不安ですわ、副総督閣下

「ヒエタミエス新港ですか」


 説明を受けたアイリは、示された図面のおぼつかない海岸線にただただ爪を噛む思いをしていた。親指をたなごころの内に入れて、膝の上で強く握る。


 副総督の執務室とはいえ、床は木造だった。この大陸に繁茂はんもするクルミ科の木材は、本国で利用されているマツ科のものに比べると黒ずんだ印象を受ける。

 そのうえ壁材も大理石づくりとはいかず、この辺りで取れる凝灰岩ぎょうかいがんが用いられている。白味こそあるが、光沢のないくすんだ質感は、とても副総督執務室の名には相応ふさわしくはない。


 いまアイリと副総督、そして壁にかけられたオオツノシカの剥製はくせいは、全体にくすんだ部屋の中で、不正確に歪んだを覗き込んでいた。


「新大陸での第一軍港ということになりましょうな。むろん、むこう30年は民用も予定しております。その頃には次の港もいくつかできて、新大陸は大いににぎわっておりましょう」


 白髪の副総督は紅茶を口に運ぶ。会議中に立ちながら紅茶を飲むとは、少なくとも変わり者には違いない。アイリは内心では好感を抱いていたが、それを表に出せずもどかしい気持ちでいた。


「所見をお伺いできますかな? 測量士の方は地形を見て多少の推測ができるとか。陸路建設の見込みはいかがでしょうか?」


「……問題になるのはおそらく」


 がついたガーネット色のジャケットには、開いた袖先そでさき刺繍ししゅうが施されている。副総督のその服装は爵位しゃくい持ちの貴族階級であることを表していた。現にカレルヴォ大佐でさえ、その地位にも関わらず扉の脇に立って姿勢を正し続けている。


 副総督という肩書きの重さを十分に感じ取ってはいたが、アイリはそれを行動に反映する女性ではなかった。たとえを演じていようとも、そのことに変わりはない。


「こちらとこちら。二つの岩壁が気になりますわ。海側に張り出しているということは、その後ろ側に同じように硬い地質の一帯が広がっている恐れがあります」


 道を通すなら海沿いを迂回させるか、丘を切り通すかを選ぶ必要がありそうだった。もちろん、測量と同時に地質を見なければ、とてもどちらがよいとは言えそうにない。


「なるほど。総督には伝えておきます。では次に……」


 副総督は秘書官に合図をする。秘書官の胸には、総督府所属を示す黒のバッヂがついている。アイリと同じ王国技術官に違いない。秘書官は資料を広げると、そのまま説明を始めた。


「警備と道路の敷設ふせつ計画についてご説明します」


「あら、測量の前から道路の計画が定まっておいでなの?」


 アイリに答えたのは秘書官ではなく副総督だった。


「総督が自らの名をかんしようと意気込んでおりましてな。まったく誰がけしかけたのやら」


 誰にも見られていないのをいいことに、カレルヴォ大佐は肩をすくめておどけてみせる。


「なら私の仕事は地質の方かしら。軍事作戦のご予定もなくって?」



 秘書官がさえぎる。


「この地域には魔獣まじゅうの存在も報告されています。新大陸軍が道路敷設ふせつ訓練を兼ねて道路を作りますので、アンリ二等技官以下測量隊の主要構成はに……」


「ふぇっ!?」


 あまりの話に素っ頓狂すっとんきょうな声を出してしまったアイリは、コホンと喉元を抑えて喉が鳴ったふりをする。


「傭兵団って、傭兵団かしら?」


もなにも、傭兵団という言葉が指すものは一つしかありませんが……」


 秘書官は眉をひそめる。

 たしかにアイリが男であれば、その作戦に何の問題も生じることはない。背後に正規軍がいて、それで命や金品を王国技術官からうばおうとは考えないだろう。

 しかしアイリが19歳の眉目秀麗びもくしゅうれいな女性であることを加味すれば、その計画はあまりに安全の保証がない計画と言わざるを得なかった。


「私、新大陸に来て日は浅いのですけれど……間違いなくって、副総督閣下? 傭兵団というのは女性一人を中に置いても、なんといいますか……見られることのないものでしょうか?」


