第37話 船上を駆ける恋
「みなさん、事態が収拾するまで客室へ戻るのはしばしお控え下さい」
乗務員がそう呼びかける中、俺とクレアはざわつく客たちの合間を縫ってラウンジの外に移動した。二階の窓から甲板を見下ろすと、数名の乗客が上半身裸の男たちに取り囲まれているのが見えた。
「スイムサーペント……水上盗賊だ。まずいことになった。お宝を横取りされちまうぞ」
俺は懐中時計型の端末を取りだすと、後方の水上で待機しているジムに呼びかけた。
「聞こえるか、ジム?スイムサーペントが現れた。計画を変更する。後部甲板から『高飛び』して脱出するからボートで待機していてくれ」
「なんだか穏やかじゃねえな。……まあいい、迎えに行ってやるとするか」
「サーペントの船が近くにいるはずだ。くれぐれも気をつけてくれ」
「ああ、銛で攻撃してきたら低反動ランチャーで奴らの船を松明に変えてやるよ」
俺はジムとの通話をおえると、続けてブル、ジニィに呼びかけた。
「聞こえるか?予定を変更する。三十分後に後部甲板から『高飛び』だ。水上盗賊が……」
俺がそこまで言いかけた時だった。ふいにどこからか風が吹きこみ、振り返った俺の目と、窓の前に立っている水上盗賊のそれとが合った。
「その、時計を、寄越せ」
上半身裸の男は俺の時計を指さすと、水中銃に似た小型の武器を取り出した。奴らが陸地の敵に使う武器で、神経毒が塗られた小さな銛が仕込まれているのだ。
「ここは客船だ。危険物の持ちこみはご遠慮願いたいな」
俺は腰のベルトから鞭を向くと、男にむけて放った。銃に巻きついた鞭を引くと、男はバランスを崩しながら銃を手放した。俺が銃に駆け寄ろうと足を踏みだしかけた瞬間、男がナイフを抜くのが見えた。
――しまった、間に合わない!
俺が身体の向きを変えようとしたその瞬間、男の手からナイフが落ちた。クレアが電撃針を仕込んだ髪留めを投げつけたのだ。男はふらふらと後ずさると、そのまま後ろざまに窓の外に倒れこんでいった。
「助かったぜ、クレア」
「そこの階段から降りましょう。右の船側通路にはまだ敵はいないわ」
俺は頷くとクレアを伴って階段を降りた。通路に出るとクレアの言葉通り、敵の姿は見えなかった。客室の扉が並ぶ通路を船体後部に向かって進んでゆくと突然、扉のひとつが開き、現れた男女の乗客と鉢合わせた。
「……これはどうも、グレッグさん」
現れた男女のうち男性はグレッグ、女性はというと、少し前に甲板で見かけたメイドだった。
「これはコークスさん。……いや、楽器が無事に盗まれた以上、こうお呼びしましょう、ゴルディさん」
「あの手際には感心しましたよ。光学迷彩を施した組み立て式のコンテナに楽器を入れ、足元に置いておいたとはね。誰もが楽器の行方を目で探しているその間、盗品はあなたの足元にずっとあったというわけです」
「さすがは盗賊ゴルディ。ご明察です。……ですが仕掛けに凝りすぎたせいか、助手に託した盗品が手元に戻って来ないのです」
「何だって?」
「本当は隠してある貨物室から私の部屋に運んでもらう手筈になっていたのですが、私が彼女を安全な場所に移そうと動きまわっている間に連絡が途絶えてしまったのです」
「なるほど、本物の盗賊がやって来たので彼女の身が心配になり、お宝のことを一瞬、忘れてしまった……とこういうわけですね?」
俺は黒い髪と褐色の肌を持つ美しいメイドに見とれながら言った。
「そうです……しかしあの楽器の持つ恐ろしい力を考えると、やはり放っておくわけにもいきません。ゴルディさん、すみませんが彼女を安全な場所に連れていってくれませんか」
「そいつはやめた方がいい。ヴァネッサ嬢との婚約を中止させてまで一緒にいたかった人だ、あんたがついていた方がいいに決まってる」
「ゴルディさん……」
どこかほっとした表情のグレッグを見て、俺はこんな状態でお宝を取りに行っても何も手につかないだろうと思った。……やれやれ、ロマンスのお相手は他家の使用人というわけか。
「俺は家宝の方を守ってやるよ。……なに、盗みのついでだと思えばいい」
「『女神の手風琴』は『妖精の葦笛』と一緒に貨物室に置いてあります。盗んだはいいが、余裕がなくなってうっかり置き忘れた……という筋書きです」
「なるほど、うまい理由を考えたな。それじゃ、俺たちは貨物室に行くよ。彼女をしっかりと守ってやりな」
俺はグレッグにそう告げると後部甲板に行くのをやめ、クレアと共に貨物室に通じる階段へ向かった。
〈第三十八回に続く〉
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