第21話 判明する過去の断片 1

 ふともも。おっぱい。君の声。

 ひざまくらという地上の楽園。

 楽園の女神ローラ。

 これは夢ではないかしら。

 そうならこのまま永眠したい。


 しかし、蜜より甘いひとときは儚く断ち切られた。魔人狩りだ!

 ローラが「敵」に対峙する。その横顔を僕は見ている。

 ローラを一人行かせてはダメだ。僕はローラのもとへ飛び出した。

 みんなが君をどう思っていても。

 君が僕を、僕が君を思うようには思っていなくても。

 僕は……。


 僕は見慣れた天井の下で目を覚ました。

 ……魂に先に死なれるのは御免だよ。



    *  *  *



 時計を見れば、もうすぐエレンの来る頃じゃないか。とび起きた。

 あの娘は記憶をなくす前の僕に会ったことがあるという。その時の話を聞きかせてもらう約束だ。


 今朝会ったときは彼女の朝食がまだだったのと(妹さんにはとり急ぎお菓子を食べさせたとか)、僕が夜通し歩いて寝ていないことをお互いに気遣った結果、午後にこの部屋に集まることになった。

 

 そのとき僕は、さしあたり眠る必要はないが着替える時間が出来た……くらいに思っていた。それが服を脱いだだけで眠りこけてしまったのだ。

 疲れによる魔力の過剰な消耗。下手をするとエレンたちを襲っていた……? 

 ゾッとして眠気の欠片も吹き飛ぶ。

 僕は奥歯の脇に入れていた魔鉱石を新しいのと替え、甘い夢の痕跡が残る下着をベッドの下に隠し、大急ぎで身体を洗って支度した。



「モローさん!」

「お兄さん!」

 声とノックの音に扉を開けたときまだ髪が乾いていなかった。姉妹のきちんとした可愛いらしい身なりと何たる違いか。


「私、いま銀狼亭のまかないを手伝わせてもらっているの。だから、これを分けてもらえたよ。ほら、今が旬の鳥啼魚」

 エレンが包みを解けば、まだ湯気の立つ魚の揚げ物と、みずみずしい野菜と果物が現れた。白杖を突いてきた幼いメリッサも、もう片方の手でパンを運んで来てくれた。

 僕が少ししかない皿を戸棚から出すと、全部使いきってしまった。亡者はふだん食べる必要がないからそうなる。

 こんな僕でもご馳走はやっぱり嬉しい。

 


 鳥啼魚は北部地方以北の川に生まれ海で育つ魚で、成長途上の一時期だけヒレを使って水辺に登ることができる。

 春の終わりの旅立ちに向けて、ヒレの退化など水中だけの生活に適した成魚の体に変化する。その変化が迫るころ、水辺で小鳥の声のような音を発するのが、惜別の情を思わせる……と言われる。

 きっとリデル様も兄さんたちと召し上がったことだろう。

 海で何年過ごすかはまちまちだが、繁殖期に故郷の川に帰る。こんなふうに獲られなければ。


 北部出身の僕に、昔を思い出してほしいという思いを込めて選ばれた献立に違いない。

 

「やっぱり鳥啼魚は旨いな」

「お姉ちゃんが作ったんだよ」

「銀狼亭みたいな立派な台所は見るのも初めてで、緊張しちゃった。口に合ったなら、良かった」

 エレンの顔は真っ赤だ。水の入ったコップを大きく傾けたのは、揚げ物の塩気のせいではないだろう。


「じつは私、今朝は頼みごとを取り消すって言おうとしてたの。このごろ地震やら大雨やらで、崖崩れでも起きたらどうしようって。あの石像のことで不安を抱え続けるのは我慢できるけど、モローさんに何かあったら……」

 エレンは栗色の瞳を潤ませて語った。 

「そしたら貴方が後ろにいて、嬉しいやらビックリするやら」

「昨日の晩もここに来たんだよ」

「こら、メリッサ」

 その時僕はもう出かけていたのだろう。ずいぶん心配かけたんだな。


「なんだか申し訳ないな……。実をいうと、僕は何もしてないも同然なんだ」

「どうして?」

「あのボロ小屋のあたり一帯が、跡形もなく崩れ落ちていたんだ。線を引いたみたいに母屋を無事に残して。石像を片付けたのは僕じゃなくて地震なんだ」

「えっ……じゃあ、運が悪かったらお兄ちゃん死んでたんだ⁉︎」

「何もしないなんて、とんでもない。危険を冒して私たちの心配事を取り除いてくれたことに変わりないんだもの。本当にありがとう。でも、もう二度とそんな無茶しないで」


 申し訳なく思う理由はまだある。

 たぶんエレンは僕を好きだ。ローラを忘れられないくせに彼女の好意に甘えていいのか? 

