リントヴルムと花の魔女

ちとせ

洗濯物をため込むなんて、リスでもしません

 師匠は放任主義だ。


 僕がいくら声をかけても返事をしてくれない。

 ちょっと凝った料理を作っても、はたまた失敗しても、何も言わない。

 いつも話しかけるのは僕からで、一方的に喋って終わる。師匠からの声掛けなんて、指示くらいだ。

 何だか、オリバーさんのところにあるラジオ。僕はあれみたいだ。


 寂しい。そう思うようになったのは、いつの頃からだろう?






 清々しい青空が梢から覗き、ひなたを作る。

 白いシーツが心地良さそうに風に流れ、白いシャツが日差しに透けた。

 よし、洗濯終わり!

 達成感を噛み締め、洗濯カゴを片手にさげる。この天気なら、おやつの時間には乾いていそうだ。

 今日は洗濯物も少なめだったし、時間にもゆとりがある。のんびりオリバーさんのところへ行こう!


 裏庭から家に入り、所定の位置に洗濯カゴを片付ける。

 いや、片付けようとした。


 洗濯カゴのあるべき場所に、捨て置かれた黒色のローブ。引き攣る内情を無視して、くしゃくしゃに丸まったそれを手に取って広げてみた。


 ――広がらなかった。


 べっとりとこびりついた暗色の何かが、糊のようにくっついて剥がれない。

 ぽろぽろ、零れ落ちる暗褐色の破片に、胸にわき上がる衝動を懸命に耐えた。


 大丈夫、掃除はまだだ。帰ってからする予定だった。今ならいくらでも汚したい放題だ。まあ、掃除するの僕なんだけど……!


「師匠!! 何ですかこのローブ!?」


 耐えられなかった。

 何なんだよ、これ!! 明らかに血だよね!? 何血!? 返り血? 師匠、怪我してたの!?


 衝動を口に乗せ、あんまり触りたくないローブを抱えて大股で歩く。

 師匠のアトリエの扉を開くと、ローブの持ち主は無愛想な顔を並んだプランターへ向けていた。

「師匠!!」もう一度叫ぶ。


「うるさい。怒鳴るな」

「怒鳴りたくもなりますよ! 何ですか、このローブ!!」

「明日使う」

「明日!? いや、そうじゃなくて!」


 極力部屋を汚したくないので、室内で広げることは憚られるローブ。むしろコートと呼んでも差し支えないだろう。


 師匠は僕よりも背が高い。

 すらりと伸びた背丈と、ずぼらに伸ばされた黒い髪。

 その身体をすっぽりと覆ってしまえるこのローブに染み込んだ、大量の血液。


 このど鬼畜師匠は、これを僕に洗濯しろと言っているのか!?


「誰の血ですか、これ!!」

「『夜に潜む者』」


 ぼそりと放たれた、『人ならざる者』の呼称に、くらりと意識が眩む。

 殺人じゃなくてよかった。けど、よりにもよって、屍の類!! 道理で腐臭がするわけだ!!


「何でそんなの放置してたんですか!? 落ちませんよ、これ! 大体僕は洗濯物があるか尋ねました! 何でそのときに出してくれなかったんですか!? 今日の洗濯はもう終わりです!」

「明日使う」

「もう!!」


 埒が明かないと踵を返し、苛立ちを込めて全力で扉を閉める。ばあんッ!! 激しい物音がした。

 きっとここの扉が、真っ先に駄目になると思う。

 わかっている、ものに当たるのはよくない。わかっているけど、こんなのってあんまりだ!!


 再び裏庭へ戻り、タライを下ろす。

 意を決して開いたローブから、ぼろぼろ転げ落ちた肉の破片に、泣きたい気持ちをぐっとこらえた。

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