゃな事を言う彼は、また私の頭に大きくて綺麗な手が乗せ、そして撫でた。

 何度も頭を撫でられていると次第に慣れてくる気がする。動物を手懐けるような感覚になんだか丸め込まれている気だってしてくる。

 しかし、今朝のようにまた頭がパンクしそうになって、ひとまず考える事をやめた。


「そう言えば、昨日のスティの無実を証明するって話だけど――」

「……もうその話を聞いたのですか。あ、あの――」


 出しゃばってすみませんと咄嗟に言いかけた時、それを遮られた。


「その事だけど、僕にも手伝わせて欲しいんだ」


 ……ん? 


 今の所、巻き戻してもう一度聞きたい。どうしてここらへんに巻き戻しボタンを置いておいてくれないのか。せめて過去ログボタンが欲しい。

 ぎょっとした顔、もしかしたらもっとひどい顔をしてクリストファー――クリス様の端正な顔を見上げると、それはもう極上の微笑みをこちらに向けて返事を待っていた。


「で、でも……、危ないかもしれませんし。クリスト――クリス様にもし怪我でもさせてしまったら。あ、もしかしたら誰かの反感を買ってしまうかもしれないし……」

「大丈夫、そういう事には絶対にならない。それに、可愛い妹が僕の知らない所で、ありもしない事を囁かれて傷つく姿は見たくないんだ」


 そう言えば、原作の公式設定でクリス様は妹に溺愛した人物で、悪役令嬢であるスティを常に味方をしていた。

 私がプレイしているゲームではそんな要素皆無だったけど公式ファンブックを読んでいた時にそんな事を書いていた。

 攻略対象ではあるから、クリストファールートになると、クルエラはエストアールと親密にならなければならない。


 ――そこで、別のライバルが現れるんだっけ。なんて名前だったかな……なんとかフランチェスコ……?フランシスコ?思い出せない。確か頭おかしい令嬢だった気がする。


 記憶が曖昧過ぎてせっかくゲームの世界に転生したのに役に立た無さ過ぎる。

 しかし、この世界では、断罪を目の当たりにしたのもあるけれど、クルエラはグランツルートまっしぐら状態だ。

 でもクリス様が常にスティの味方をしていたという事が何より一番信用出来る証拠だ。

 そもそもクルエラと接点をまだ持っていないし。

 クリストファールートになるとまるでダメだが、よくよく考えると彼のルートになると周りにクルエラが迷惑をかけている事はほぼない。しかも今は接点がないのだから(二度目)。

 何よりエストアールが、今のクルエラと相入れていないのが何よりの証拠だ。今の段階ではクリストファールートはまずないだろう。

 そんな杞憂より、たった今クリス様からの申し出で正当な理由をぶつけられてしまい、返す言葉やお断りする理由も無くなってしまい、考えに考えた後、これでどうだというか言わないかを決める前に口に出した。


「ほら、伯爵家の評判を落とすような事になったら、まともなお嫁さん取れなくなるかもしれませんし!」

「……そうだね、その時はシャルにお嫁さんになってもらおうかな」

「ひゃっ?!」


 頭を撫でていた手が、私の頬にそっとガラスでも触っているかのように優しい手つきで添えられる。

 頭を撫でられるだけでも限界突破寸前だった私の脳は、彼の行動一つ一つで甘く蕩けそうになった。

 ドキドキする鼓動を聞こえないように胸に手を当てて、こんな乙女ゲームのような展開、ルート的に将来的に結婚するかもしれない人物相手だが気が気じゃない。

 いや、私がシャルティエの今後どころか過去の動向を分からない為、原作通りの行動が出来ないからもしかしたら別の人と結婚するかもしれない。

 なんてたってここは、私の新しい三次元だからだ。

 今が現実なのだから。

 それに、もしかしたらからかっているのかもしれないと気持ちを無理矢理切り替えて、頬に添えられた手を握った。


「シャル?」

「一緒に……スティの、無実を証明……しましょう! 私もクリス様とスティには幸せになって欲しいので!」

「……はは、これはスルーと言う事かな? うん、分かったよ。頑張ろうね」


 さっきまで楽しそうに笑っていたクリス様は、私の返事に少し落ち込んだ様子で乾いた笑いに変わった。私は、それに敢えて触れなかった。やぶへびだ。

 クルエラ視点でクリス様が私との結婚でどういうふうに映っていたのかわからないが、少なくとも結婚式で嬉しそうな顔をしていないのだから、私はすすんで私自身がクリストファールートに入る事は快く思えなかった。



2019/08/09 校正+加筆

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