第11話 悪魔

「お、おねが、エルラディン、やめてッ!」


「はっ。僕は君の絶望する顔が見たいんだ。だから絶対、君でこの男を殺してあげなくちゃね」


「やめてぇえ!」


 叫び声をあげても、止まってくれるはずがない。

 おまけに、ジョットは血で視界が悪い。

 戦闘において最も大切なものの一つに、常に視界を確保するというものがある。彼には今、それがない。そして武器も。


 めちゃくちゃ不利な状況で、なのに、戦い続けている。

 彼の力をもってすれば、逃げられるはずなのに。


「ジョット、逃げて! お願いです! 私のことはいいから! 私はまたいつか、この男を倒して見せますから!」


「……ッ」


「このままじゃ、お前が死んでしまうッ!」


 そう叫んだ瞬間、再びエルラディンの蹴りがジョットの側方に決まった。

 彼は腕を交差して直撃は避けたものの、勢いよく吹っ飛んでいく。

 力が入らないのか、地を転がった。

 それを視線で追っていると、なぜかエルラディンは私を木に思いっきりぶつけた。


「……っ」


「何が倒しますから、だ。まだそんなことをいう気力があったのか」


 苛立ったような声。


「ティア、実体を伴った人間の姿になれ」


 そう命令されれば、体は勝手にそうなってしまう。

 エルラディンの前にす、と降り立つと、いきなり腹に蹴りをいれられた。

 体が地面にぶつかる。

 そのまま腹を顔面を、蹴り続けられた。


「まったく、今日はバカが二人、イライラするよ」


 私の髪をひきづるようにして持ち上げ、頬を強く張ったのち、エルラディンは私の頭を掴んで、ジョットの方に向けた。彼は腹を抑えながら壁にもたれかかって、こちらを見ていた。


「ほら、言ってやれ。お前は誰の聖剣なんだい? お前が選んだご主人様は誰?」


「……っわ、私は」


 嫌だ。言いたくない。

 ジョットの前では言いたくない。

 言葉を詰まらせていると、エルラディンがねっとりと耳元で囁いた。


「ちゃんとご主人様の名前が言えたら、あいつを見逃してやってもいいかもしれない」


「!」


「僕としても、こんなに強いやつを殺すのはもったいないからね」


 さあ、と背を押される。

 私は、私は……ジョットが助かるのなら。

 震える唇を開こうとすれば、それを遮るように、ジョットの低い声が響いた。


「おい、ティア」


 妙に響くその声に、声が詰まった。


「正直に答えろ」


 睨みつけるようにこちらを見る瞳の中には、紫色の炎が燃え上がっていた。


「お前は誰に使われたいんだよ」


 その問いに、強い思いが決壊しそうになった。

 激情が押し寄せてくる。

 そんなの、そんなのお前に決まってる。

 だけど。


「私はっっ! お前の思っているような、正義の剣じゃない!」


 今まで出したことのないくらい大きな声で叫ぶ。


「私はこの男とともに、罪なき人々を殺した! 民を守ろうとする王を殺した! 家族を守ろうとする父親を殺した! 腹に入る胎児ごと、母親を突き殺した! 私は殺しすぎた!」


 息があがる。


「もうわかっているでしょう。私は聖剣なんかじゃない。汚れすぎている……だからもう、私にかまわないほうがいい!」


 後ろでくつくつと笑う声が聞こえてきた。

 エルラディンだ……。

 涙がボロボロとこぼれ落ち、屈辱で身を焼かれるような思いだった。


「ティアは賢い子だね。よくわかっているじゃないか」


 頭を撫でられる。


「さあ、言ってやれ。お前は一体、誰の、何だ?」


「わ、わたしは、エルラディンの……」

 

「んなこたぁどうでもいいっつってんだろうが!!」

 

 一体どこから出したのかと思うほどの怒号が、礼拝堂に響いた。


「俺が聞いてんのは、お前の意思だ!」


「!」


「なんのために、グランドストームは魂をお前に与えたと思っていやがる!」


 刹那、お父様の声が耳に蘇った。


 ──覚えておきなさい。たとえお前の使い手が悪人であっても、お前は使い手に左右され、その力を悪の道に利用されてしまうだろう。剣は、人に使われるモノ。その真理だけは、変わることがない。


「思い出せ、お前は誇り高き聖剣だ! お前は使い手を選ぶことができる!」


 ──お前は選ぶことができる。お前の真価を、お前の真実の姿を発揮させることのできる人物を。お前は使い手を選べるのだ。


「選べよ、ティア!」


 ──お前は最も強く、最も正義感に溢れ、誇りを持って光の道を行く、わたしの可愛い娘。人を救う、救世の剣。

 だからお前の正しいと思った使い手を選びなさい。

 それがお前の、真実まことの使い手だ。


「お前はッッ」


「誰に使われたいんだ!!」


 胸の奥に強い光が溢れだした気がした。

 懐かしい、始まりの気持ち、原子の欲求を思い出す。


 私は強い。誰にも負けないくらい、強い。この力を持って、グランドストーム様のような人間を助ける。

 

 人を、守る。

 

