第21話 ジョブ:悪党

 体育の授業をサボれない。

 勿論、下手な注目の浴びた方をした俺にも責任はある。

 チームで一番上手い選手のシュートをブロックしたのだから。


「春樹君を私と一緒のチームにご招待するよ」


「断る」


「それを断る!」


 抵抗するだけ時間の無駄。

 満面の笑みで袖を引っ張られては逃げる隙が無い。


「それでは、試合を開始します」


 教師の機械地味た声が試合開始の合図。

 気の利いた生徒は部活用のホイッスルを鳴らす。

 五人対五人、二十五点先取制のゲームが始まった。

 Aチームに西島、俺、野球部が一人、新聞部が二人。

 Bチームにサッカー部二人、野球部二人、美術部一人。

 味方からのパスコース、敵の意識内に入らないように影を潜める。


 ―――試合は相も変わらず西島の独壇場。必死にボールを追いかけ回す運動部が可哀想になってくる。


 ボールがリングをすり抜ける。

 Aチームに十回目の得点ホイッスルが吹かれた。

 ここまでのBチーム、得点ゼロ。

 幾ら相手がバスケ部エースだとしてもこれは酷過ぎる。

 ゲームにすらなっていない。

 実際、俺ら四人は外野からボールを投げ入れる時以外触れていない。

 ボール運び、シュート、ディフェンス、ブロックなどなど。

 全て西島がこなしている。


「やっぱ、西島には敵わねぇか」


「だな」


 試合の間、コート全体を俯瞰する時間は誰よりも長かった。

 誰が誰にパスを出すのか。

 シュートをする時、目の前にディフェンダーが現れたら誰にボールを託すのが多いのか。

 ドリブルに覚えがある者はどれ程いるのか。

 誤って敵のパスコースに入ればカットに、味方のパスコースに入ればボールが飛んでくる。

 影を極力薄くするには、人の意識外に出なければならない。

 だから、分かってしまった。


「カット成功!」


 敵チームに西島がいる時、相手プレイヤーは試合の終結を目指す。

 傍から見たら消化試合もいいところ。

 カット&パスでボールを西島に集め、リングを通り抜ける音がしたら陣地に戻る。

 早く二十五点を納めてもらい、速攻退場してもらおう。

 上手過ぎるが故の孤独。

 コート上では、彼女もまたどこかの誰かさんと同じくボッチだった。


「お疲れ様」


「おつかれ」


「柔軟体操のペア、お願いしてもいいかな?」


「俺か?」


「そう、春樹君に」


「別に構わないが」


 互いに向き合い、脚を広げ、引っ張り合う。


「今日の私、どうだった?」


「いつも通り凄かったんじゃないか?」


「まあね。全得点、私だったからね」


「それに完全試合連発だったからな」


索敵ディフェンス砲撃シュート雷撃ドリブルも西島にお任せ!」


「パパラッチ艦ね、艦隊〇れくしょん乙」


「恐縮です!」


 体育館内に充満する熱気。

 額から流れる汗が雫となって落ちる。

 必死に袖口で拭うが、あまり効果は無い。


「春樹君って凄いよね」


「突然なんだ」


「だって、試合中ずっと”味方と敵の死角に移動する”を続けてたんでしょ?」


「別にそこまで凄い事じゃないだろ」


「凄い事だよ。試合を上空から俯瞰するだけじゃなく、試合に参加している人の目線とか癖を理解していないと出来ない。味方と敵のパスコースに入らず、人が意識する場所を避ける。コート上にいながら姿が見えない」


「帝光中学校の幻のシックスマンか、俺は」


 ―――人の顔色を見て過ごしてきた結果、手に入れてしまった劣化視線誘導ミスディレクション。どこかのシックスマンと違い、取得するまでの過程が悲し過ぎる。他人に誇れるものでは無い。


