第4話 式典

 楽の音が鳴り響き、たくさんの踊り子たちが、楽しげに舞う。

 式典は、建国神話の寸劇から始まるのだ。

 大慌てで席に戻ったジャネットは、肩で息をしながら、踊り子たちに目を向ける。

 彼女たちが表現しているのは、あたたかな日だまり。

 その昔、この地は、常春の国であったという。

 たくさんの踊り子たちの輪の中心に、ひとりの美しい女性が美しい声で、おだやかな風を愛でる歌を歌う。

 建国神話のヒロイン『エーラッハ』である。

「きれいですね」

 フローラが小さな声で囁く。

「そうね」

 ジャネットは楽しそうなフローラを見ながら、心を落ち着かせた。

 とりあえず、皇子は銀龍に気が付かなかったようだ。

 なぜ、あんな所に立っていたのかはわからないけれど、実に危ないところであった。

──内通、したことになるのかしら?

 あの場で、もし銀龍の正体がバレたなら、言い逃れはできなかった。

──それにしても、あんなふうにエスコートなんて、誰にもしてもらったことがなかったわね。

 命を懸けて戦った銀龍が、婚約者のはずの皇子より、自分を貴婦人として扱ってくれたことが、妙におかしくて。思わず笑いがこみあげる。

 たとえそれが、正体を隠すためのカモフラージュだとしてもだ。

 あの場で、彼が銀龍だとわかったら、ジャネットは、身の安全を図ることより、命を懸けて銀龍を逃がしたに違いない。

──これでは、内通していると言われても、言い逃れはできないわね。

 ジャネットは苦笑する。

 それにしても銀龍は、ここへ何をしにきたのか。

 ここに入ってこられる人間は限られているはずだ。

 やがて、音楽が変わり、舞台は変わる。

 恋の歌だ。

 エーラッハは、一人の男性と出合い、恋に落ちる。

 舞台の上では、ふたりの役者が、美しい恋の歌を歌いながら舞う。

「すてき」

 フローラがため息をつく。

 まだフローラにとって、恋は夢だ。

 せめて、フローラには、その夢を叶えてほしい。

 そう思いながら、つい、ボックス席に目をやってしまう。

──まだ、夢を見るつもりなのかしら、私。

 皇子の端正な横顔。その目にジャネットは映ることはないのに。

 未練がましい自分に、ジャネットは思わず苦笑する。

 舞台は、魔術を使った霧がふきあがった。そして、その霧の中から白いドレスの美女が現れる。

 水と氷の神、バラフだ。

 エーラッハと恋に落ちた男は、人ならぬ炎の神ピュールであった。

 バラフは、その妻である。

──魔術師の腕の見せどころね。

 ジャネットは舞台の脇に潜む人影に目をやる。

 ここからは、役者ではなく、魔術師の腕が観客を魅了する時間だ。

 バラフは怒り、猛り狂う。

 舞台の上にブリザードが吹き荒れた。

「神よ」

 エーラッハは叫ぶ。

 バラフの怒りは、氷雪山脈を駆け下りて、プリマベラは、凍土となった。

 音楽は、凍てつく大地を表現し、冷たく響く。

 エーラッハは、幼い息子を抱いて、嘆き悲しむ。

 舞台に、ぽつんと火がともされた。

  音楽が激しく鳴り響く。

 ピュールの使いである、青白い焔をまとった銀の龍のイリュージョンだ。

 昨年までは、これはジャネットの仕事だった。

──見事ね。

 龍は、雄大かつ、繊細で美しい。

──マリアじゃない? 誰かしら?

 ジャネットは首をかしげた。

 前の時は気がつかなかったが、この術はマリアではない。

 これだけの術を行使できる人間は限られている。

──まさか?

 舞台の脇に立つ人物に、ジャネットは驚いた。

──銀龍。

 銀龍が銀の龍を舞台で演じるとは、何の冗談なのか。

 ジャネットは、前回の式典を思い出そうとした。

 特に今回との違いは感じない。式典は何事もなく、終わったはずだ。

 舞台では、見事な龍が、宙を舞っている。

 ピュールの銀の龍が、氷の大地を溶かしていくのに合わせ、舞台中央に、エーラッハの息子役の青年がすっくりと立つ。

壮大な音楽とともに、龍は、天に舞い、聖なる炎へと向かう。

──声を聞こうとしている?