 わたしは、そのために生まれてきた。

 わたしは光の聖剣、ティア。

 

「……わたし、は」


 震える声で、言葉を紡ぐ。


「お前と一緒に、戦いたい」


 ジョットを見据える。


「お前の剣に、なりたい」


 絶叫する。


「お前に使われたい……!」 


 これがわたしの、本当の意思だ。

 だが、そう言い終わると同時に、私は再びエルラディンによって、地面になぎ倒された。頭を踏みにじられ、顔をあげることができない。


「うるさくてバカなやつだなぁ、本当に」


「……っ」


 エルラディンのくすくす笑う声が聞こえてきた。


「この強さと、ジョットという名前で思い出した。ティア、君はこの男の正体を知っているかい?」


「……?」


 驚いて目を見開けば、心底おかしそうにエルラディンは笑った。


「なんだ、知らないのか。じゃあ教えてあげよう」


 そう言って、エルラディンは私の耳元にねっとりと吹き込む。


「あいつの正体は『悪魔』だよ、ティア」


「っ!?」


 は?

 なんの話だと振り返れば、彼はジョットを見たまま言った。


「二十数年前、北の地で我が同胞たちが殺されたと聞いた」


 ジョットはそれがどうしたという顔をしていた。


「その主犯は、たった一人、剣をとって戦った人間の少年だときいた。少年は戦って、悪魔に勝った」


「……」


「だがな、少年の戦う姿はまるで化け物。たった一人でそんな、悪魔に勝てると思うか?」


 つばをのむ。


「あいつの正体は悪魔だ。悪魔殺しの悪魔。残念だな、ティア。お前はいつも、運が悪い」


 ジョットが悪魔?

 一体どういうことなんだ。

 混乱する私に、ジョットは言葉をなげかける。


「それがどうした?」


「っ!」


「俺が悪魔だったら、お前は使い手に選ばねぇのかよ?」


 それだけ言われて、ふと気づく。

 ああ、そうか。だからそんなことはどうだっていいのだ。

 ジョットが悪魔だろうが、なんだろうが。

 私には選ぶ権利がある。

 さっき思い出したところじゃないか。

 私が選んだ人が、本当の使い手なのだ。

 私はエルラディンを選んでなんかいない。

 私の心が、ジョットがいいって、ずっとずっと訴えかけているのだ。


 彼が悪魔だって?

 それならそれでいい。

 悪魔殺しの悪魔。人間を救った悪魔。

 上等だ。目的は私と同じじゃないか。

 それに私は、私と接してくれたジョットを信じる。

 私は、信じる!


「ジョット!」


 絶叫する。



「私の、|使い手(マスター)になって!」



 そう叫んだ瞬間、カタカタと体が震え始めた。魂の最も深い部分から、闇を決壊させるように強い光が溢れてくる。

 それはやがて可視化できるようになり、私の全身を包んだ。

 清く、美しい光だ。


「ティア、このガラクタが!! せっかくお前にチャンスをやったというのに、愚か者め! さっさと剣の姿に戻れ!」


 そう言われた瞬間、人間の姿がかき消え、聖剣の姿に戻る。

 それでもなお、ブレードは輝き続けている。


「くそっ、なんだこの光は!」


 いまいましげに舌打ちすると、エルラディンは剣をかまえた。


「はっ、何を言おうが、何をしようが、結局は死ねば負けだ! お前が望む|使い手(マスター)とやらを殺してやろう! お前のブレードでな!」

 

 ──早い!

 

 エルラディンは飛ぶようにして、ジョットとの距離を詰めた。

 とんでもない力で、刃が振り下ろされる。

 体に衝撃が走った。

 まばゆい光があたりに散らばる。

 けれど彼は死んでいないと、私はわかっていた。

 なぜなら私の意思がすでにジョットのものであるから。

 彼に向けられる刃は、彼を斬るためのものじゃない。

 彼を守るためのものだ。

 この刃はもう、エルラディンの手にある限り、何者も斬ることはできない。


「それだけ聞けりゃあ、十分だ」


 ジョットの声が聞こえてきた。

 彼は折れた剣を片腕一本で持ち、地面に水平にかまえ、私を受け止めていた。

 悪魔のような力だ。


「こ、こいつ……!」


 エルラディンの声に、もう余裕はない。

 ジョットがヘラヘラと笑いながら、私を押しのけた。

 いきおいよく態勢をたて直すと、折れた剣を、素早くエルラディンの手首に突き刺した。


「……ッ!?」


 その瞬間、すべての光景がスローモーションで流れているような気がした。

 ゆっくりと私は地に落ちていく。

 しかしそれをすくい取るように、ジョットの手が私の柄を強く握りしめた。

 グローヴを通しても分かる、あたたかくて優しい手。

 私はこの手を、ずっと待っていた。


「お前の願いならなんだって叶えてやるって、言っただろうが」


 ジョットの声がする。

 その瞬間、あたりが真っ白になった。エルラディンも、礼拝堂も、何もかもが消え去った。痛みだって感じない。

 それから、凄まじい記憶の濁流が、私を取り巻く。



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