「そのうち消えるドライブバニシングドライブも出来るようになるんでしょ?」


「やめろ。変な期待を掛けるな」


 あははっ、と笑いながら西島は手をグイっと引っ張る。

 軋む股関節付近の筋肉と骨。

 背中に別の汗が滲むのを感じる。


「だけどね、楽しくないの」


「完全試合連発したヒーローの台詞か、それ」


「分かってるでしょ? コート上の誰よりも試合が見えてるんだから」


「……どうだろうな」


 笑い声がピタッと止んだ。


「分かってるよ? 相手だって楽しくないのは」


「バスケ部といっても、女子にボコボコにされるのは男子としては楽しくないだろうな」


「だから皆、私との試合を早々に終わらせようとするのも分かる。理解は出来るよ」


「理解出来てるなら良いじゃないか」


「だけど……楽しくないの」


「皆が皆、全ての時間楽しい訳じゃない」


「……手を抜け、とかって言わないんだね」


「出来るんだったら、とっくにやってるだろ。俺との昼休みも、この体育の時間も」


「ふふふっ、正解」


 彼女のバスケに対する気持ちは本気らしい。

 例え相手がど素人だとしても、手は抜かない。


「今の話を踏まえてさ、少し質問していい?」


「俺の答えられる範囲内なら」


「どうして、春樹君は本気で向かってくるの?」


「今の体育が本気に見るのか?」


「違う、私との昼休みの話」


「別に本気でやってる、という訳でも無いんだが……」


「でも、諦めないよね? 一度も点数を取れなくても」


 点数を取れないどころかレイアップすら許されない。

 ことごとくルートを潰され、ゴール下まで近づけない。

 なぜ諦めないのか。


「諦めない、か」


「だって、そうでしょ? これだけやって点数取れてないじゃん?」


「自慢か?」


「素人に自慢してどうするの」


 彼女は答えを求めている。

 彼の行動の原理を。

 今まで探し求めていた回答がそこにあるのかを。


「だから、気になるの。どうしてそこまで」


「全力で取り組めるのかってか?」


 いつかの昼休み、彼女は昔話をしてくれた。


「そう」


 中学時代、彼女は全国大会を二度経験している。

 一度目はベンチ要員として、二度目はスターティングメンバ―の一人として。


「もしかして、手を抜けば誘われずに済んだのか?」


 天井で輝く照明がやたらと眩しく感じ、敵の選手はいつもの何倍にも見えた。

 リングはあんなに高かっただろうか。

 ボールはこんなに大きかっただろうか。

 敵の陣地はこれ程広いものだっただろうか。

 視界の端々を謎の光る小虫が飛び回り、邪魔をした。

 手で払っても消えない。


「うん、多分そうかも」


 そんな中、仲間の一人が観客席を指差した。

 友達、卒業した先輩、家族、他校の生徒、近所のおばあちゃん。

 みんな、声が枯れる程叫んでくれている。

 そうだ、自分は一人じゃない。こんなにも応援してくれる人がいる。

 それから視界が一気に広くなり、まず最初にチームメイト、それからベンチで見守るコーチ、そして相手チームのメンバーの顔が見えた。

 緊張している。

 敵だって同じ中学生。

 勝てない道理なんて一つも無い。


「ちっ、失敗したな」


 二度目の全国大会のメダルは今でも部屋に飾っている、と言っていた。

 あの時のチームメイト全員との写真と一緒に。


「本人を目の前にして何て事言うの」


 しかし、三年目の春。

 部員数名が問題を犯した。

 飲酒の現場を警察に目撃されたのだ。


「嘘は付けない性分で」


 遊び半分で始めた疑似コンパ。

 友人宅、親のいない日に行われた飲み会はすぐに見つかった。

 発見に至った経緯はタレコミによる情報提供。


「その発言する人ほど信用できないよねー」


 飲酒の噂を知っていたのは同じ部活の部員だけ。

 タレコミが仲間の手により行われた。

 なぜそんなことを?

 動機は?

 誰かが言った。

 密告した奴もだが、飲酒した奴等も大概だ。必要以上に庇うのはおかしい。

 誰かが反論した。

 他にも方法はあったはずだ。こんなやり方じゃなくて、もっとやりようが有った。

 誰かが指摘した。

 確かにそうだが、なぜ庇う? もしかして、お前も関わっていたのか?

 皆が呟いた。

 お前が、通報したんじゃないのか?


