第31話 花はうたう
暑さを感じないわけは室温だけではないだろう。秘匿された貴重な品。機嫌を損ねれば寄贈の話は消えてしまうかもしれない。
魔力と財力に富む人の悩みなど理解できると思えないが、身の上話は始まってしまった。僕は静かに耳を傾けるのみだ。
* * *
私、メリメ・ユーミズはゴードン・ユーミズの娘として、双子の姉アリアとともに生まれました。
義弟のセシルは父の腹心の部下の忘れ形見です。父は男の子の跡取りが欲しかったこともあり、可愛がっておりましたよ。優しい良い弟でした。
彼は目が見えなかったのですが、父が優れた回復術師を招いて、見えるようになったのです。養子となって父の跡を継ぎ、のちにカルロを育てました。
私たち双子は、か弱いながらも魔人でした。魔力が現れ始めたのは、私は7歳ごろでしたから…………姉もそのくらいでしょう。
姉は魅惑の声を持ち、妹である私は魅惑の魔眼の持ち主でした。……こんなお婆さんが言っても信じられないでしょう。
魔力も寄る年波とともに衰えました。それで、むしろ楽になりましたよ。魔法を使う仕事をしているわけではありませんから。
あの子がもっと長生きしていれば、姉妹で仲直りできたかもしれない……なんて仕様のないことをつい考えてしまうんです。
(魔眼だって? でも僕は何ともない。この人の魔力が年齢とともに衰えたのは本当らしいな)
私は……7歳よりもっと幼い頃から湖畔の別荘で療養しており、家族と過ごした時間はさほど多くはありませんでした。
アリアが婚約するころまでは、毎年夏に湖畔の別荘にきょうだい皆で集まりました。その頃がいちばん楽しい思い出でしたわ。
セシルと一緒に……貝殻を探したものです。アリアの歌を聴きながら。
もし私たちがいまの時代に生まれていれば、女優か歌姫を目指したかもしれません。
けれど実際のところ父は私たち姉妹に、家を離れて華やかに活躍するより、とにかく家名を傷つけないことを望みました。両親の目には、私たちの魔力は厄介事の種としか映らなかったのです。
今の人には分からないでしょうけれど、そういう時代だったんですわ。名家と言われる家の娘は特にね。……自慢話ではなくて、年寄りの愚痴と思って聞いてちょうだい。
14歳のとき、アリアに縁談が持ち込まれました。相手は父の取引先の一つ、サネセレ家の当時長男ソフィロです。挙式は花嫁の16歳の誕生日の予定でした。早めに婚約して、結婚できる年齢に達するのを待つという訳です。
魔力のある娘を政略結婚させるときによくあることですわ。今でも……黒森城の末のお姫様はそろそろではないかしら。
セシルの目が魔法で治ったのもこの時期です。正直なところ、あのころは婚約よりもこちらのほうが大きな喜びでした。
その次の年、私たち双子が15歳のときに大変なことが起こりました。
ソフィロ・サネセレは買い付けのために自ら船出しましたが、その船が難破してしまいました。
回復術師も行方不明になってしまい、彼ひとり、べつの船に助けられて生還した時には聴力を失っていました。
婚礼の日が迫るとはいえ怪我も治りきらない花婿を、しばらく休ませるために式を延期しようかという話が持ち上がりました。
それでも婚礼の日取りは変わりませんでした。延期に反対したのはサネセレ家です。
それはそうよね。延期したまま破談にでもなれば、お互いちがう相手を探さないといけない……以前ほど良くない条件のなかでね。そうなったら辛いですもの。
やがて婚礼の支度が慌ただしく始まりました。
私も手伝いに来たけれど……花婿は……目を見てしまったのです。
そこに衣装を着た花嫁が現れ、瓜二つだと気づいたときの彼の驚いた顔を忘れることが出来ません。
彼はもう、アリアを愛する人ではなくなっていました。
アリアが純白のドレスの裾を引いて部屋に閉じこもったとき、セシルはアリアを心配してついて行きました。
義弟は父の後継者で、前途有望な若者でした。その立場も忘れて……私は……。
義弟に短剣を持たせて命令しました。
婚約者を惑わせた女の命を奪いなさい。出来ないならせめてその眼を傷つけて魔力を失わせなさい、と。
ええ、ええ、そうですとも。
私はメリメなんかじゃない。
双子の姉の、アリア・ユーミズです!
