第5話 神よ、救いたまえ。

 勇者の剣が空を切り裂く。

 魔族の炎が暴れ狂う。

 平和と実りの村と呼ばれたミルティーユ村で、土煙舞う激しい戦闘が繰り広げられている。


 その背景で、ダンテとジュリオは炎の壁を何とかできないか思索していた。

 壁に近寄れば近寄るほど、煙と熱に当てられて息が苦しくなる。しかしこの壁を越えなければ、この状況から逃げ出すことも叶わないのだ。


大雨プリュイ!」


 ダンテの掌から放たれた魔力は上昇し、雨雲となって雨を降らす……はずだったのだが、轟々と音をたてる炎の前に弱々しく霧散してしまった。


「やっぱ無理か……!普通の魔術じゃ太刀打ちできねぇ」


 悔しげに手を握りしめる。魔力の残滓が中でもがき、そっと体内に戻っていった。


「たぶん普通の火じゃねーな。魔族が使うんだから十中八九『黒魔術』だろ?なら『白魔術』で対抗しようぜ」

「つまりは『聖水』ってことか」


 ジュリオが頷いた。

 黒魔術と白魔術はお互いがお互いを弱点とする。そのため、魔力量や使用する魔術同士の相性が優劣を決める。今この状況は黒い『炎』が壁となっているのだから、白い『水』、すなわち聖水があれば突破できると推測できる。


「しかし合成しようにも素材があるかどうか……つーかお前、聖水合成する手順覚えてるか?」

「え?旧式詠唱すればいいじゃん?」


 二人は顔を見合わせ、しばし沈黙を交わす。そして数秒後、先に口を開いたのはダンテだった。


「旧式詠唱というのは、あれかな?あの古代言語を使った長い詩を一言一句間違いなく唱えるという、その詠唱法のことを言っているのかな?」

「当然!それ以外に何があるんだよ。略式詠唱だとプロじゃない限り白黒付けられんし、だったら消去法で旧式になるじゃん」


 魔術を使うのにも様々な手段がある。魔方陣や素材の合成、そして最も一般的なのが呪文を唱える「詠唱法」だ。

 詠唱法は「簡易詠唱法」と「旧式詠唱法」に分けられるが、ジュリオの言う旧式詠唱法に用いられる古代言語は非常に複雑で難解である。

 学校でも少しだけ教えたりはするが、一般人で詠唱詩を覚えているのは、よほど酔狂な人物くらいだ。なので、キョトンとした顔を見せる酔狂な人物ジュリオに対してダンテがぶちギレるのも、仕方のないことであった。


「いやいやいや、なに当たり前みたいに言ってるの!?今どき詠唱詩全編暗記してるヤツなんていねーよ!それだったら合成する方が効率的だろうが!」

「いるよ!ここに!それに詠唱法ならいつでも最大威力出せるだろ!アレコレ合成してちょっとしか魔術にならないんだから、結局詠唱した方が効率的だっつーの!」

「略式詠唱万歳なこの時だいになぁっ!?」

「ダンテ!服がっ!」


 突如右側を襲った、激しい熱。言い争っている間に炎が近づき、ダンテのローブに引火したのだ。獲物を捕らえた炎が一気に襲い掛かる。体は防衛反応で冷や汗をかき、筋肉が硬直する。

 しかし、ダンテの行動は驚くほどに落ち着いていた。暴れだした心臓を意思の力で押さえつけ、近くにあった石で燃え盛る服の右半分を引き裂く。切り離したローブは悶え苦しむようにうねり、黒く染まり、あっという間に灰になってしまった。

