タイムスリップした私が小学生時代の嫁に惚れるのは極めて論理的である

小石原淳

第1話 いきなり人生エンド? あ、違った

 死ぬかと思った。

 ――なんて言葉を、これまでの人生で何度吐いてきたか、覚えている人はいるのだろうか。

 私は数えたことなんてもちろんないが、多分、小学生の頃が一番多かったろうなとは思う。


 サッカーボールが顔の真ん前をかすめて、死ぬかと思った。

 回転遊具に掴まってどえらいスピードで回されて、死ぬかと思った。

 市民プールの滑り台を頭から滑って、死ぬかと思った。

 鬼ごっこで鬼から全速力で逃げ回って、死ぬかと思った。

 自転車で公園の階段をがたがた下って、死ぬかと思った。

 水泳授業の着替えで女子に覗かれて、死ぬほど恥ずかしかった。

 雲梯の上で足を滑らせ急所を打って、死ぬかと思った。


 ……まあ、どれも死ぬことはない。最後の急所を打つのは、死ぬ場合もあると聞いた覚えがあるけど、本当なんだろうか。

 要するに、少なくとも私は、本当に死にそうな目に遭った経験なんか一度もなかった。


 だから今、初めて本気で体感している。

 死ぬかと思った。

 いや。違う。

 死ぬと思った。死んだと思った。死ぬってこういうことかと。

 ぼやける視界と意識の沼に沈みつつ、私はこうなった原因を走馬灯していた。


 そもそもの話、私・貴志道郎きしみちおは幸せの只中にいた。結婚を二週間後に控えていたのだからな。

 私の嫁になる人は天瀬美穂あませみほといって、この上なく美人で可愛い。どう可愛くて美しいのかを説明してやってもいいが、長くなるし、好みはしょせん人それぞれだ。だから今のところは、読者あなたがたが思い描く、一番可愛いかつ一番美人を想像しておけばいい。あ、年齢は二十六、七な。童顔で若く見られがちなのが、ちょっと困る。何故って、事情を知らない人が見たら、私を犯罪者扱いしかねないからだ。

 ところで、独身最後の夜をそれぞれ男だけ、女だけで遊び倒す習慣が西洋にはあるらしい。

 それを真似たのか、学生時代の友人が誘ってきた。前夜ではなく、結婚式まで半月という区切りの日だったが、私は誘いに乗って羽目を多少外すことにした。

 尤も、クラブやキャバレーに繰り出したり、ソープの世話になったりといった羽目外しではない。

 一族に小中高の教師が多くいて、私自身も小学校教師。結婚を控えてアダルトな場に出入りする姿を、知り合いにちらっとでも見られたら、他の職業人以上にダメージをもらうのは火を見るよりも明らか。いや、そんな計算を働かせるまでもなく、元から行く気は皆無だったが。

 ともかく、結婚までおよそ二週間となった今日、土曜の夜、私は友人達が用意してくれた、料理と酒とセクシーなネタの数々を、彼らと共に存分に味わう予定だった。

 ところが最初の店で、調子に乗って飲み過ぎたらしい。元々酒に強くない私は、次の店に向かおうと……いや、帰ろうとしていたんだったか分からないが、千鳥足になっていた。もし千鳥足の最上級に万鳥足なんてものがあれば、間違いなくそっちだ。

 周りには友人連中がいたと思う。だから安心しきっていたのかもしれない。

 私は横からの突然の圧力に、車道に押し出されていた。

 運悪く、車が迫ってくる。アスファルト道に身体を投げ出した状態で、私が見たヘッドライトは、大型トラックのそれらしかった。

 その巨大な影はあっという間に迫ってきて、私を跳ね飛ばした。


 そして今に至る。

 間違いなく死んだと思ったんだ。だけど、三途の川の渡し賃を払う前に、声が聞こえた。「助けて」と。

 何だそれは。私の方が助けて欲しい心境だよ。

 言い返してやりたかったんだが、どうしてだか声が出ない。逆に、「助けて」の声は、私の耳の中でこだまして増幅を繰り返している。そんな感覚に襲われた。

 その声の渦は、やがてはっきりと一つのことを言った。

「天瀬美穂を助けて」

 と。


 つづく

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