痛みの温度~White Pain~

流沢藍蓮

1 序 落ちた翼

【Stories of Andalsia 闇の翼の見る夢は

  Ep1 痛みの温度】


 闇の翼は夢を見る。

 遠い昔、自分と寄り添っていた、一人の少年。

 「他者の痛みが、意識せずともわかってしまう」特異な能力を持った、白い少年のことを。

 ずっと昔、彼はその能力によって、命を救われた。


 闇の翼は夢を見る。

 今はもういないその少年の夢を。

 闇の翼は神である。彼は神ゆえに、幾ら人間と寄り添おうとも、寄り添った人間は必ず先に逝く。

 それでも彼は人を愛し、寄り添おうとする。それは彼の抱えた自己矛盾。


 彼はこれまで何度も何度も人に寄り添い、その生き様死に様を見届けてきた。

 彼が微睡まどろみの中で語るのは、そんな物語の一つ。

 名付けて、


――痛みの温度、と。


――――――――――――――――



【前日譚 落ちた翼】


――油断していた。


 全身を貫かれる痛みに痺れた意識。

 世界創世の頃から存在していた闇神は、自分を貫く幾本もの槍を見た。

 光の属性を付与された聖なる槍は、闇の象徴たる影の神を貫く。

 影ゆえに、闇ゆえに実体がなく、どんな攻撃も大概はいなせる彼だけれど。

 光だけは別、光だけは。光だけは、闇を打ち払い、実体無き彼さえも貫ける。

(ぬかっ……た……)

 初めて感じた貫かれる痛み。彼はその苦しみの中、天上をきっとねめつけた。

「智神……アルアーネ!」

 苦しげな息の中呟かれたのは、彼をこんな目に遭わせた女神。

 彼の耳の奥で、彼女の哄笑の幻聴がした。

 彼女は彼を憎んでいたけれど。まさか本当に創世の頃からいた上位神を、策略によって消そうとするなんて……。

 彼の全身から力が抜けた。その後で、彼に突き刺さった槍が一斉に引き抜かれ、彼の身体は無様に地に落ちた。吹きだす赤い血液、散った影の翼。

 彼を貫いた人間が、堂々と勝利を宣言する。

「この通りだ! 見よ、人々よ! 人心惑わす悪神はこの通り、成敗された! これぞ、これこそ正義の力! ああ、我らに大いなる知恵を与えて下さった智神、アルアーネ様に祝福を、感謝を!」

 人間は、騙されやすい。集団心理を操るなんて、あの女神からすれば簡単なことだろう。

 彼は気紛れに人間に関わり奇跡を起こし、人間の運命を変えてきた。それを「神の領分をはみ出た忌まわしき行為」とアルアーネは彼をなじったが、彼はそれを無視し、気の向くままに人間と関わり続けた。

 そしてアルアーネの謀略が、発動したのだ。

 彼女は智恵の神、狡知にたけた女狐だから、人を騙すのなんてお手のもの。

 けれど彼――ヴァイルハイネンは驕っていた。影たる自分を倒せる人間など、そうそういないと侮っていた。

 闇は影は光に弱いということを、忘れて――。

 倒れ伏した彼。その頭に人間の足が乗る。その足をどかせ愚か者と彼は思ったが、今や言葉を発する気力すらなく。

 初めて消滅の予感を覚え、彼はようやく「死」への恐怖というものを知った。

 けれど。

 あっさり消滅してやる気など、当然、ない。

「諦める……ものか」

 低く低く、やっとの思いで漏らした、声。

 ざわざわと風が鳴り、どこかで鴉がカアと鳴いた。

「なんだ、まだ抵抗するのか!」

 叫び、彼の頭を破壊せんと、彼の頭に乗った足が一旦持ち上げられ、一気に下ろされようとする。


 その、刹那。


 影が。

 漆黒の、影が。

 一瞬だけ、世界を覆った。

 鴉がたくさんカアカアと騒がしい。


 次の瞬間、今にも殺されそうになっていた闇神は赤眼の鴉に姿を変えた。

 赤眼の鴉はその翼で必死ではばたき、空へと逃げる。その空には無数の鴉。

「ちくしょう、逃がした! ならば殺せ、あの鴉の群れごと一網打尽にしろーっ!」

 人間の叫び声、鴉の群れに向かって放たれた光の矢。

 しかし彼はその群れに紛れ、矢は他の鴉が受けて、なんとか遠くへ避難する。

 まさに九死に一生。しかし彼にはもう、力など残されてはいなかった。

 遠い、どこかの森。彼を守っていた鴉はそこで離散し、傷付いてボロボロの、赤眼の鴉だけがそこに残された。

 彼にはもう、人間の姿に戻る力など残されてはいなかった。赤眼の鴉は力なく地面に落下し、弱々しく声を上げた。

 季節は冬だ。このままこの場所にいたら、彼は死んでしまうだろう。死期を先延ばしにしただけか、と彼は心の中で自嘲した。死んだら彼の兄たる闇神、ゼクシオールはどうするだろうか、なんて考える。全ては彼の読みが甘かったがゆえに起きた悲劇だった。

 人間を愛し、人間に寄り添った。人間を信じ、その醜ささえ認め、それでも人間と一緒にいる道を選んだ。それは間違いだったのだろうかと、薄れゆく意識の中で彼は思う。

 そうやって、生き残ったら人間不信を抱かせることこそがアルアーネの目的なのだろう。彼にもそれはわかっている、わかっているけれど――。こんな仕打ちを受けたのだ。彼は人間に対する評価を、改めて見直そうと考えた。

 が、気付く。いくら見直そうともどうせ、自分はこの冬の森で死んでしまうのだろうということに。

 愚かだったなと自分の行動を後悔しても、全ては後の祭りである。

 彼は眠ることにした。その頭を様々な記憶が過ぎていく。空を愛した少年、悪を許せなかった少女、世界に挑戦した男、絶望のあまり怪物になりかけた娘――。彼が寄り添った様々な人間との思い出が、彼の頭の中を巡る。神にも走馬灯はあるのかと思ったらおかしくなった。おかしくなって、力なく彼は笑った。もうカアという泣き声すら出なかった。

 そして彼の意識は、途絶える。


――なぁ。

 俺は。

 ……一体何を、間違えたんだ――?


―――――――――――――――――――――――――――――――――


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