第28話 異常に疑り深い男の話

私は、人を信用したことが一度もない。

他人はいつか必ず裏切る、と昔から思っている。

上手い話には裏がある、と昔から思っている。


儲け話を持ち掛けてくる奴は必ず自分の方が儲ける算段をしているし、

街で声をかけてくる人間は財布の中身か、個人情報を狙っているし、

マラソンで一緒に走ろうなどと奴は、一人でダッシュするつもりか、

一人でドンケツになるのが嫌で私の足を引っ張るつもりかのどちらかだ。


だから、彼女に声をかけられた時も心の底から警戒した。

同級生だと言われても、嘘だろうと思ったし

記憶をたどって確かにそうだったことを思い出しても、まだ警戒した。

急に「彼氏と上手くいっていない」と話し始めた時は

美人局つつもたせを疑った。


その後も繰り返し連絡を取ってくるので、

デート商法を疑った。


「二人で遊びに行こう」と誘われた時は、

仲間と待ち伏せするつもりじゃないかと疑った。


繰り返し会っているうちに、いつの間にか付き合っていることになっていて

彼女から何回「愛している」と言われても、そう言われる度に

どれだけ高級な商品を買わせるつもりなのかと疑った。


結婚したいと言われた時は、

結婚詐欺を疑った。


それでも、籍を入れたのは一緒に暮らし始めれば

を出すだろうと思ったからだ。

自分がバツイチになるだろう、ということは気にならなかった。

深まる疑いを裏付ける証拠が手に入るかも知れない。

そちらの方が重要だった。


一緒に暮らし始めると彼女は家事に精を出した。

共働きなのに私に家事をさせたがらなかったので、

隙を見て毒殺するつもりなのかと疑った。


殺されてしまっては証拠どころではないので、

私は積極的に家事を手伝った。

罠を仕掛けて事故死に見せかけるかもしれないと思い

掃除は私の担当したし、たくらみの証拠を掴むためにゴミ捨ては私がすべて行った。


一年が経って子供ができた、と言い始めた時は

本当に私の子供なのか疑った。


妊娠したと言った後も、仕事も家事もし続けていたので、

目に見えて腹が大きくなるまでは、妊娠していないのではないかと疑った。


そうして生まれた子供は、どことなく私に似ていたが

私の疑いは決して晴れることはなかった。


私はこの女を一度も信用したことがない。

だから今、この女が老いて、息を引き取ろうとしているのも

嘘に違いないと思っている。


ベッドを囲んで泣いている家族たちも、その心の中まではわからない。

誰も悲しんでなどいないかも知れないと疑っている。

顔で泣いていながら、頭では金勘定をしているかもと疑っている。


私自身も、悲しんでいないのかも知れない。

一度も信用したことのない女が死のうとしていることに対して、

私は、私自身が悲しんでいるのかどうかも疑っている。


自分の感情がわからない。


しかし、それでもただ一つだけ確信できたことがある。

私が抱いた多くの疑いを、ただの一度も口に出さなかったことはきっと正しかった。


彼女の安らかな死に顔を見て、それだけはわかった。



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