 ローブの下に纏っていたズボンが、先程よりも直接的な熱に晒される。フッと短く息を吐いて、ダンテは窮地を脱したことに安堵した。


「やべぇ、超焦った。……すまんジュリオ、派閥争いしてる場合じゃなかったな」

「!?お、おう!いや、すげーよ、今の!よく落ち着いて対応したな!」 

「なんか、逆に。な」


 未だに心臓はバクバクしているが、それ以外の身体は言うことを聞いてくれそうだ。

 炎壁の反対側では剣と鉤爪が激しくぶつかり合い、鋭い金属音が響いている。ディッキーが手を抜いているのか、はたまたハイリーが意外と強いのか、決着は付いていない。それでも


「アイツ一人で戦うのには限界がある。今は助けを呼ぶのが先だ。……正直合成素材が思い出せないから、ジュリオ、頼む。聖水を召喚してくれ。足りない分の魔力は貸す」

「……わーったよ。最終手段と思ってたけど案外早く使い時がきちゃったな」


 ジュリオはやれやれと肩をすくめて軽口を叩き、そしてすぐに集中モードに切り替えた。その背中に左手を当て、魔力を受け渡す。

 魔力の受け渡しは後々双方に疲労や倦怠感、頭痛腹痛などが襲うのであまりやりたくはないのだが、背は腹に変えられない。

 掌に感じるのは、体温以上の熱と、自分と他人の境界線が溶けて無くなるような感覚。ジュリオに流し込まれた魔力が、血管を伝って彼の全身に行き渡る。

 溢れ出すほどの魔力が注がれたところで、歌うような詩の詠唱が魔術を形作る。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 耳慣れない言語の詩が、炎の迫りくる轟音に負けるまいと響き渡った。

 飛びかかる火の粉を打ち払い詠唱者《ジュリオ》を守りながら、詠唱詩の神秘の音階を聞きながら、ダンテの左手は絶えず魔力を流し続けた。

 詩に反応して魔力が練り上げられ、青白い光となる。その光は祈りを捧げた水の神へ届くように、地から天へ降り注ぐ雨となって空高く吸い込まれて行った。


 詠唱が終わり、不安げにジュリオが空を見上げる。

 光が空へ昇って2秒、3秒、4秒、5秒。

 暗い空に先程よりも濃い青雲が広がり、そして温かな雨が振りだした。ほほを濡らす柔らかな雨粒が、不安と火照りを優しく冷ましていく。炎の壁も聖水に抑え込まれ、徐々に徐々にその勢いを失い、ゆっくりと頭を垂れていった。

 その様子を見て、二人は思わずガッツポーズをし互いを称える。


「よっしゃ、成功!」

「やるじゃんかジュリオ!」

「おうよ任せとき!よし、火も弱まってきたからいま」


 突然、目の前からジュリオが消えた。


 炎の後ろから飛び出した魔物が、ジュリオに食らいつきそのまま身を引きずって、おぞましい咆哮を上げた。

 火に触れると赤く血のような色に発光する体毛。鋭い牙の並ぶ大きな口。溢れ出た涎がジュウジュウと高熱の煙を上げる。

 火の神とも呼ばれる魔獣、火熊だ。

 火熊がジュリオを投げ飛ばし、その上に覆い被さった。その巨体に小柄なジュリオが対抗できるわけもなく、押さえ付けられ苦しそうな呻き声が上がる。ダラリと力なく放り出された右腕は赤く染まり、体からはミシミシという音が聞こえてきた。


 突然の出来事に、ダンテは固まってしまった。上手く声が出なかった。驚きで静止した脳が動き出すにつれて、今まで感じたことのなかった、平和とは相反する死の恐怖が彼を襲う。

 目の前で親友が死にそうになっている。そして次は自分の番かもしれない。咬み千切られるのだろうか。圧し殺されるのだろうか。爪で切り裂かれるのだろうか。

 何かをしていないと正気を保てそうになかった。だから必死に酸素をかき集め、なんとか声を絞り出した。


「……ォ、ッ、ジュリオ!」

「………に、げろ」


 ジュリオの左手が、地面に何かを描く。


「……水、の、神よ。彼の者を、みち、びきたま、え……!」


 魔方陣が弱々しく光り、祈りの声が、襲撃と同時に弱まった雨を再び強めた。

 