 アイリがそう口にしてはじめて、秘書官は得心がいったように、口を力なく開けて小さく何度かうなずいた。


「ふぅむ……たしかに評判はひどいものですな。しかし金さえ払えば信用のおける者たちとも言えます。それに……」


 副総督は言葉を選ぶために今一度紅茶を口に運んだ。


「あなたが女性ということで特別に計画を変えるわけにもいきませんからなぁ」


 言葉でこそそう言っていたが、副総督は明らかに他の方法を考えていた。しかしアイリが副総督の立場であっても、女性であるというだけで扱いを変えて特別計画を策定さくていするのは不公正だと考えただろう。


 そう頭ではわかっていたが、カレルヴォ大佐にもつい今しがた近寄るなと言われた傭兵団だ。その血気けっき盛んな男たちだけに囲まれて、何日間も人里離れた土地で測量を行うことになると想像すると、身の毛の弥立よだつ心地がする。


 そうした状況でも身を守れるようにと、アイリはナイフのみならずいくつかの武器を教わってもいた。よもやこれほど早くそれを使うときが来るとは思ってもみなかったが。



「しかし時代に応じた配慮はいりょは必要です」


 そう口を開いたのは、控えていたカレルヴォ大佐だった。


「今後は男性官吏も女性官吏も、新大陸軍が保護するようにすれば良いのです。私の船にお招きしましょう。傭兵団の進行に合わせて海軍が随行ずいこうする予定でしたから、測量のたびに上陸船でお運びすればご心配にはあたらないかと」


「ふむ……たしかにそれで良いかも知れませんな。アイリさん、それで作業に影響はありませんかな?」


 副総督は自らの机にカップを置くと、次の紅茶を注ぎ始めた。


「はい、海兵の方々に道具の運搬をお手伝いいただけるなら……あとは海岸線の測量と内陸の調査の順を逆にしていただけるなら……」


 今度は口から出る言葉と考えが違っているのはアイリの方だった。たしかにこれまでのところカレルヴォ大佐は紳士に違いなかったが、それでも逃げ場のない船という閉ざされた空間に追い込まれれば、任務中は片時も気を抜けそうにはない。街を離れての出張となれば、男だらけのこの大陸ではいつもこういう心地にさせられるのだろうと暗い気持ちになる。


「では、王国海軍が誇る一等船、我がクイーン・マリアーナ号でご案内いたします」


 カレルヴォ大佐はうやうやしく頭を下げる。そして頭を上げないまま言葉を続けた。


「そして副総督にもう一つご相談が」

「何かね」


 熱心な大佐に反して、副総督は興味なさげに窓際に歩き、また紅茶を口にした。カップを左手のソーサーに戻すと、右手で窓を開けようとして、立て付けの悪さにそれをあきらめる。


「海軍の技術向上のために、この機会に測量術を学ぶ士官を選抜いたします」


「財務が許すかね、技術は秘密だろう?」


 地図制作術は国家機密の一つだ。だからこそ、最終的には誰か王国技術官として採用された測量士が計算を行う必要がある。


「いえ、計算術は秘密ですけれど、測量は誰に教えてもよいとされています。財務としても人員の不足に悩んでおりました」


 海軍の一部が測量に参加してくれれば、アイリは事務所でひたすら計算をして地図を描くだけでよくなるかもしれない。計算こそがアイリの取り換えのきかない能力である以上、現地指揮をる機会さえ減らしたいのは事実だった。もちろんそうした仕事上の要求とは裏腹に、アイリの熱意はすべての光景を自らの目で見て測量するという野心を燃料ともしていたのだが。


「しかしそれでは学んでも学び損ではないかね。測るだけ測って地図が描けないということだろう?」


「もしご入り用いりようなら、古い測量術をお教えします。慎重に測地しなければ地図が歪んでしまう難しい方法ですけれど、よろしいかしら?」


「もちろん。では、あとは私が首尾を整えます」


 大佐が右手を顔の横に立てて短く敬礼しても、副総督はそれに返礼もしなかった。


「うむ」


 また紅茶を口にし、ただ窓の外に視線と意識を放り投げてしまう。秘書官も秘書官で、早々と海図や書類をたたみ始めた。


 アイリはその様をほうけて見ていた。続く言葉なり挨拶を期待していたが、副総督も秘書官も、何も口にすることはない。


 隣からカレルヴォ大佐に腕をつつかれて、アイリは自分が退出するべきであると知った。


「失礼いたします」


 慌てて乱れそうになった歩調をその言葉で整えると、アイリの立ち去る足音はやはり可憐であった。


 二人が去った執務室で、副総督は小さくその本音をこぼしていた。


「どこかに私の名前もつけられんかなぁ」


 副総統のひょうきんな言葉に、秘書官は失笑を禁じ得なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る