第7話 筋肉


 あれだけ濡れたのに、ジョットは風邪ひとつひかなかった。

 いつも通り、ヘラヘラと私にひっついて、今日もずっとしゃべり続けている。

 ジョットの話に耳を傾けていると、彼はどうやら、傭兵のような仕事をしつつ旅をしているようだった。


 出身は北。北といえば、二十数年前は悪魔たちに支配されかけていた場所だ。今は平和を取り戻したと聞いている。私が救いたくてたまらなかった場所。

 ふと、噂で聞いたことを思い出した。


「……悪魔たちから人間を救ったのは、同じ悪魔だと聞きました」


 そう呟くと、ジョットは皮肉げに笑った。


「……ああ。そうだ。俺らの土地はあいつらに支配され、無残に人が殺され、地獄のような場所だった。だのにそこで一人の悪魔が、悪魔を殺した。殺し尽くした」


「なぜ悪魔が悪魔を?」


「……さァな」


 ジョットは俯いていう。


「俺はあのとき、どれほどお前が欲しいと思っただろう。穢れを祓う、光の聖剣が」


「……」


「まァでも、お前はそんとき、別のやつのもんだったもんな。聖騎士エルラディン、だっけか?」


「……お前はつくづくキモい男ですね」


 知れば知るほどきもいやつだ。

 なんでこんなストーカーじみたやつと出会ってしまったのだろう。

 少しゾッとした。


「ばか、誰だって聞いた事あるよ。剣士なら憧れるもんだろ、聖剣にさ」


 ふと思った。


「じゃあ他の聖剣たちの行方は知っていますか?」


「知るわけねェだろ。俺はお前一筋だ」


「本当に気色悪い男ですね……」


 腕をさすって、つつつ、とジョットから離れた。

 鳥肌がたっている。


「本当ひどい女だなぁ。おじさん傷つくわ」


「お前が気持ち悪いのがいけないのです」


 お前の目は無機物を見るような目じゃないわ……。

 心底そう思う。


「お前はしらねェと思うけど、俺だって結構腕はたつんだぜ」


「へえ、そうなんですか」


 そういえば、彼の腰にはいつも二本の剣がある。かなり使い込まれている剣と、新しい剣。どちらも大切にされているようだ。

 少し、羨ましくなった。

 私だって、大切に使ってもらいたい。


「なぁに? 嫉妬しちゃってんの?」


 チラチラと剣を見ていると、ジョットがいやらしく笑った。


「妬くなよ。お前ぇも俺のもんにしてやるから。そりゃあ、大切に大切に、可愛がってやるよ」


「……お前のそういうところが私は気持ち悪いと言っているのですよ」


 思いっきりいやな顔をしてみせると、彼はため息を吐いた。


「俺が戦ってるところ見たら、惚れねェ剣(ヤツ)なんていないと思うけどな。ぜってぇ使って欲しいって思うぜ」


「……ふうん?」


 そんな使い手、私は今まで見たことがない。

 聖剣を舐めすぎな気がする。


「じゃあ、やって見せてください」


 そう言うと、彼はキョトンとした顔になった。


「型を全部やって見せなさい。特別に私が見てあげます」


「え、まじで?」


「マジです」


「かっこよかったら、俺の剣になってくれるか?」


「……考えてみてもいいかもしれませんね」


 私を強く惹きつけた人間は、お父様だけだ。

 偉そうなこと言って、軟弱な剣技なんか見せたら、笑ってやる。

 そう思っていると、ジョットはグリグリと台座にタバコを押し付けた。

 こ、こら、やめろと言っているのに!


「じゃあ、俺型の練習嫌いだけど、特別に見せちゃうわ」


「……私は、基本のなっていない変則型が一番嫌いだと初めに言っておきましょう」


「おー了解了解。じゃあ丁寧にやっから」


 ジョットは使い古した剣を鞘から抜きはなった。キラリと刃が光る。相当丁寧に扱われているのだろう。

 ジョットがその刃をつ、と愛おしそうに撫でた。

 なぜかその瞬間、私の体がビクッと震えた。

 目をつぶって、剣を持つ腕を地に水平に、まっすぐ伸ばした。

 重心を確認しているのだろう、


「じゃ、行くか」


 基本の型から。

 その瞬間、その場の空気が変わった。

 ただ振り下ろす、薙ぎはらう、突くだけの基本的な動作から始まる。

 けれどそれを見た瞬間、ぶわりと私の胸が興奮で波立った。


 剣が、腕の一部になっている。


 私はお父様の言葉を思い出した。

 

 ──剣というのは、所詮は物だ。

 ──しかし剣は、人間の命を預かるもの。

 ──だから、人間の一部でもある。

 ──剣を扱うのは、拳を扱うのと似ている。

 ──どんな武器でも、武器は腕の延長だ。

 ──だから、良い使い手は剣をまるで己が身のごとく使いこなすだろう。


 こいつ、なんて洗練された動きをするのだろう。

 興奮で汗が流れ落ちた。

 一つ一つの動作が力強く、それでいて繊細で美しい。

 お前のそのスピードは、一体どこで生まれている?

 お前、本当に人間か?

