文芸部の幽霊部長

甲池 幸

プロローグ

「あっついなー」


 文芸部の部室に部長の呑気な声が響く。


「さらに暑くなるので、黙ってください」


 パタパタと手で自分をあおいでいる部長にじとっとした視線を向ける。残念ながら、彼の手からはほんの少しの風も生み出されてはいない。それは部長の手が小さいからではなく。


「だいたい幽霊でも暑いものなんですか」


 そう、ひとえに彼の体に実体がないからだ。


「いや?全然」


 へらっと笑ってみせる部長に、私は手に持っていた消しゴムを投げつける。もちろん幽霊に当たるわけもなく───消しゴムは小さな音を立てて床に落ちた。大きくため息をついて、消しゴムを拾うために立ち上がる。扇風機すらない小さな部室に、椅子を引く音がやけに大きく響いた。


「そんなぴりぴりしてると、余計暑くなるぞー」


「誰のせいだと思ってるんですか」


 ハハッと軽く笑った部長に、小さく胸が痛む。その痛みから目をそらして、消しゴムを拾う。触れた床の冷たさが、妙に胸に迫った。


「そういえばさ、俺、成仏しようと思う」


 この前読んだ小説が面白くてさ。日常の中に埋もれてしまうような何気なさで、部長はそう言った。あまりにも唐突だったけれど、その声が驚くほど落ち着いていたから、一瞬理解が遅れる。間をおいて、言葉が脳に染み込んで、心に到達する。


───いなく、なるのか。


 鈍い痛みが胸のあたりに広がる。でも部長の決定に異議を唱える気にはなれなかった。声から伝わってくる決意の重さが、痛いほどわかってしまったから。


「いいんじゃないですか」


 口から出た声は、感情がなく淡々としていて。自分の幼さに嫌気がさす。


「そんでさ、俺の心残りを消化すんのをお前に手伝って欲しいんだよ」


『なんか、心残りがあると成仏できないらしくてさー』


 一年前、部長の幽霊が初めて私の前に現れた時の呑気な声が蘇った。驚く私を見て、爆笑していたことも思い出して、その時の苛立ちが蘇ってくる。


「いやですよ、めんどくさい」


遅すぎる反抗のように部長を睨む。


「幽霊にも心はあるんだぞ」


「あー、部誌の締め切りが迫ってるんだったー。私すっごく忙しいなー」


「部誌の締め切り三ヶ月後だぞ」


「うるさいです」


 どういう訳かため息を了承の合図と取ったらしい部長は嬉々として「心残り撲滅作戦」について話し始めた。ネーミングセンスの無さについて突っ込む気力も、部長の勘違いを否定する体力も、暑さで無くした私は、いつのまにか部長のおかしな作戦に巻き込まれていた。

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