第57話 聖母は破滅の歌を謳う


 マリウスによると、脱出に要する手順は三つだった。まず俺とクレアが入り口近くの壁に貼りつき、次にマリウスが職員を呼ぶ。俺が管理者を倒した後に、キーを奪って外に出る。


 本当にうまくいくのだろうか。俺が半信半疑のまま壁に貼りつくと、マリウスが端末に向かって「緊急事態だ、誰かが部屋に入ってきた!」と叫んだ。


 待っているとやがて廊下を駆けてくる足音が聞こえ、扉が開け放たれた。飛びこんできた人影の首筋に俺が手刀を叩きこむと、職務に忠実な管理者は声も上げずその場に頽れた。


「キーはどこだ?」


「上着のポケットだろう」


 俺は言われた通り、管理人のポケットを弄った。指先が探り当てたのはカードキーだった。俺が奪ったキーを鉄格子の間から渡すと、マリウスは即座にロックを解除し、外に出た。


「ご苦労だったな。では約束通り、上のプライベート・ラボにご案内しよう」


 マリウスはそう言うと、当たり前のように管理人の服を脱がせにかかった。


「いいか、エレベーターを降りたら、そこはいきなりラボの真ん中だ。銃で撃たれても弓で射られても文句は言えん」


 マリウスはそう言うと、自ら先頭に立って部屋を出た。マリウスは廊下を澱みない足取りで進んで行くと、ある扉の前で足を止めた。


「この扉の向こうが、プライベート・ラボに直接通じる唯一のエレベーターだ。よほどの重要人物でない限り、ここを通ってラボに現れたものはすべて敵とみなされるはずだ」


 俺は端末で他の階を探索中の四人を呼び戻すと、マリウスと共にエレベーターが来るのを待った。やがて四人が引き返して来るのが見え、同時に箱の到着を告げる音が響いた。


「家族や恋人がいる者は、エレベーターに乗り込む前に別れを告げておくといい」


 マリウスはそんな脅しめいた言葉を吐くと、エレベーターに乗り込んでいった。


 俺たちは広いとは言えない箱の中で、着いた先で待ち受けているであろう戦闘に備えてそれぞれ武器を確認し始めた。やがて箱が止まり、扉が開き始めると、俺は先頭に立って身構えた。


「……?」


 開け放たれた扉の向こうに広がった光景を見た瞬間、俺は思わず首を捻った。武装した警備員の姿を思い描いていた俺の前に現れたのは、巨大な装置と人気のない空間だった。


「人が……いないぞ」


 巨大なフロアは、短い円筒を組み合わせたような正体不明の装置と、それを制御するためのパネル類で埋め尽くされ、通路に人影は見当たらなかった。


「とにかくこいつをぶっ壊せばいいんだろう?マリウス」


 俺が背後のマリウスに尋ねると、「壊すのではない、エラーを発生させて運転不能に陥らせるのだ」という言葉が返ってきた。


「エラーを起こさせる操作は私がやろう。盗賊諸君は邪魔が入らぬよう……ぬっ?」


 マリウスが装置の方に進み出ようとした、その時だった。床の一点が四角く開いて、二つの人影が姿を現した。


「誰かと思ったらマリウス博士ではありませんか。囚われの身だというのにお伴を引き連れて、いったい何をなさりに来たのです?」


「ジェイムスン教授……それにヒューゴか。君たちの計画を中止させるために来たのだ」


「愚かなことを。この『ヘル・マドンナ』の素晴らしさを目の当たりにしても、まだ古い世界のことが忘れられぬとは」


「お前がジェイムスンか。『ヘル・マドンナ』ってのは、一体何だ?」


 俺が問いを挟むと、ジェイムスンは「何者だ?お前たちは」と見下すように言い放った。


「お尋ね者の盗賊ゴルディ一家さ。デイジーの居場所まで案内してもらう代わりに、この化け物みたいな装置を壊すと約束した」


「ほう、するとお前があの少女の保護者というわけか。……残念だったな。お前たちもマリウス博士もここで終わりだ。なぜなら、今からこの『ヘル・マドンナ』にお前たちを殺す破滅の歌を歌わせるからだ」


「破滅の歌だと?」


「……ヒューゴ、やれ」


「はい」


 ジェイムスンが目で何かの合図を送った直後、岩全体が揺さぶられるような衝撃と共に、俺の身体を見えない力が吹き飛ばした。壁に叩きつけられた俺は、力に抗うべくやみくもにもがいたが、まるで貼りつけられた虫のように一ミリも動くことができなかった。


「な、なんだこの力は……」


 ほかの仲間たちも俺と同じように壁や床に押しつけられ、息をするのが精いっぱいのようだった。


「これが『ティアドロップシステム』の原理を発展させた『ディストラクション効果』だ。出力をさらに上げると、半径数百キロのあらゆるシステムと生命が永久に停止するのだ」


「……いったい、なんのためにそんなことを」


「世界を造りなおすためだ。現在の世界は選ばれし者たちによる新たな文明の揺籃にすぎない。世界が生まれ変わるためには人工的な『滅び』を発生させることが不可欠なのだ」


「そうか、お前がゲインズまで巻きこんで『ティタノイド・ユニオン』に潜りこんだのは、そのいかれた野望を成就させるためだったんだな」


「今ごろわかってももう遅い。第二楽章の途中で息絶えるがいい。……やれっ、ヒューゴ」


 ジェイムスンがヒューゴにそう命じた、その時だった。突然、恐ろしい唸りが一気に弱まり、俺を壁に押しつけていた力が失われた。床に落下した俺は、何が起こったのかを見極めようと必死でジェイムスンたちの方を見上げた。


