第3話 こうしてチート生物は誕生した

「サキュバスは嫌だ嫌だ嫌だいいいやああだああああ!!」

「困りましたね。嫌だと言われましても――」


 言いかけ、ハッとした女性職員が思い出したように時計を見た。

【17:01】とあった。


「ご利用ありがとうございました。明日の開庁は、八時四十五分からとなります」

「いやいやいや! こんな中途半端なところで放り出さないでくださいよ!」

「私では判断できかねますので、日を改めて上に掛け合っていただけますか?」

「お役所仕事か! だったら、この場で上司に取り次いでください!」


 女性職員がまたもや舌打ちをし、露骨に顔をしかめながら内線電話をかけた。


「あー、もしもし、2番窓口でちょっとトラブってるんですけど。はい、適性種族に不満があるとか言って、駄々をこねているクレーマーがいまして。はい」


 我慢、我慢だ。


「死民の要望にはできる限り応えろ? ええー、もう勤務時間外なんですけど? これ、ちゃんと残業手当つくんですか? あー、はい、わかりました。はいはい、わかりましたってば。はい、では失礼します」


 受話器を置いた職員が、はぁぁ~、と魂まで出ていきそうな深い溜息をついた。

 しかし、すぐにキリリとした表情を作り、オレの正面に向き直った。

 そうやって真面目な態度を取っていれば、仕事ができる人にしか見えないのに。

 だけど今度こそ、まともな応対が期待できそうだ。


「非常に申し上げにくいのですが、アナタの要望は却下されてしまいました」

「嘘つくなあああああ! できる限り応えろって言われてただろ! 早く帰りたいからって横着すんな! ちゃんと仕事しろ!」

「ちゃんと仕事しろとか、引きこもりにだけは言われたくない台詞ですね」


 それについてはごもっともで、返す言葉も無い。


「結局、サキュバスの何が気に入らないんですか?」

「何もかもですけど、男の精……アレを摂取しないと生きていけないっていうのが一番困るんですよ。せめて、代わりになる食材とかないんですか?」

「代わりの食材ですか。まったく、課長に怒られるから検索してあげますけどね。はーあ、面倒臭いなあ。あー、やだやだ、とんだハズレ客引いたわー」


 これ、殴っても許されるんじゃない?


「んー、んんー? あるには……あるようなんですけど、見慣れない食材ですね。【牛乳】という名前の飲料らしいですが」

「牛乳!? 牛乳で代用できるんですか!?」

「ご存じなんですか? もしかして、アナタの世界では珍しくないとか?」

「超メジャーですよ!」

「というか、この白濁液、精液そのものでは?」

「二度と牛乳が飲めなくなりそうなことを言わないでください!」

「成分表を見ると、精気よりも栄養濃度が希薄なので、一日に500mlは飲まないといけないようですけど、これなら飲めるんですか?」

「大丈夫、それくらいだったら余裕です!」


 やった。やったぞ。

 牛乳が代わりになるなら、オレでもなんとか生きていける。


「喜ばれているところに水を差すようですが、牛乳なんてもの、アナタがこれから転生する世界にはありませんよ」

「え、でも、ただの牛の乳ですよ?」

「乳ですか。名称からそうだとは思いましたけど。そもそも、これから行く転生先には牛という生き物が存在しませんし、母乳以外、他種族の乳を口にする習慣もありません」


 そ、そんな、噓だろ……。


「だから、ね、もう諦めましょうよ。現地でそういうお店に行けば、きっと喜んでレクチャーしてくれますし、お金だってもらえると思いますよ」

「役所の人間が風俗を勧めるな! サキュバスのチート能力なんかいらないですから、代わりに一生分の牛乳をください!」

「腐りませんか?」

「定期郵送!」

「原則として、転生後は介入できない決まりになっています」

「だったら乳を出せる牛をください!」

「なるほど。その発想はありませんでした」


 問い合わせてみると言って、職員は、また内線電話に向かって喋り始めた。

 言っておいてなんだけど、無茶な要求をしたと思う。

 なんせ、新たな生命を一体誕生させろと言っているのも同じだしな。

 無理なら無理でいい。渋って渋りまくって、最終的には種族変更までこぎつけてやる。


「申請が通りました」

「通っちゃったのかよ!」

「通したからには、もうゴネたりしないでくださいね。この場で牛という生き物をメイキングしますので、アナタの記憶から外見を抽出しますね」


 マジか。適当に言ったのに、オレ、本気で牛と暮らしていくの?


