第12話 ジョブ:シスコン野郎

「ただいまー」


 相も変わらず静かな玄関。

 家主が誰もいないのでは無いかと錯覚を起こす。


「まだ誰も……ん?」


 見慣れた靴が一足と二階から響く足音。

 ふと妹の顔が浮かんだ。


「まさか千夏の奴がお出迎えを、ってある訳ない――」


!」


「へぇ?」


 幾千ぶりに聞いた”おにぃーちゃん”という呼び名。

 記憶の片隅で埃を被っていた記憶が微かに呼び起こされる。


「今何時だと思ってるの!?」


「あぁー八時半くらい、か?」


「八時半だよ!? 帰宅部で友達のいないおにぃちゃんが八時半だよ!?」


「お、おぉ」


 鬼気迫る顔に冗談の兆しは無い。

 高校一年生の夏、妹との久しぶりのコミュニケーションは罵倒から始まった。


「何してたの!?」


「ちょ、ちょっと知り合いと――」


「おにぃちゃん知り合いもいないでしょ!?」


「……最近、出来たんだよ」


「最近? いつ?」


 思春期真っ盛りの兄に知り合いが出来た。

 彼女にとっては一大イベントに相当する。

 握り締められたスマホには一条家の上で微動だにしない赤い点が点滅していた。


「本当につい最近だ。ここ一、二週間前」


「どんな奴なの?」


「どんな奴、か。んー……純粋系?」


「女!? 女なの!? そうなんでしょ!?」


「いやいや、まず落ち着け? な?」


 かれこれ二十分近く玄関に立たされている。

 これでは朝帰りをした浮気夫のようだ。

 高校生がたった一日、いつもより少し遅い時間に帰ってきた。

 玄関で鼻息を荒くして話す程でも無い。


「それにしてもあれだな、久しぶりだな」


「そ、それは……そうだね。うん、久しぶり……かな」


 居間には温められた夕食が用意されていた。

 まるで帰ってくる時間を知っていたかのように。


「いつぶりだ、小学生以来か?」


「最後に話したのは小学三年生の時、私の誕生日だよ」


「誕生日ってことは十月二十日?」


「うん、憶えててくれたんだ」


「そりゃあ、妹の誕生日くらいはな」


 嬉しい、というか細い声が床に転がる。

 兄としては聞かないフリに徹するが。


「それじゃおにぃちゃん、本題に入ろうか」


 再び鋭い眼光が俺を突き刺す。

 これから始まるのは尋問。

 愛と勇気だけが友達のスーパーヒーローだって助ける事は出来ない。


「正直に答えて。おにぃちゃん、誰とどこで何をしてこんなに遅くなったの?」


「遅いって八時半だぞ?」


「遅いでしょ? おにぃちゃん、本屋かコンビニに寄っても六時までには帰ってくるよね」


「俺、今年で高校生だぞ?」


「それが何? 高校生になったからって急に友達が出来る訳じゃないでしょ?」


 慈悲泣き言葉は心を容赦なく抉る。

 本人に罪の意識は無い。

 残酷な真実が誰かを傷付ける武器になることを彼女は知らない。


「さっきも言ったけど、女?」


「言い方に語弊が生じるかもしれないが、一緒にいたのは同じ学校の女子生徒だ」


「女は何人?」


「だから女子生徒って……はあ、二人」


「どこで?」


「学校だよ」


「つまり乱交していたと。ブタ箱に行く覚悟は出来てる?」


「待て待て待て待て!」


「なに?」


「どうしてそうなるんだよ!」


 学校で女子生徒二人といたら乱交になる。

 妹の思考回路にウイルスでも侵入したのか。


「論理的に考えた末の結果じゃない」


「千夏はまず論理的って言葉に謝れ」


 乱交という結末に辿り着いた論理的思考。

 世界広し言えど、これを論理的などと言い張る者はそう多くない。


「つまりなに? 乱交はしていないと? ゴム有りならゼロカウントとか言う気?」


「まず不純異性交遊から離れろ。そして兄のコミュニケーション力を計算に入れて常識的に考えてくれ」


「……はっ!」


「分かってくれたか?」


「つまり無理矢理!? 結局、強姦って訳よ!」


「サバ缶大好き金髪美少女の霊を宿すな。真っ二つになるぞ」


「それは超嫌です」


「B級以下の映画好き窒素美少女もいらない」


 昔は二次元ネタに付いてこれる程知識も無かった。

 何が彼女を変えたのか。

 少し見ない間に予想外の成長を遂げている。


「とにかく、俺は乱交なんてしていないし、そもそもそんなコミュニケーション能力も度胸も無い。不良とかグレたという類でも無い」


「本当は?」


「ここで俺にネタを求めるな。全部真実だ」


 カラッカラの喉を潤す液体を求め、冷蔵庫へと向かう。

 ここで一つ、論理的思考が唸りを上げた。

 限りなく低い可能性に一筋の光が差す。


「千夏、もしかしてさ」


「んー? なに?」


「俺の事を心配してくれたのか?」


「は、はぁ!?」


「だって根掘り葉掘り聞いてくるし」


「な、なななっ!」


「論理的に考えた末の……って、聞いてるkぶほぇっ!?」


 顔面を捉えたテレビのリモコン。

 衝撃が波紋上に広がり、遅れて痛みが神経を通して脳に伝えられた。


「ば、ばっかじゃないの!? 別に心配なんてしてないし! ちょっと話せたからって勘違いするな馬鹿!」


 何が妹の逆鱗に触れたのか。

 良く分からないが、今後論理的思考という希望的観測には頼らない。


「いってぇ……」


 鼻を抑えながら見上げる天井。

 廊下には大きな足音が響いた。

 家主はここにいる。

 昔のような静粛は消えた。

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