 女の子に好かれるのは嬉しいことのはずなのに、僕には受け取る資格がない。

 しかしまだ「たぶん」だ。好かれている前提であれこれ悩むのもひどく野暮ったい感じがする。

 そう。好意があるとは限らないし、あるとしても僕の正体を知らないからだ。

 亡者のくせに勘違いするなよ……。


 もちろん僕の過去の話は聞く。ローラとどうなるか分からないからこそ、約束は果たしておこうと決めたんじゃないか。

 

 いつの間にかテーブルの上に食べ物はなくなっていた。

「そろそろ始めるね。あなたと私が初めて会ったときの話。

 私にとっては怖い出来事で、あなたにとって多分つらい話。

 飲み物だけは残っているくらいで丁度良いわ……」

 

 

  *  *  *



 まず、絶対に信じてほしいことがあります。メリッサに石化の魔力があると気づいたのは、窓の真下の地面に小鳥の形をした石の像が落ちているとかの出来事が重なったから。

 人間に魔力を使ったことは、あの女強盗以外にありません。


 私たちはもともと三姉妹で、親戚に預けられ、先にお嫁に行った姉から仕送りをもらって暮らしていました。 

 姉は私よりずっと美人で、お金持ちに見初められたの。私たちと比べると髪も瞳も明るい色をしてたわ。


 私たちが住んでいたのは、ニナ村という小さな村。魔鉱石の鉱山街として知られるカサンドラの町の近くです。


 ある日、村長の厩から暴れ馬が逃げ出し、そのとき森の入り口で遊んでいた私たちは危うく踏み殺されるところでした。

 その馬をメリッサが石に変え、難を逃がれたのです。私たちはそのことを誰にも内緒にしました。

 石に変わった馬が見つかったとき、村人たちは、森に怪物がいると噂しました。


 いっそ噂を聞いて冒険者でも来てくれたら、村の景気が良くなったかも。冒険者っていいですよね、魔力のある人もない人も協力し合って。おっと、話が逸れましたね。


 噂はカサンドラにも伝わりました。そこの自警団は、団長が代替わりしてから魔人狩りに手を染めるようになったと聞いています。

 村に来たのは魔人狩りです。


 武装して懐中時計のようなものを手にした男たちが村に現れました。

 彼らの標的が石化の魔力を持つ魔人であること、時計のようなのは魔力計で、強い魔力を帯びたものを探知する道具だということを、情報通の小母さんが知らせてくれました。

 この人は昔カサンドラの坑夫向けの食堂で働いていたから、魔力計のことを知っていたの。もとは魔鉱石の鉱脈を探す道具だとも言っていました。

「あいつらがいなくなるまで家から出ないほうが良いよ。争いに巻き込まれたくなければね」

 小母さんが行ってしまうと、私はメリッサを連れて家の中に入り、箪笥の中に隠れさせました。たくさんの衣服が魔力計から隔ててくれることを祈りながら。私も居留守を使うつもりでした。



 でも私、あろうことかメリッサの白杖を外に置いてきてしまったの!

 急いで白杖を拾ったところで、魔力計を持った男の人に見つかりました。

 比較的軽装で、黒髪に黒い瞳の……このときは両眼が開いていました。あなたです!

 

 もちろん今はそんなこと思わないけど、その時はあなたの白い肌と黒髪が、まるで死神のように恐ろしく見えました。


 あなたは私が扉を閉めようとするのを阻んで低い声で尋ねました。

「君のほかにもいるんだね?」

「いません」

 メリッサのことはなりふり構わず隠し通すと決めていました。あなたはあなたで、私の返事より魔力計を信じているようでした。

 私の腕の力が保たなくなると、あなたは家に入りこんでしまいました。


 何とかして追い返せないかと考えようとしても、何も思い浮かびません。

 私は自分でも気づかぬうちに、メリッサの隠れている箪笥のほうへ視線を動かしていたようです。

「そこだね?」

 と言われて、

「いません! 誰もいません!」

 私は自分の迂闊さを呪いました。人を隠していると白状したも同然ですから。

 あなたはひどく悲しそうな眼をして、何も言わずポケットに手を入れました。


 プツッ! と音がしたと思うと、あなたは一掴みの水晶のビーズをくれたんです。たぶん、ネックレスか何かの糸を切ったのでしょう。

「大事な人と、これで逃げろ」


 あまりに意外な言葉に事態を飲み込めないでいると、あなたは話し続けました。

「皆が皆、本心から魔人を憎んでいるわけじゃない。僕たちは貧乏人の集まりだ」

 なぜ貴方がこんな話をするのか分かりませんでした。

 その間にも、あの家にはいない、そこも違った、と知らない人たちの声がします。


 それからあなたは火にかけた鍋のほうをチラッと見て、私に聞きました。

「いまこの家に、ほかに誰かいる?」

「……身代わりを差し出せというの?」

「そうじゃない。君たちを逃がすために……早く答えて!」

「いません」

「わかった。急いで!」

 私は箪笥を開けてメリッサの手をとると一目散に駆け出しました。


 町外れで、人にぶつかってしまいました。

 それはさっきの小母さんで、ちょうど薬屋から出てきたところでした。

「エレンちゃん、大丈夫? そんなに慌ててどうしたの」

「ごめんなさい。私たち、この町を出ます。これをあげますから、どうか内緒にして」

 水晶のビーズを何粒か渡して、小母さんの返事を待たず走り出しました。



 これ以上走り続けられないというところまで来て、村のほうを振り返ると火事のような煙が見えました。

 誰も私たちを追ってきた様子はありませんでした。みんな火を消すことに躍起になっていたからでしょう。

 ここまで来てやっと、あなたに助けてもらったと気づきました。


 

 とはいえ、カサンドラの自警団はまだ石化の魔人を探しているかもしれません。

 姉からの送金を待つことも出来なくなりました。旅の途中で知ったけれど、どうやら姉のほうも住所を変えたようで、連絡する方法が無くなりました。


 ともかく、それから私たちはルバーブ温泉街までは何事もなく旅を続けられたのです。

 そこで悪者に目をつけられたけれど、その顛末はあなたも知っての通りです。

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