「おや? これ、ミノタウロスじゃないんですか? ああいや、四足歩行ですし、別種のようですね。でも顔はそっくりなので、現地で驚かれるかもしれませんよ」


 てことは、いるのか。現地にはミノタウロスが……。


「一からデザインを組むのは手間なので、ベースはミノタウロスで作りますね」

「強そうですね……」

「そりゃ、神話にも登場するモンスターですから。あと、外見からではわからない牛の特徴をさっさと教えてください。今日は十九時から半年ぶりの合コンがあるので、一分一秒一コンマでも早く帰って支度しなきゃいけないんです」


 雇うなよ、こんな職員。

 オレはげんなりしながら、牛の特徴を思い出していった。


「確か乳は、出産後の十ヶ月だったかな。その間しか出ないとか聞いたことがあるので、できればおすを一頭と、めすを数頭。小ぢんまりとしたものでいいので、それらを養える牧場を支給していただければ」

「だからそんな予算はありませんて! 聞いてなかったんですか!? 一頭で一年中大量に乳が出るようにすれば問題無いんでしょう!? はい解決! 次!」


 この人、少しでも早く帰りたくて必死だ。


「えっと、現地で牛が食べられるエサなんかをリストアップしてもらえると」

「有機物だろうが無機物だろうがなんでも食べられるようにします! はい次!」


 新たな生命を誕生させようっていうのに、大雑把すぎない?


「……病気になられると困るんですけど、予防接種とか」

「病気!? そんなの【状態異常完全耐性】のオプションを付けとけばいいんです! もっとこう、牛ならではの特徴とかないんですか!?」

「牛ならでは。胃が四つあるとか?」

「胃が四つ!? つまり【四次元の胃袋】ですね!」


 何をどう解釈したらそうなるんだ。


「あとは、特徴というか、牛は神様の乗り物だっていう逸話があったような」

「神様の乗り物!? それって聖属性なんかが備わってるってことですか!?」

「あ、でも、水牛だと悪魔の乗り物とか言われていたような」

「どっちですか!? 面倒なので【全属性完全対応】にしときますよ、F●ck!!」


 最初に理知的な雰囲気の女性だとか思ったの、あれナシでお願いします。


「他にはないですか!? ないですね!? これで出力しちゃいますよ!?」

「最後に一つ。牛に死なれると、オレも生きていけないんですけど、もしもそんな事態になった時は、新しい牛を補充してもらえるんですか?」

「予算ないんですってば! その時こそ諦めて男漁りをしてくださいよ!」

「だから、そんなことするくらいなら死んだ方がマシだって言ったでしょう!」

「はいはいわかりました! わーかーりーまーしーた! アナタが生きている限り、牛は老いないし死にもしない! いつもフレッシュな乳をしぼれるようにしておいてあげます! これで文句ないでしょう!?」


 文句はないけど……。

 この人、合コンのことで頭がいっぱいで、正常な思考能力を失ってる。


「はい出力完了! ほらほら、用が済んだらさっさとアナタを転生させますよ! 安全指定区域ならどこでもいいですよね!?」

「急かしすぎじゃないですか? 合コンは十九時からなんでしょう?」

「女の子はいろいろと準備に時間がかかるんです!」

「女の子って年でも……。あいや、なんでもないです! 何も言ってません!」


 笑顔なのに、目が笑っていないのが死ぬほど怖い。


「ふふ、気になさらないでください。あ、そうだ。サキュバスが突然人里に現れたりすると、現地の人々を驚かせてしまうかもしれません。アナタにとっても腰を落ち着けるための時間が必要でしょう。ひとまず、送り先を郊外の【ルブブの森】にしておきますね」

「え、あ、はい。そんな感じでよろしくお願いします」


 なんだ、そういう配慮もできる人なのか。最後の最後でちょっと見直したかな。


「オーク出ますけどね」

「今ぽそっとなんて言いました!?」

「心配には及びません。ここ一、二年におけるデータによりますと、うっかり森に迷い込んだ場合の生存率は、安心の50%未満となっています」

「どこが安心!? それどう考えても安全区域じゃないですよね!?」

「ちなみに、向こうで死んでも二度目の転生はありませんので、御了承ください」

「了承できません! 年のことに触れたのは本気で謝りますから!」

「ではでは、一名様ごあんなーい。牛はクール便で現地へ送っておきますね」


 オレの訴えなんて聞く耳持たぬとでも言うように、光り輝く幾何学模様が足下に浮かび上がった。みるみる光量を増し、全身を飲み込んでいく。


「行ってらっしゃいませ。素敵な異世界ライフをお過ごしください」


 サディスティックな笑顔と共に、職員が親指を下に振り下ろした。


「お願いします、一度落ち着いて話しアアアアァァ――――――――ッ!!」


 オレの悲痛な声を遮るかのように、眩い光が視界を覆い尽くした。

 半笑いでオレを見送る職員の姿も見えなくなり、次第に意識が遠退いていく。


 ええと、なんでしたっけ?

 悔いの残らない人生をやり直すための転生?

 広告詐欺だろ。


 初っ端から後悔と不安しかなく、下手をすると、あっという間に終わりかねないオレの第二の人生が、こうしてワケのわからないうちに幕を開けた。

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