第二話

 翌日、早速ダベンポートはセントラルに繰り出した。

 魔法院も暇なのだろう、捜査申請は簡単に降りた。その足でダベンポートは動物管理局に赴いてガブリエルを借りると魔法院の馬車を出した。今は一人と一匹で魔法院の馬車の中だ。

 相変わらずガブリエルはだるそうだ。だらんとダベンポートの足元に寝そべり、重ねた両手の上に気だるく顎を載せている。垂れた耳にも力がない。

「セントラルについたらクスリをやるからな」

 ダベンポートはガブリエルの耳の後ろを掻いてやると、馬車の椅子の背に身体を預けた。

…………


「まあ、ここからだろうな」

 ダベンポートはガブリエルを連れ、セントラルの駐車場に停めた馬車から飛び降りた。

「さあ、お仕事の時間だ」

 ポケットの小瓶からスポイトで麻薬を吸い上げ、ガブリエルの口に流し込んでやる。

 ガブリエルはすぐに元気になると、全身をブルブルッと震わせた。

 目に力が宿っている。やる気になったようだ。

「今回は難しいぞ。ガブリエル、この匂いを探すんだ」

 ダベンポートは昨日クレール夫人からハンカチを預かっていた。

 ポケットから出したハンカチのパラフィン紙を開き、ガブリエルにそっと差し出す。

 ガブリエルはしばらく興味深そうにそのハンカチの匂いを嗅いでいたが、やがて鼻を立てると周囲の匂いを探り出した。

 垂れた尻尾が左右に揺れている。何事か考えているようだ。

 ガブリエルはダベンポートの周りを歩きながらさらに匂いを探る様子だったが、ようやく得心するとダベンポートを引っ張りながらゆっくりと歩き出した。

 セントラルでキキを追わせた時に比べて動きが慎重だ。まるで空中に漂う細い糸を手繰るように左右を見回しながらゆっくりと歩いていく。


(これじゃあまるで犬の散歩だな)

 傍目から見たら、魔法院の制服を着た男がセントラルで犬と散歩をしているように見えるだろう。それくらいガブリエルの歩みは遅かった。

 常に周囲を嗅ぎ、時折鼻を高く突き上げる。

 ダベンポートはガブリエルに引かれながら徐々に港湾地区へと入っていった。あまり治安が良いとは言えない地域だ。街はグレーで、煉瓦造りの倉庫が立ち並んでいる。中にある店の多くはパブで、お世辞にもスタイリッシュな街並みとは言えない。

「おい、ガブリエル、どこに行くつもりなんだ」

 ダベンポートは真剣な表情のガブリエルに訊ねてみた。

 だが、返事はない。真面目な顔をして周囲の匂いを嗅いでいる。

 不意に、ガブリエルの歩みが速くなった。

 ダベンポートを引っ張るようにしてグイグイと歩いていく。

「よし、何か見つけたな」

 ダベンポートも早足になると、ガブリエルと共に港湾地区の核心部へと入っていった。


 ガブリエルが案内した先は、細い路地の突き当たりのゴミ捨て場だった。

 得体のしれないゴミが山積みになっている。残飯、壊れた機械、割れた食器、あるいは何かネトネトした謎の物体。猛烈な臭気だ。

 しかし、その臭気の中にガブリエルはクレール夫人の匂いを見つけたようだった。

 右足を上げ、一心にゴミの山をポイントしている。

「お前、この山を僕に漁れって言ってるのか?」

「ブフ」

「ひどいやつだな、お前は」

 ダベンポートは手頃な柱にガブリエルの手綱リードを括り付けると、ひどい臭気に悩まされながらもゴミの山を漁り始めた。

「こりゃ、シャベルがいるな」

 ゴミの山は腐敗して腐葉土のようになっていた。これを掘るのは一苦労だ。

「ん?」

 ふと、ダベンポートは比較的浅い地層に大きなトランクが埋まっていることに気づいた。

「これか、ガブリエル?」

「ウッフ」

 ガブリエルが頷いたような気がする。

 ダベンポートは制服が汚れるのも厭わず、ゴミの山の中から茶色い革のトランクを引っ張り出した。

 まだ比較的新しいもののようだ。だが、鍵が壊されている。どうやらバールか何かを押し込んで無理やり開けたらしい。鍵の部分が膨れたように歪んでいる。

「ふむ」

 ダベンポートはトランクをひっくり返して中に詰まった生ゴミを外に捨てた。

(これが発明品を入れていたらトランクなのかな? もしクレール家の物ならどこかにモノグラムがあるはずだが……)

