第7話 大理石の街

 欧州では石造りの街だなんて珍しくもないけれど、大理石の街となるとちょっと気持ちが浮つくよね。大理石っていうと、まずは白とか黒とかの石に墨流しをしたみたいな模様の入った、いわゆるマーブルを思い出すものなのかな。それとも白亜かな。

 私のお気に入りの街はね、薔薇色の大理石でできてた。近くの石切場で採れる石がその色だったっていうだけなんだけどね。でも美しかった。遠くの街からも注文が入るような、それこそ日本へも輸入されているような、薔薇色の大理石。

 お金になるものだし、手あたり次第に使われてるわけじゃなくて、街の顔になるような建築物とか、大通りの要所とかの装飾がその大理石だっただけなんだけど、それがかえって魅力的だった。ここぞっていうところに、大切に、でも贅沢に配置されてるのが感じられた。都市計画を分かってる人なら、効果的って言うのかも知れない。薔薇色の大理石が映えるようにだと思うんだけど、家々はだいたい暖色だった。壁を塗るペンキは赤みを含んだ黄色やオレンジなんかが人気で、煉瓦は赤から茶色にかけての色で焼かれてた。

 平野を横切るようにして西から東に流れる川の、蛇行するS字を取り囲むみたいに城壁があって、塔に登るとその形が優美だった。曲線ってエレガントだよね。朝から昼にかけては、空の薄青色と街の薔薇色のコントラストが爽快だった。夕方には明るいオレンジの斜陽が差して、冷えていく溶鉱炉を覗き込んでるみたいだった。夜には塔が閉鎖されるから、夜景を見下ろしたことはなかったけど、きっと闇を金継ぎしたみたいに見えたんじゃないかな。街灯は黄色かった。その輝きを道の真ん中に設けられた、薔薇色の大理石の排水レーンが反射するから、空気まで明るくなるみたいだった。赤い屋根瓦が真っ暗だから、きっと夜景は金色の迷路みたいに、街路が浮かび上がって見えたと思う。

 そう、塔があったの。物見の塔。そう珍しいものじゃなくて、あの辺りの街にはだいたいあった。山の上の街ならいざ知らず、平野の街には必要でしょ。どっちから敵が来るのか、ちゃんと分かってないと備えられないもん。それが今では観光資源なんだから、いい時代になったものだよね。

 観光客はみんな登りたがるけど、それってけっこう新しい発想なんだよね。だってさ、見張りの塔だろうと、鐘楼だろうと、そういうところに登るのって、お仕事のある人でしょ。兵士とか修道士とか、見張ったり知らせたりする用事を引き受けてる人たち。石の階段なんてさ、大変だよ。登って降りたら膝が痛くなってるもん。こういうのって、自分は登らずに人を登らせるのがステイタスじゃん。確かに見晴らしは素晴らしいけど、お気に入りの絵描きを登らせて風景画を描かせれば、お菓子を食べながら居間で眺められるし、人にも自慢しやすいでしょ。

 まぁ、私は登るんだけどね、風が吹くもん。気持ちいいよ、海からも山からも風が通り抜ける平野に、ひょろっと立った建造物のてっぺんで、結っておいた髪の毛を解くのって。肩くらいまで伸ばしておくといいよ。風に向かって立ってね、ばさっとやるの。

 ぜいぜい息を切らして登り切った塔の上で、髪留めを外して、汗を拭って、肌の上から熱が吹き飛ばされるのを感じながら、ぐっと近くなった雲を見上げて、だんだん視線を下げていくでしょ。風が強くて涙が滲むから、瞬きするたびに真っ新になる視界に、まずは緑のパッチワークみたいな穀倉地帯が広がっていて、そのこっち側には赤い屋根を丸く城壁が囲ってて、至るところに薔薇色の大理石がちらちら光ってる。そのなかに無数の人影が散らばって、会ったり別れたり行き交ったり。風向きによっては笑い声が足元から立ち上ってくるの。鳥も鳴いてた。遠い木立や畑の緑はいつもざわめいてたけど、軽くて柔らかい植物の音は、さすがに聞こえなかったよね。聞こえそうではあったんだけど。

 あの街を一度でも歩き回ればね、ほかのどの街に居たって、家具屋さんとか、内装屋さんとか、博物館とか、あとは教会なんかでも、幾度となく懐かしい薔薇色に再会できるようになるの。どんな小さな欠片だって、あの薔薇色はそれと分かる。絶対に間違えないよ。あの街を訪れた私たち旅行者にとってはね、世界中に輸出された薔薇色の大理石は、あの街が誇らしい顔で送って寄越した、挨拶みたいなものだもん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る