わたしを囚える青い月

都築 はる

プロローグ

 僕の姉は、12歳の時に行方不明になった。


 生まれながらに魔力を持った者が生まれるこの世界は、2つの土地に分かれている。一つは人間が住むティエルス、もう一つは魔族が住むキャトリエム。昔はこの二種族間で争うこともあったそうだが、今はお互いの存在を理解しあって平和的に共存している。


 悪魔の魔王様を筆頭に狼男や妖魔などがいる魔界キャトリエムで、吸血鬼の中でも上位の血筋にあたる裕福な家に生まれた僕の姉の事件は今でも有名な話だ。


 姉が行方不明になって50年経った今でもルーシーという名は僕の姉のことを指し、僕の家ではつい昨日の出来事のようだ。魔界に住む魔族は長命ではあるけれど、僕の家にとって姉のいなくなった50年は短いようでとても長いものだ。


 その日の姉はいつものように夜明け前に起き、日課の散歩をして、両親と共に朝食を食べ、書庫に籠って本を読んでいた。昼食のために侍女が書庫に行くと、姉は忽然と姿を消していた。


 読書好きな姉は文字が読めなくなるほど辺りが暗くなるか、侍女が声をかけるまで集中して本を読む癖があったそうだ。だから、当時は書庫に姉を1人にすることもあったらしい。書庫を出たとしても家には常に人がいるので問題ないと判断して。


 侍女はいつも通りの姉の姿を見て、別の仕事をするために書庫を離れ、昼食の用意を済ませて姉を呼びに書庫に戻った。しかし、書庫に姉はいなかった。その代わりに、当時の姉が読むにはまだ難しい古い本が床に落ちていた。


 本を大切に扱うお嬢様が床に本を置きっぱなしにするなんてありえない。


 嫌な予感がした侍女は姉の名前を呼びながら家中を探し、騒ぎに気付いた者たちも慌てて姉を探した。家の中は隅から隅まで、付近の道も片っ端から街へと赴いてずっと探した。けれど、姉が見つかることはなかった。


 そもそも最初に姉の魔力を探知した時に見つからなかった時点で、結果はなんとなくわかっていたことだった。


 それでも探して、そして見つかることはなかった。


 書庫に落ちていた本には、今や使用禁止となった禁忌の魔法について書かれていた。その中の一つである世界転移の魔法のページが開いていたそうだ。世界が一つではないことは、この世界では当然の常識だ。そして、その魔法が書いてあるページの切れ端から微かに姉の血の匂いがした、と両親は言った。


 姉が行方不明になって、50年が経った。

 姉の行方は未だわかっていない。


 けれど、この50年を無駄にしていたわけではない。


 姉がいなくなった時、弟である僕はまだ生まれたばかりの赤子だった。姉がいなくなった時は自我もなく泣いてばかりで、ただ時折似た魔力を感じていたのにそれを感じなくなって、また泣いてばかりいた。


 そんな僕も50歳になった。魔族の成人にあたる15歳から吸血鬼は吸血欲を覚える。けれど20歳までは人と同じ時間で生きている。そして20歳からは年老いていく時間の流れが遅くなっていき、約200年は20歳の姿で過ごし、その後は緩やかに老いていく。平均寿命は400歳前後で、最期は"月になる"と云われている。


 だから、僕にはまだ時間がある。


 物心ついた時から、両親とは少し異なったうろ覚えの心地よい魔力を探していた。そんな時にかつていたはずの姉の存在を知り、僕が生まれた時に描いた姿絵を見た。


 吸血鬼としてはありがちな闇夜のように黒い髪と血のような赤い瞳。そして、赤子の僕を見て嬉しそうに無邪気に笑っている小さな女の子。


 それから僕は姉に会うために古の魔法について研究するようになった。


 幸い、姉の幼馴染だったサキュバスの魔王妃のおかげで魔法研究所なるものができていたので、僕はそこでずっと世界転移の魔法について研究している。


 古の魔法は、現在においては禁忌の魔法であり、また今となってはもう使える者もいない魔法でもある。何故なら膨大な魔力を必要とするので、使ってしまうと魔力全てを消失してしまい、死んでしまうからだ。そんな危険な魔法を使えるのは戦の多かった昔でもほんの一握りだけで、人間との共存で平和になった今はもう莫大な魔力を持っているのは魔王様ぐらいだろう。


 キャトリエム国内はもちろん、人間の国であるティエルスにも捜索の手を伸ばしたけれど見つからなかった。姉が1人で出ていくことはありえない、ならば誘拐かと考えられたが血を媒介にした魔力探知をしても姉を見つけることはできなかった。


 姉の魔力も禁忌の魔法を使えるほど大きなものではなかったと聞いている。しかし、可能性の一つとして、姉の血によって禁忌の魔法が触発されて魔法が発動したのではないかという仮説が生まれている。


 もしそうならば、何故姉の血で魔法が触発されたのか。


 僕の家は吸血鬼の始祖であり、他種族と交わったことのない純血だった。遠い昔には禁忌の魔法を使った一族もいたそうだ。だから、家の書庫には古い文献がたくさんあり、その中には禁忌の魔法について書かれているものもあった。


 その古から引き継いできた血だからこそ、魔法が発動するきっかけになったのではないかと僕は考えている。


 ならば、僕の血で魔法を触発させて異世界に行けるかもしれないという仮説が立てることができる。しかし、姉と同じ世界に行けるかはわからない。もしかしたら逆に僕の魔力が喰われて死ぬかもしれない。そもそも偶然の発動にしても姉の魔力が消失して死んでいたら?


 そんな不確定要素が多すぎること、また世界転移の魔法のページに僕の血を垂らしても何も反応しなかったことから、世界転移の魔法を発動させたことはまだない。


 けれど、僕は諦めない。僕が持てる全ての力と時間を尽くして、僕は未だ会ったことのない姉を取り戻す。


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