第13話 火照りとイヤホン

「すっかり遅くなっちゃったわね」

「そだね」

 真昼さん……じゃなくて真昼の言う通り、バスの窓から覗く空にはもうすっかり夜の帳が下りていた。

 車内には私たちの他にご老人が一人乗っているだけで、他の乗客はいなかった。

 私と真昼は一番後ろの席に座って、小さな声で喋りながら今日の余韻に浸っていた。

 まだ身体の火照りが抜けきっていない。

 今まさに隣に座っている、この現実離れした麗しい少女が自分の彼女なんて、いったいどうやったら信じられるだろう。でも、どうやら現実らしいのだ。

「私も流石に疲れたわ」

 そう言って真昼はあくびを一つこぼす。小さく口を開けながらあくびする姿まで愛おしく感じてしまって、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけないなと改めて実感した。

 バスは時折かたんと上下に揺れながら、ほぼ一定のスピードで夜の市街地を駆け抜けていく。

 見慣れた街並みだから、あとどれくらいでバス停に着くか見当がついてしまう。それが少し憎たらしかった。

 私はしぶしぶ降車を知らせるボタンに手を伸ばす。

 今日がこの上なく最高の一日だったが故に、お別れが迫ってくると途端に寂しさが込み上げてきた。

「遊園地、誘ってくれてありがとうね。おかげで本当に……人生で一番楽しい日だったわ」

「うん。私も。……バイバイするの、さみしいな」

「ふふ、そうね。でも、また明日学校で会えるから。それまで我慢しましょう」

「今日の夜、電話してもいい?」

「もちろんいいわよ」

 特に話す内容が決まっている訳ではないけど、真昼の声をちょっとだけでも聞いてから明日を迎えたかった。

 次の駅名を告げる運転手のアナウンスが流れ、バスが次第に減速していく。それは同時に、二人で一緒にいられる時間の終わりも意味していた。

「また後で話そうね」

「ええ。気をつけて帰ってね」

「うん。真昼もね」

 じゃあね、と口にする代わりに、真昼の手を何度か軽く握る。手のひらから伝ってくる温もりを通じて、私と彼女は鼓動を同期させる。

 降車口の扉が開く音がして、私たちは同時に手を離した。手のひらの体温は失われても、私の中の熱は収まらないままだった。

 名残惜しいけど、今日のところは一旦お別れするしかない。

 バスを降りて振り返ると、真昼はいつの間にか窓側の席に移動していて、こちらに向かって小さく手を振っていた。

 私も大きく手を振り返す。

 バスはすぐに走り去ってしまって、彼女の姿は見えなくなった。

 まるで、今日の出来事がひと時の夢だったかのように。

 だけど、これは紛れもない現実。今日は記念すべき一日。

 バスが完全に暗闇に消えてしまったあとも、しばらく私はその場に佇んだまま、バスが走り去った方向をじっと見つめていた。


   * * *


「しばらくしたら学園祭だねー。って言っても、真昼は転入組だから初めてか」

『そうね。中学でも文化祭はあったから、なんとなく雰囲気は分かるけど……』

 イヤホンから真昼の声が聞こえてくる。なんだか不思議な感覚だ。

 ベッドに寝ころびながら恋人と電話をするって、なんて贅沢なんだろう。

「うちの高校もまあ、女子校っていう以外は普通の文化祭と変わらないよ。ただ、高校からはクラス単位の企画は有志だけになるんだよね。ほとんどのクラスは例年参加しないから、帰宅部の私たちは正直暇かも」

『そうなのね。正直に言うと、ああいう集団でやる催し物ってちょっと苦手だから、私は助かるかも』

 そんな気はした。基本的に集団行動が苦手そうだもんなあ。

『……でも、学園祭っていう大きなイベントの時に何もしないっていうのも、逆に落ち着かないかもしれないわね』

「確かに。去年まではクラスの出し物があったから、それの準備の手伝いとかしてたけど。今年はどうしようかな」

 青春小説の中では花形イベントの一つである文化祭も、現実にはそう輝かしい側面ばかりではない。ことうちの学校の帰宅部にとっては、当日以外割と暇イベントである。

「まあ、あまりにも暇だったら知り合いの部活の手伝いでもしようかな。だいたい人手足りてないし。真昼はどうする?」

『そうね……共同作業は得意じゃないけど、みつはがいるなら一緒に行ってもいいわ』

「りょーかい。それと……他に用事無ければ、当日は一緒にまわろっか。見るのだったら楽しめるんじゃない?」

『ええ、そうね、そうしましょう。文化部の展示とかは純粋に興味あるし、出し物も面白そうなのがあるかもしれないわね』

「お化け屋敷とかね」

『……それはしばらく遠慮しておくわ』

「あはは、冗談だってば」

 そんな軽口を叩いていたけれど、私はもう今から楽しみで仕方なかった。

 恋人と一緒の文化祭。うん、なんかすごく青春っぽい。

 私は当日の様子を妄想する。校舎内で手繋いで歩いちゃったりするのかな。別に隠してる訳じゃないし。真昼は嫌がるかもしれないけど。

「……でへへ」

『なあに、気味悪い声出して』

「ううん、なんでもない。じゃ、当日は一緒に見てまわろうね。今日は眠くなってきたから寝よっかな」

『そうね、もう遅い時間だから寝ましょうか。……おやすみ、みつは』

「おやすみ、真昼」

『また学校でね』

「うん、また明日」

 しばらくして、通話が切れたことを示す電子音が鳴った。

 ……いいなあ、寝る前に彼女と電話できるって。

 私は枕に顔を押し付けながら、何度もそんな感慨に浸ってしまった。

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