 内張が破れたトランクの内側を慎重に調べる。

「ああ、これか」

 モノグラムはすぐに見つかった。トランクのハンドルの内側に黒い皮革が縫い付けられており、そこにCの文字を図形化したマークとクレール家の家紋が押印されている。

「でかしたぞ、ガブリエル」

 ダベンポートは汚いトランクを閉じて小脇に抱えるとガブリエルの頭を撫でてやった。

「ワフンッ」

 ガブリエルが誇らしげに目を細める。

「だが、これだけではダメだ。中身を探せ。ガブリエル、行くぞ」

「ブフッ」

 ガブリエルはダベンポートの持つリードを引きながら再びゆっくりと歩き出した。今度は地面を嗅いでいる。

 最初、ガブリエルは駅の方に戻るか、さらに港湾の奥へ向かうか迷ったようだったが、すぐに港湾の方へと向かい出した。

「ふむ、そっちの方が怪しいか」

 一人と一匹がゆっくりと港湾地区の奥へと向かう。


 歩くにつれ、周囲はさらに荒廃してきた。いわゆるスラム街だ。

 細い通りには洗濯紐が張り巡らされ、そこここには汚い洗濯物がぶら下がっていた。街の人は皆無気力だ。この時間にまだここにいるということは今日の日雇い仕事にあぶれたのだろう。

 このあたりにはまともな職にありつけない者や、身体が不自由な者が吹き溜まっている。事情はそれぞれだ。怪我をして働けなくなった者、年寄り、身体障害を生まれつき持っている者。家から捨てられてしまった子供や、人買いから逃げ出してきた子供達。

 中にはかつてのウィラードのように好き好んでスラムに住んでいる者もいるようだが、この街に暮らしている人々の多くは日雇い人夫や物漁りスカベンジャーをして暮らしていた。ゴミの中にも売れるものはある。それを売って生計を立てるのだ。

 川や海から死体を引き上げれば王室から報奨金が支払われるので、それを目当てにしている者もいる。

 どちらにしても、あまり良い環境とはとても言えない。

 ガブリエルが地面に鼻をこすりつけるようにしながらどんどん奥へと歩いていく。

「ガブリエル、もう少しこちらのことも考えろ」

 ダベンポートは首を竦めて路地にぶら下がった汚い洗濯物を避けながらガブリエルの後を追った。


 ガブリエルに引かれ、ダベンポートがたどり着いたのはスラムの奥の廃屋だった。入り口の扉が壊れて傾いている。扉が閉まらないから誰も住まないのだろう。

「こんなところに誰かいるのか?」

「ウフ」

 ガブリエルは自信ありげだ。また右手を上げて、廃屋の奥をポイントしている。

「ふむ」

 ダベンポートは壊れた扉を開けると、暗い室内に大声で呼びかけた。

「おーい。誰かいるか?」

 返事はない。

 ふと、奥の方で何かが身じろぎしたような気がした。

 廃屋の片隅に小さい人影が隠れている。

 暗がりに目が慣れてくるにつれ、それが二人の幼い子供であることにダベンポートは気がついた。髪の毛は二人とも明るい金髪、青い瞳が印象的だ。顔立ちも良く似ている。兄妹だろうか。

 兄と思しき男の子が女の子を庇って奥の方で身を小さくしている。

(スラムの住人にしては瞳が澄んでいる……)

 二人の姿を見ながらダベンポートは思った。スラムの住人だったらもっと荒んだ顔をしている。しかし二人の顔立ちは上品で、身なりもしっかりとしていた。とてもこんなところに住んでいるとは思えない。

「君らはそんなところで何をしているんだ?」

 思わずダベンポートは訊ねた。

「す、住んでいるんだ」

 兄の方がダベンポートに答えた。

 廃屋の隅で身を竦ませる二人はひどくすすぼけた顔をしていた。おそらく何日も身体を洗っていないのだろう。

「君、名前は?」

「エリオット、エリオット・ボルグ」

 ボルグ。聞いたことのある名前だ。

「その女の子は?」

「妹のマーヤ」

 二人がさらに身を小さくする。魔法院の制服は漆黒の黒だ。子供であれば、見た目で怯えても不思議はない。

 いや、魔法院の制服なら普通の大人でも怯えるか。

「ふむ」

 ダベンポートは顎に手をやるとしばらく考えた。

 二人の足元に円筒形の機械が落ちている。どうやら、ガブリエルがポイントしているのはその機械のようだ。

 あれが、クレール夫人の発明品だな。

 あの機械だけ回収して帰るのは簡単だ。

 しかし……

 ダベンポートは意を決すると二人に言った。

「よし、君たちは僕と一緒に来るんだ。その機械は君らが盗んだんだろう? それを持って僕と来なさい。魔法院に連行する」

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