 龍の目が、炎を見つめる。

 ジャネットは、息を飲んだ。

 あの時、ジャネットには聞こえなかった炎の声を、銀龍は聞くことができるのか。

 もし、聞けるとするなら、それは新たな希望になる。

 しかし、緊張は長く続かなかった。

 龍は、当初の予定通りに聖なる炎の中へ飛び込む。

 大きな歓声とともに、舞台はフイナーレを迎えた。

 これが、プリマベラ帝国の建国神話。

 観客を魅了した役者達が、一礼する。

 再び、楽団がファンファーレを奏でた。

 ここからの式典は帝王を讃える退屈なモノになっていく。

──神の炎か……。

 この国は聖なる炎を手に入れたものの、バラフの怒りは未だに解けず、氷雪山脈からは、今も凍てつく風が吹き続けている。

 帝王ザネスは、聖なる炎を自在に操り、領土を広げ、民人を恐怖で支配しているのだ。

──それにしても、声は聞けたのかしら?

 ジャネットは魔術師達の席の方に目を向ける。

 ここからは、銀龍の姿はわからない。

 ジャネットには聞くことができなかった声。銀龍には、聞こえたのであろうか。

 それともやはり、銀龍にも聞こえなかったのであろうか。

──今なら

 腰を浮かしかけてジャネットは、視線を感じて、そちらに目を向ける。

──皇子?

 錯覚でも勘違いでもなく、皇子はジャネットを見つめていた。

 遠すぎて感情は読めないけれど、間違いなく視線はジャネットに向けられている。

──疑われている?