 火熊は獲物ジュリオが弱っていくのを楽しんでいるのか、爪を刺したり脚を噛んだりして弄んでいる。早く助けなくては、火熊が本気になれば、一瞬で無惨な死骸に成り果てる。

 心臓が痛い。息が苦しい。視界は虚ろだ。助けを呼ばなくては、戦わなくては、逃げなくては。

 しかし恐怖と焦燥と絶望が、ダンテの脚を地面に縫い付けていた。


「……ぐぁっ!」


 一際苦しそうな声に、ダンテの血の気が引いていく。意味のない手が空中をさ迷った。


「ジュリ「はよ、いけ……!」


 目と目が合う。歯を食い縛りながらも、真っ直ぐに視線を合わせるジュリオ。彼の鬼気迫る表情で、ようやく足が動き出した。


 村境の関所には兵士がいたはず。風魔術を使えば10分、いや5分でそこにたどり着ける。兵士なら戦闘慣れしているはずだから、この状況だって覆せるはず。やるべきことが明確化され、一瞬だけ負の感情を捨て去ることができた。

 しかし、走り出したダンテの足元に、勢いよく何かが転がってきてぶつかる。


 ハイリーだ。


 その体を抱き止めると息は荒く、全身に、白い肌に、痛々しい赤黒い傷が刻まれていた。

 その様な状態なのにも関わらず、彼女は立ち上がろうとしていた。剣を杖がわりに、脚を震わせて体を起こす。

 呆然としていたダンテはハッとし、あわてて体を支える。ようやく立ち上がったハイリーの目には、すぐに輝く光が戻った。

 彼女は力強く頷くと、油断なく剣を構える。


「ありがとうございます。今すぐお二人が逃げられるよう、必ず隙を作りますので、安心してください」

「そんなこと言って、もう全身ボロボロじゃないか!」


 ダンテの悲鳴にも似た叫びを無視し、剣の切っ先を相対する強敵ディッキーに合わせる。

 やりとりを黙って眺めていたディッキーは首をかしげた。


「逃がす?そいつらを?君が?」

「ええ、絶対に守ります。勇者なので!」

「今だって防戦一方なのに?」


 嘲りを含んだ問い。しかしハイリーもそれを笑い飛ばして見せた。


「それでも、こっちには聖剣がありますから!」

「ふーん、それが聖剣?笑わせるなって」


 黒い羽が大きく羽ばたき、鋭い一撃が飛んできた。

 交戦、一直線の狙撃。

 正面から攻撃を受け止めた剣が、折れる。修復できないほどに粉々に砕けた剣が地面にバラバラに突き刺さる。

 頼みの綱の呆気ない崩壊に、ハイリーは言葉を失った。


「……う、嘘」

「ハイこれでそいつはただのガラクタ~」

「聖剣、が……」

「残念だね。まあもともとにせ……っ!」


 ディッキーが目を見開き体を捻る。ちょうど肩の辺りを、小振りなナイフが掠めていった。

 汗と雨水を拭い、腰に下げていたナイフで次々と攻撃するハイリー。ナイフは全て弾かれてしまったが、また次のナイフを取り出して構える。残り一つになっても攻撃の構えは止めない。


 その目には、絶望なんてなかった。 

 しかし、あまりにも不利な状況に、観客に成り下がっていたダンテがようやく口を開く。


「おい、まて、死ぬぞ!お前がどれだけ強くてもさすがにナイフだけでアイツとやりあうのは無理だ!」


 自責の念が、ハイリーの死を回避しようと必死になって叫ばせる。引き留めようとして肩に置いた手は、彼女によってそっと引き剥がされた。

 背中を向け、真正面から敵と相対し、そして全ての存在を鼓舞するかのように、ハイリーは大声で応えた。


「私は死にません!魔王を倒すまでは!」


 その声に迷いはなかった。


「生きて、人々の希望となってこその勇者です!」

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