第24話 音楽のない街の話

荒廃した街の中、一人の男が歩いていく。

重金属を含む雨を垂れ流す曇天の下、

下品なネオンが明滅を繰り返す。


男はコートの襟を立てて、降りしきる雨の中を歩く。

繁華街にも関わらず、そこに華やかな音はない。

雨音だけが街に響いている。


どこまでも続く暗闇。

それを力なく照らす風俗店のネオン。

そのすべてを押し流しそうな汚れた雨。


男は歌う。

歌詞はわからない。

曲名もわからない。


この曲は昔、恋人が教えてくれたものだ。

「自由にピアノを弾いてみたい」

彼女はそう言っていた。


しかし、その願いは叶わない。

絶対に叶わない。

この街では、その夢は重罪だった。


「二人で街を出よう」と何度も考えた。

しかし、それも叶わない。

何重にも設置された壁は外界の有害物質から住人を守る防壁であり、

同時にこの街の住人――労働力が逃げ出さないように、

支配者が用意した檻でもあった。


彼女が死んだのは、男が「他の夢を見つけよう」

さとした次の日だった。


彼女が死んだ日、男が家に帰ると

彼女は自ら、あの曲を弾いていた。

そして、罪人として殺された。


「夢のためなら死ねる」という覚悟の行動だったのだろうか。

それとも「他の夢に向かうためのケジメ」として弾いたのだろうか。

それは、今となっては誰にもわからない。


男は歌う。

彼女が口ずさんだメロディを。

最期に弾いたメロディを。

男の行動も、この街ではまた罪である。

男はそれをわかっていて、なおも歌う。


男の後悔は、彼女を死なせてしまったこと。

彼女の夢を叶えられなかったこと。

そして、この曲の名前を聞かなかったこと。


その後悔に決着を付ける。


男の前に、武装した集団が現れる。その数は六人。

路地から現れた武装集団が彼の前後に陣取り、凄味を利かせた声で言う。


「歌ったな?」

「ああ。歌った」

「重罪だ」

「ああ。重罪だ」


「覚悟はできてるな?」

「なぁ……ひとつ聞きたいんだが、良いか?」

「遺言なら聞かんぞ」


「いや、なに。この曲の名前を知りたくてね」

「ふん、冥途の土産に教えてやる……『雨に唄えば』だ」


武装集団が一斉に銃を構える。


その刹那。

男はコートだけを残して彼らの視界から消えた。

状況を把握するより先に銃声が響く。

男は放り投げたコートで姿を隠し、身を低くして二丁拳銃を連射する。


その銃弾は取り囲んでいる集団の膝を、足払いのように薙いでいく。

姿勢を崩した仲間に邪魔をされ、傷を負わなかった者も即座に反撃できない。

コートが落ち切るより速く、男は照準を敵の胴体に合わせる。


正面と右に一発。姿勢を変えて後方と左に一発。

さらに姿勢を変え、脚を撃たれていない者を優先して無力化する。

防具を着けていても、男の放つ銃弾の衝撃は動きを止めるには十分だった。


男はまた姿勢を変える。

脚を撃たれ、今まさに倒れている最中の者。

胸を撃たれ、衝撃で仰け反って顎が浮いている者。

彼らの首、脇、股関節。防具の隙間を狙って銃弾を撃ち込む。


銃声が鳴り止んだ。


コートが地面に着くまで数秒足らず。

その間に、男が射撃姿勢を変えること、7回。

撃ち込まれた弾丸は、24発。


6人の武装集団はそれぞれ4発の銃弾を受けて絶命していた。

男は独り言ちる。

「ありがとう。おかげで、後悔生きる理由が一つなくなった」


この街で、歌は歌えない。

演奏もできない。

すべての楽曲の権利を街の支配者である企業が独占しているからだ。


彼らはありとあらゆる場所にスパイを送り込み、

たとえ楽譜代として十分な著作権料を払っていようとも

演奏、歌唱の度に高額な料金を請求する。

そして、自分の手が届かない音楽が存在することを許さない。


曇天に向かい男がつぶやく。

「あと二つ」

男の後悔は、彼女を死なせてしまったこと。

彼女の夢を叶えられなかったこと。


今の彼は支配企業に反旗をひるがえしたテロリストである。

この街に、自由に演奏できる日が来るまで、

彼の後悔は終わらない。



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