 ジャネットは座り直した。背に冷たいモノが流れる。

 やはり、あの男の正体に気がついていたのだろうか。そうだとしたら、不用意に動いてはダメだ。

 自分が疑われるのは構わないが、銀龍がここで捕まえられてはいけない。

 動揺を隠して、ジャネットは視線を聖なる炎に向ける。

 青空を背景に燃える聖なる炎は、いつもより、激しく燃え上がっているように見えた。




 式典が終わりを告げると、皇族から順に会場を去るのが決まりだ。

 ラニアスがジャネットたちを迎えに来たのは、かなりの貴族たちが帰った後だった。

 もっとも、この『帰る順番』で揉めることが多いとも聞くから、ジャネットとしてはもっと遅くても構わなかったのだが。

 本当は、魔術師席に顔を出したいところであったが、危険は避けるべきだ。

 ラニアスは、皇子と違って、銀龍の顔を知っている。

 それに、この後は、ジャネットには予定があったはずだ。望んではいないけど。

「紅蓮の魔術師殿」

 通路に出たところで、予想通り、ジャネットは声をかけられた。

 前回は完全に不意打ちで驚いたが、今回はわかっていたから余裕で微笑み返す。

「ムファナ将軍。おひさしぶりですわね」

 声をかけてきたのは、中年で狐目の男だ。頭はやや白いものが混じりかけているが、鍛え上げられた肉体は若々しい。

 この男がジャネットに声をかけるなんて珍しいことではある。だが、これは、前にもあったことだ。

 すべて、『予定通り』に物事が繰り返されていることを実感した。

「少しよろしいかな?」

「はい。何でしょう?」

「立ち話では、なんだ」

 暗に長くなることを示唆され、ジャネットはラニアスにフローラを馬車へ連れて行くように告げた。

 ムファナは、円形劇場の貴賓席近くにある、小さな控室にジャネットを案内する。

 ここは、警備の衛兵たちを束ねる指令室だ。

 無骨な椅子に座るように言われ、ジャネットはゆっくりと腰を下ろした。

 部屋にいるのは、ムファナと、ムファナの部下と思われる屈強な男たちが四名。

 物腰こそ、おだやかであるが、くつろげる雰囲気ではない。

 この男は、帝国妃のお気に入りである。

「それで、お話とは何でしょう」

「皇子との婚約、辞退してもらいたい」

 予想通りの言葉だ。

「そうしてもらえるなら、現在の採掘場の仕事ではなく、宮廷魔術師として帝都に住むことができるよう取り計らおう」

 これも前回と同じ。前回、ジャネットは申し出を拒否した。

 別に帝都に住みたいわけではない。そうつっぱねて。

 話し合いの場から強引に立ち去った。今思えば、拒絶するにしたって、もう少し話を聞くべきだったと思う。

「私、帝都に住むことにメリットを感じないのですけど」

 ジャネットは微笑みを浮かべる。

 前回のように、完全に拒絶をするつもりはない。でも、ただ、受け入れるつもりもない。

 皇子本人から言われたとか自分の意思ならともかく、他人からの指図で、婚約を取り消しにするつもりはない。

「採掘場の仕事が気にいっているとでも?」

「どうかしら。気に入るとか以前に、帝王ザネス陛下のご命令ですもの。それに、私が抜けたとして。採掘場の仕事のなりてにアテがあるのかしら」

「それは、貴殿が心配することではない」

 ムファナの目が油断なくジャネットを見つめる。くすくすとジャネットは笑った。

「宮廷魔術師の称号をいただいたら、父と同じように、いずこかで人知れず研究することになるのかしら?」

 我ながら、人が悪いとは思う。しかし、言いたいことは言っておかねばならない。

「まあいいわ。皇子と私の婚約、あなたに何の関係があるの? 宰相閣下に頼まれたとか?」

 ムファナは、フン、と鼻を鳴らした。

 確かに、この男は、宰相と折り合いが悪い。宰相の娘を推すために、ジャネットを引きずり下ろすわけではなさそうだとは思う。

「そうではない。皇子は、微妙なお立場だ。陛下は、皇子の人気を警戒なさっている。貴殿のような火種をうちに抱えるのは、得策ではないと帝妃様がお考えなのだ」

「帝妃さまが? 私と皇子との婚約は、陛下にはご賛成いただいておりますけど?」

 皇子はともかく、帝王ザネスは、ジャネットと皇子の結婚には積極的であった。

「陛下は、紅蓮の魔術師という火種を皇子がどう扱うかを興じながら見ておられる」

「そう……」

 明らかに反逆の意思のある女を内に抱えて、それでも帝王のしたで生きていくことができるのか。

 帝王ザネスは、ハリスを試しているというのだろうか。

 表面上は、二人の関係はそれほど悪いものには見えない。しかし、実際には違うのかもしれない。

 ハリスは、帝王ザネスの実子ではないとの噂がある。

 帝妃アラヴァは、もともとザネスの兄の婚約者であった。兄が急死し、ザネスに望まれて嫁いだ。

 一説には、ザネスの兄は、暗殺されたという噂もある。

 しかし、所詮はうわさであり、真実がどこにあるのかはわからない。

「それで、帝妃さまは、私を皇子から遠ざけようとなさるわけですか」

 ジャネットはにっこりと笑った。

「婚約者を殺したかもしれない男に嫁ぐようなお方でも、息子は可愛いのですね」

「無礼なっ」

「あら、失礼いたしましたわ」

 ジャネットは、丁寧に頭を下げる。

「そうですね、父に一度会わせていただけましたら、考えてもよろしいですわ」

「な?」

「息子が可愛い帝妃さまであれば、父に会いたい娘の気持ち、わかっていただけるのではなくて?」

 自分でも嫌味な女だと思いながらも、ジャネットは続ける。

「何も大それたことではないでしょう? 私はただ、父に面会したいだけなんですもの」

 あてにしてはいけない。でも、使えそうなものは何でも使う。

 そうすることで、自分の命が縮むようなことがあったとしても、後悔はしない。

 ジャネットは、ひるむことなく、ムファナに笑んで見せた。

「一度、考慮はしてみよう」

 ムファナは、渋面のままそう言った。

「ありがとうございます」

 ジャネットは深々と頭を下げる。

 少しだけ、何かが変わるような気がした。




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