セシルは、綺麗なままの短剣を持って戻ってきました。彼の話はこうです。
「初めてメリメの目を見ました。
心が強く引き込まれるのを感じながら、これが魔力の働きだと気づきました。こんなものは愛でも恋でもありはしない……」
同時に、私のためにメリメを滅ぼさなくてはならないという決意も、やはり魔力に惑わされたからだと彼は悟りました。
「アリア姉さん、あなたに罪を背負ってほしくない。幸せを掴める時がきっと来ます。そのとき後悔に心を曇らせてほしくない。少なくともこれだけはぼくの本心です」
(そういうことか……。セシル・ユーミズ氏の魂よ安らかなれ! では依頼の品とは、魔眼を封じる道具だろうか。幼いメリッサにも使えればいいのだが。たとえ僕がローラとともに地獄に落ちようと、エレンたちとの約束は果たしたい)
結局、婚礼は予定通りに行われました。
妹と私は入れ替わって、妹がアリアと名乗って西都へ嫁ぎ、私はメリメとして湖畔の別荘で暮らすことになったのです。
ええ、知っていましたよ。父もソフィロも。彼らがそう決めたも同然ですもの。雁首揃えて私の部屋に頼みに来ましたよ。
人を許すのがどんなに難しいことか、うんざりするほど学んだつもりでいました。
アリアの婚約者は魅惑の瞳を持つ妹を連れて帰ってゆきました。
私は本物のメリメが生きているあいだ湖畔の別荘で過ごし、思い出を寂しさで塗り替えるような日々を過ごしました。あの子だって寂しかったでしょうけれど、子供時分の私たちには未来がたっぷりとありましたのに……。
(「メリメ」、いや湖畔に残された娘の暮らしぶりは資料に記されていなかった。婚礼の前の一件より後はただ静かに耐えてきたのだろう。
この先は面白い逸話などなさそうだが、聞くのが面倒とは感じない。これも衰えたといえどもまだ残る声の魔力のなせる業だろうか?)
その後、私にも縁談はあったのですが、隠し事の相手を増やすのが憂鬱で、全て断りました。義弟は私の幸せを願ったというのにね。
妹の嫁ぎ先の手前、入れ替わりを知られてしまうわけにいかなかったのです。
セシルはと申しますと……父のためにも、この家の勢力を広げるような縁を結びたかったはずです。けれど女性のことも、色恋沙汰も苦手になってしまいました。
……私のせいですわ。
やがて父が病に倒れると安心させようと急いで、部下の子を養子に迎えました。カルロですわ。その時カルロはルティアと結婚を決めていました。
あいにくサネセレ家の夫婦は長生きせず、メリメの魔力は子に受け継がれませんでした。
本物のメリメが世を去ったからといって、種明かしをして良いことにはなりません。私はこの屋敷に戻ってからも、私の人生を狂わせた女の名で呼ばれて過ごしました。
父が世を去るとき、たしかに私に……このアリアにもう一度詫びました。
本当の名を名乗ってよいとは遂に言ってくれませんでしたが、「もういい」とそのとき胸の内で呟いたのを覚えております。父を許したのか、諦めただけなのか、自分でも分かりません。
* * *
アリア・ユーミズ老嬢は立ち上がり、ゆっくり歩き出した。覚束ない足どりが気になって後を追うと、
「やっぱり掴まらせていただいてよろしいかしら」
というので僕は望むようにさせた。
部屋の隅の、古めかしい物入れに向かう。
話にはまだ続きがあった。
* * *
父の喪が明けると、ルティアが嫁いでまいりました。カルロは本当に良い子を連れてきてくれたものですわ。
いつも元気によく働いて……何より、メリメを知らないから一緒にいても気楽なの。