 ジョットから目が離せない。

 あの剣が、羨ましい……。


 しばらくずっと、ジョットはありとあらゆる型を私に披露した。私は言葉も発さずにそれを見ていた。

 一生飽きずに見ていられる。本気でそう思った。

 けれどある程度やりつくしてしまうと、ジョットは止まってしまった。

 私はもっと、この男の太刀筋が見たくてたまらなくなった。

 ジョットの首筋から流れ落ちる汗。

 汗を拭う腕の筋肉。

 目をはなすことができない……。


「終わり。どうだ……ってお前、どうした?」


 気づくと私はジョットに詰め寄っていた。


「服を脱いで」


「えっ」


「服を脱ぎなさい」


 ジョットはしばらく私を見たのち、ニヤニヤと笑った。


「全裸になれってこと? おじさん困っちゃうなァ。何されちゃうのかなァ」


「違う! 上半身だけでいい!」


「えー、全部脱ぐけど?」


 ズボンのジッパーを下げようとする変態男の腹にパンチをいれる。


「ぐへっ」


聖剣わたしの言うことを聞きなさい!」


「わかった、わかったって」


 ジョットはしぶしぶ、服を脱いだ。

 グローヴもぽいっと外す。

 私は彼の上半身を見た瞬間、興奮で声をあげそうになった。

 鍛え抜かれた鋼のような筋肉。

 実戦の傷跡。

 大きな手のひらは、剣だこでガサついている。


 そして何より、その体を見た瞬間わかる。

 こいつはきっと、人より筋繊維が発達している。細胞レベルで普通の人間とは違う。それゆえ、私が見てきた人の中で何よりも早く、何よりも力強く、そして何よりも美しく剣をふるうことができるのだ。


 限りなく人間に近い何か。

 これは、化け物レベルの体だ。

 この男は、剣をふるうために生まれてきたといっても過言じゃない。


「……ティア、あんまりそんな風に触んじゃねぇ」


「は?」


「変な気分になってくっから」


 そう言われて、私はパッとジョットから離れた。や、やばい、私は今、ジョットに張り付いてこいつの体を撫で回していたぞ……! 


「お前、積極的だなぁ」


「これは違う!」


 くそっ、こいつが聖剣オタクであるなら、私は剣士オタクだ。

 目の前にいい肉体があるとなれば、我慢ならんのだ。

 チクショウ、なぜジョットに限って、こんな肉体をしているのだ!

 私はたまらなくなって、本体の中に逃げ帰った。


 悔しい。

 なぜこんな男が今現れたのだ。

 私の気持ちの高揚が伝わったのだろう。本体が我慢ならないといったようにふるふるとふるえ、光りだした。


 剣の波動が、ジョットにも伝わったのだろう。

 ジョットはハッとした顔になった。

 今ならこの剣を抜けると理解したのだ。

 しかしだめだ、こいつに剣を抜かせるわけにはいかない。歯を食いしばって我慢する。

 おまけにこの強い波動は、あいつに伝わってしまう可能性もある。

 早く収めなければ。


「なあ、どうしたんだよ?」


 剣の中で歯を食いしばっていると、ジョットがにやついた顔で近づいてきた。


「ッ服を着なさい! 変態!」


「お前が脱げっつったんだろうが」


 返す言葉もない。


「お、お前は何者ですか。本当に人間なのですか?」


 そう問えば、ジョットは少し考えたのち、


「さぁな。違うかもしれんな」


 と笑って答えを濁した。

 ふざけた奴だ。


「お、お前になぞこの剣は抜かせませんよ……!」


「……ふうん、そっか。俺に使われたくなっちゃったんだ?」


「……ッ」


 ブレードを指でなでられ、体がさらに震えた。


「いいぜ、使ってやるよ。俺だったら、お前の力を引き出してやれる。お前を大切にしてやれる。可愛がってやれる。俺の正体だって、教えてやるよ」


「ッ黙りなさい!」


「いやだ」


「近づいてこないで……」


「それも無理な願いだな」


 死ぬほど悔しい。

 なんでもっと昔に私の前に現れなかったんだ、お前は。

 ほんのりと香る汗の匂いを感じてに、体がふるえた。


「……体はそこまで俺を求めているくせに、なぜ俺のもんにならねぇんだ?」


 グリップを握られた。

 このままじゃ、引き抜かれそうだ。

 けれどジョットは、そうしなかった。


「俺はお前も、お前の意思も全部欲しい。自分から俺の剣になると言うまで、お前をつれていく気はねェ」


 黙っていると、ジョットはため息をついた。


「どこまで強情なんだよ、お前は」


「……」


「一体、何に怯えてんだ?」


「! お、怯えてなんか」


「怯えてる」


 鋭い視線が、聖剣の中にいる私を貫いた。


「お前は一体、なぜ身を隠している。誰から逃げている?」


「わ、私は……」


 これ以上はダメだ。

 私は目をつぶって、ジョットを拒否した。


「おい、ティア!」 


 だめなのだ。

 もしもジョットの剣になったとしても、あの男には絶対叶わない。


「お前は、あの男には絶対かないません……」


 私のために、無駄な死人は出したくない。

 私はそう呟くと、今度こそ思考の一番深い部分に潜り込んだ。

 もうこの男とは話さない方がいい。

 本気でそう思った。

 これ以上話したら、私は原始の欲求に負けてしまいそうだから。



 ティアの「魂の波動」を感じて、馬上で振り返った男がいた。

 白銀の鎧に身を包んだその男は、心底嬉しそうに口角を釣り上げる。


「ティア、みぃつけた」

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