「どういうことだ、ヒューゴ!なぜ出力が落ちた?」


「もう『ヘル・マドンナ』は第二楽章を歌うことはありません、ジェイムスン教授」


「なんだと?」


「このプログラムは私が『聖獣の凱歌』を元に組み上げました。……が、実は第二楽章以降のスコアを逆向きに書いておいたのです。これから装置の『ディストラクション効果』は外向きから内向きに――つまり装置自体を破壊する方向へと変化するのです」


「……貴様、裏切ったな?」


「騙したのはあなたの方ではありませんか、教授」


「くそっ、お前ごときに計画を台無しにされてたまるものか」


 ジェイムスン教授がそこまで言った時だった。不意に銃声が響いたかと思うと、ヒューゴが弾かれたように床に転がった。銃声のした方に目を向けると、いつの間に現れたのか三人の男たちが銃を手にこちらに近づきつつあった。


「油断したな、ヒューゴ。『天使銃』で撃たれた気分はどうだ?」


 ジェイムスン教授がせせら笑うように言い、ヒューゴに変わって装置の前に立った。


「その三人はサイボーグだな?ジェイムスン」


 マリウスが問い質すと、ジェイムスンは「いかにも」と言って顔をこちらに向けた。


「彼らは『天界の王』に仕える僕の一部だ。彼らが持つ『天使銃』で撃たれた者は体内に留まった機械生命に自由を奪われ、サイボーグ化に適した身体になる。私の研究の成果だ」


 ジェイムスンが得意げに言い放った直後、ヒューゴの身体に異変が現れた。身体のあちこちから表面を突き破って金属の触手が顔を出し、その度にヒューゴの顔が苦悶に歪んだ。


「やめて!」


 ジニィの叫び声がこだまするのと同時に、サイボーグたちの銃口がこちらに向けられた。


「……ようし、何とか修正したぞ。これでまた出力が上がるはずだ」


 ジェイムスンの歓喜の声が響いた次の瞬間、立て続けに銃声が聞こえ、三人のサイボーグたちが次々と床に崩れていった。


「装置をさっきの状態に戻すんだ、教授」


 警告と共に銃をジェイムスンに向けたのは、シェリフだった。


「うっ……」


 ジェイムスンが装置から手を放して後ずさると、ジニィが倒れているヒューゴの元に駆け寄った。俺たちがジェイムスンに包囲する形で詰め寄ると、突然、天井の一部が開いて多関節のロボットアームがうねるように姿を現した。


「こうなったら『天界の砦』にある二号機を完成させて『ヘル・マドンナ』の代わりにすることにしよう。お前たちはここで全員、暴走した装置に殺されるがいい」


 ジェイムスンはそう叫ぶと、ロボットアームに抱きすくめられて天井へと消えていった。


「くそっ、逃げる気だな。そうはさせんぞ」


 俺がそう叫んで駆けだそうとした、その時だった。「装置は私が止める」と言う声がした。


 声のした方に目を遣ると、マリウスが制御盤の前に立ってケーブルを引っ張りだしている姿が見えた。


「何をする気だ」


 俺が叫ぶとマリウスはにやりと笑い、白衣の袖を巻くった。驚いたことにマリウスの腕の一部は金属部品でできており、マリウスは装置から引き出したケーブルをためらうことなく自分の腕に接続した。


「ここの連中が私を監禁したとき、逃げられぬよう強制的にサイボーグ手術を施したのだ。……私の中の機械にこの装置を止める力があるかどうかはわからんが、これが私の技術者としての最後の仕事だ」


「愚か者め。そこで盗賊たちもろとも朽ち果てるがいい!」


 ジェイムスンは捨て台詞を残すと、ロボットアームと共に天井の中に消えていった。


「ヒューゴ……ヒューゴ、しっかりして」


 ジニィの声に振り向くと、抱き起こされたヒューゴが何かを言いかけているのが見えた。


「ジニィ……私はもう駄目だ。最後に言っておきたいことがある」


「なに?裏切った話ならもういいわ」


「そうじゃない。……君と暮らしたいと言ったこと、あれだけは本当だ。信じてくれ」


「わかったわ、信じる。信じるから、だから……」


 ジニィがそこまで言った時、ヒューゴの両腕が力を失ってだらりと垂れ下がった。


「……ヒューゴ」


 ジニィがヒューゴの身体を床に横たえ、涙を拭って立ちあがった、その時だった。


「よし、どうにか持ち直したぞ。……今のうちに『天界の砦』に行きたまえ、盗賊諸君」


 マリウスが苦し気な息遣いで、俺たちにそう告げた。


「でもこのままじゃあんたの身体が……」


「私はいい。ここで死んだとしても、きっとそういう運命なのだ。あそこに太い柱が見えるだろう。あれが『天界の砦』に通じるエレベーター……そしてこれが天国への鍵だ」


 マリウスはそう言うと、俺にリング状のキーを放って寄越した。


「さあ行け。砦に行って『天界の王』を倒さねば少女を取り戻すことはできないぞ」


 俺たちはマリウスの声に背中を押されたように、柱の前へと移動した。リング状のキーをかざすと、柱の一部が開いてどうにか全員が入れる程度の空間が目の前に現れた。


「命を無駄にするなよ、マリウス」


「ああ。来世でまた会おう、諸君」


 俺たちは柱の内部に収まると、扉が閉まるのを待った。やがて装置の唸りが扉によって遮られ、俺たちは暗闇の中を最後の目的地に向かってゆっくりと上昇していった。


              〈第五十八話に続く〉

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