ゴードン・ユーミズの2人の娘にどんな過去があろうと、若夫婦にとってこの家の小姑は1人ですものね。
ロザリーなんて可愛い名前もつけてくれて。
嫁が子供のころ大好きだった絵本からですってよ。「花はうたう」という題です。花が咲こうとするとき、花の精が歌っている……というお話だそうです。人間が近づくと花の精は歌をやめて隠れてしまうとか。でも主人公の女の子とは友達になって一緒に歌うんです。
あの子は板挟みだったのです。子供に帰りつつあるセシルと、本当の名を明かせずにいる私と。
ある夜、ルティアは「お義父さま」が呼んでいると言って私の部屋に来ました。……予感がありました。
セシルはかすれた声で、アリア姉さんの歌を聞きたいと言うのです。
私の声はすっかり衰えてしまったけれど……セシルは子供のように安らかに眠りにつきました。永遠に……。
* * *
いまとなっては神のみぞ知るのだ。彼らの花の季節の思い出を。
老婦人はいつのまにか、いままで掴んでいた僕の服の袖を放し、物入れに寄りかかっていた。
その重そうな戸を開け、その中の鍵付きの箱を服のベルトに結びつけていた鍵で解錠すると、さらに小さな木箱が現れた。
「聞いてくださってありがとうね。約束どおり、これを差し上げましょう。開けてご覧なさい。
私たちは仲の良い姉妹とは言い難いけれど……この品が魔力ゆえに悩める人の助けになること、それは妹と私の共通の願いですわ」
小さな木箱を受け取ると、中身は、貴婦人が仮面舞踏会にでも着けて行くような煌びやかな仮面だった。
「妹が社交の場に出るとき必ず身につけていた、魔眼封じの仮面です。
目のところにレンズが嵌っていて、魔眼の力を打ち消す働きをするのですわ。
必要ならレンズを外して、魔眼封じの眼鏡に作り替えて頂いてかまいません。新しい持ち主となる方にお任せします」
説明を聞く最中にも僕のあたまのなかでは、ローラとエレンとメリッサが穿月塔6階を背景にくるくる回っていた。
メリッサ、待たせたね。僕はやったよ!
エレンは少しだけ寂しそうに笑う。もう僕に会う口実がなくなってしまう……。
ローラは……? ローラだけ、次に僕に会うときどんな表情を見せるか予想できない。
「あら、貴方がたにお願いしなくてはいけないことがもう一つ思い浮かびましたわ」
老婦人の少し明るくなった声が、僕の空想をひとまず終わらせた。
「この品の出所も、私が生きている間は内緒にして頂きたいわ。だって、表向きメリメが生きているということですもの。真相が世間に知れたら……いえ、案外どうということもないかもしれませんわね。もうカルロたちの時代ですもの。
駄目ねえ、体裁を繕うことに慣れてしまうと、そうしない生き方を想像できなくなってしまうのよ……」
「魔力が衰えたので魔眼封じは必要なくなった、と説明できるのでは。勿論秘密は守りますが」
もしかしたら正体を明かすことに背中を押すほうが良いのかもしれない。しかしそれを言うのは差し出がましい気がした。
「あら、その通りですわね」
魔眼封じの仮面を木箱ごと丁寧に鞄にしまった。帰り際に、思い出したことがある。
「あの、貴方をロザリー様とお呼びしても?」
「あなたはまだお友達ではないけど……まあ、良いですわよ」
屋敷を出ると、すっかり日は高く、地面までも夏の日差しに熱せられていた。歩きながら庭の花を眺めるのも眩しいほどだった。
(続く)
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