「信用されようとは思ってないからな」


 深淵に鬼が生まれ、暗闇の中、疑心を餌に日々成長する。

 隣にいる奴は最早もはや信用出来ない。

 いつ足を引っ張られるか。

 本当の敵は味方こころのなかにいた。


「捻くれてるなぁ」


 最後の年、去年の栄光など微塵も感じせずに夏が終わった。

 本当にあっけない結末。

 問題もいつの間にか他校まで広がり、推薦入学の話も消えた。


「俺にとってデフォルトなんで」


 進学先は家からある程度遠い、普通高校を選んだ。

 中学時代のチームメイトに会わないように。

 自分は何も出来なかった。

 人の顔色を伺いながら、その場の流れに身を任せる事しか。


「その設定、変えたら?」


「変更出来ないからデフォルトなんだよ」


「厄介なデフォだねぇ」


「なに、お前程じゃねぇよ」


「私?」




「人様の顔色伺いながら、常に距離感を測る為にフェイクしか仕掛けられないお前ほど厄介じゃない」




「……えぇ? どうしたの急に?」


 彼女は答えを求めていた。

 中学の時からくすぶっていた鬼を倒すための武器こたえを。


引き攣った作り笑いフェイクで相手の出方を観察し続け、失敗しないように細心の注意を払うのは疲れるだろ」


 類は友を呼び、共鳴し、嫌悪する。


「そういえば、質問に答えてなかったな。なぜ”全力で”だったよな?」


 彼女が求めていた回答。

 距離感を測定する為にフェイクしか出来ず、踏み込む足が震えている少女に答えを出す。


「西島、お前が可哀想だったからだ。話し掛ける小さなキッカケに大きな喜びを感じ、”裏切られても良い”と思いながら接することで期待値を下げて」


 真実ほど曖昧なものは無い。

 嘘も突き通せば真になる時代だ。

 まして、心の中には真実と嘘の境界など無い。


「そのくせ、心の底では怯えている」


「……もういい」


「楽しくない理由は全力で向かってくる生徒がいないからじゃない。もっと根本的な問題だ」


「やめて」


「そんな悩み事すら、相談出来る奴がいな――」


「やめて!」


 強めに放たれた三文字の単語。

 柔軟体操中、女子生徒が目尻に涙を浮かべて男子生徒に告げる。

 今までの会話など関係ない。

 誰がどう見ても、男子生徒おれが悪い。


「……一条、ちょっと来い」


「あっ」


 彼女も気付いた。

 今の状況を。


「ち、ちが――」


「大丈夫だ。誰か、西島を保健室に連れて行ってやれ」




 の否定する意思を否定された。

 これ以上言葉が喉から出てこない。

 春樹君が教師と一緒に体育館を出ていく。

 彼に何かアクションを起こす気は無いのだろう。


「西島さん、大丈夫? ほら、保健室いこ?」


「もう大丈夫よ。一条さんには田中先生から話をしてもらうから」


「あ、いや、えっ」


「ほら、行こ?」


 曖昧な真実こそ残酷なものは無い。

 誰も触れる事が出来ず、解き明かさす権利を有する者が動かなければ一生迷宮入りなのだ。


「……う、うん」


 結局、あの日から何も自分は変わっていない。


「気にしないで大丈夫だからね」


 彼にはバレていた。

 自分の愚かで臆病な目的が。

 ほんの一、二週間、一緒にバスケをしただけで読み切ったのだ。


「あ、ありがとう」


 だが、なぜこのタイミングで告げたのだろうか。

 あれだけ他人の深淵を覗ける者がどうしてこんな未来を読み切れなかったのか。

 予想外? 想定外?

 彼にとっては青天の霹靂だったとでも言うのか。


「にしても、体育の授業でよくやるよね」


 そうだ。

 今は体育の授業中だ。

 二クラスの生徒が参加する時間だ。


「あのような行為は許せないわね」


 一条クラスメイトは味方。

 ドクンッ、と鼓動が心の底に波紋を生じさせる。

 このままではいけない。

 このまま歩いては、本当に欲しかったものは一生手に入らない。


「ん? 西島さん?」


 今、動かなければ。

 過去の自分を乗り越えたいなら、進むべき道はこの方角じゃない。

 心の暗闇に生まれ、肥大化した鬼を倒すなら……今しかない。


「ご、ごめんなさい!」



 廊下に響く声と足音。

 後ろ髪を引っ張る鬼に構う必要などもう無い。

 一人の少女は、あの日からやっと初めの一歩を踏み出した。

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