第六十四話 龍神伝説(ラビエスの冒険記、調査官ヴィーの私的記録)

   

 はるか昔。

 神と魔とが、この大陸の覇権をかけて争っていた時代。

 配下のモンスターを大勢おおぜい引き連れた水の魔王に対して、水の女神は、一匹の青い龍をともとして従えながら戦ったという。

 龍が一声叫べば、それは雷鳴として轟き、嵐が巻き起こった。魔王軍のモンスターたちは、それだけで恐れおののき、また、竜巻となって戦場を駆け巡る龍によって、次々と蹴散らされていった。

 魔王軍の中で、最後まで魔王につき従えたのは、三大幹部のみだったという。幹部モンスターと共にあらがう魔王に対し、水の女神は、青龍に騎乗して戦ったと伝えられている。

 そして長い歳月をかけた攻防の末、女神はついに魔王を打ち破り、魔のものたちは、この大陸から去っていった……。



「この地域には、そんな伝説が残っているので……。水の女神様だけでなく、青龍も一緒に神として奉っているのです」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――たちに向かって、レスピラは、そう語って聞かせた。

 ひとまず、これで話は終わりという雰囲気だ。

 とっくに全員、夕飯は食べ終わっている。すっかり夜になっていたが、でも俺たちの頭上に輝く満天の星のおかげで、互いの顔は、はっきりと見えていた。きっと明日も快晴だろうと思わせる、雲ひとつない夜空だった。

「なるほど、そういう話なのか」

 感慨深げな表情で、宗教調査官のヴィーが呟く。教会関係者としては、色々と思うところもあるのだろう。

 そう感じたのは俺だけではなかったらしい。俺たちの顔を見回した彼女は、軽く苦笑してから、まるで疑問に答えるかのように言葉を足す。

「実は、最初に龍神祭という言葉を耳にした時には、『六神以外を神として扱うのか!』と怒りすら覚えたものだが……」

 そういえばヴィーは、レスピラが語り始めた時には、嫌そうな顔をしていたような気がする。

「……済まなかったな。『神のともとして』ということであれば、私としても、納得せざるを得ない」

「いえいえ、教会のかたならば当然の反応です。謝っていただくほどではありません」

 ヴィーはレスピラに謝意を示したが、レスピラは軽く受け流した。続いて、

「逆に私の方からお伺いしますが、風の大陸では、このような『神と魔の争い』みたいな伝説はないのでしょうか?」

「ふむ。伝承や伝説は色々あるが、誰もが信じているような確定的な物語は皆無だな」

 レスピラに聞かれたヴィーは、教会の人間として、そう言い切った。

 教会としては、魔王に関する話は全て「どうせ伝説であって、事実ではない」「口にもしたくない、関わりたくない」という扱いだから、『誰もが信じているような確定的な物語は皆無』と断言できるのだろうが……。俺たちの大陸にだって、それなりに事実に基づいた伝説があっても不思議ではないよなあ?

 例えば、争いごとの話ではないが、ウイデム山に風の神様が降臨した、という伝説。『神様』の中身はともかく『降臨』自体は本当だったらしい。そう俺は、風の魔王との一件で確信しているわけだし……。

 そんなことを俺が考えている間に、

「そうなのですか……」

 レスピラが、少し残念そうな口調になっていた。

「ならば、これも水の大陸だけの話なのでしょうが……。私たちの間では、今の私たちが魔法を使えるようになったのも、こうした『神と魔の争い』の結果だと言われています」

「あら、どういう意味?」

「面白そうな話ですね」

 冒険者にも――魔法の世話になっている俺たちにも――関わる話題だと感じたらしく、マールとパラが素早く反応する。

「はい。悪魔に心を煩わされることもなくなって、神様の御心おこころに余裕ができたからこそ、人々に魔法を貸し与えるようになったのだ、と」


 その夜。

 テントで横になった俺は、目を閉じてもすぐには眠れなかった。レスピラから聞いた話について、つい考えてしまったのだ。

 神と魔の争い。神が魔を駆逐した……。確かに、聞こえの良い話ではあるが。

 しかし、俺は知っている。実際には、この世界の人々が崇めている『神』の正体こそが、魔王なのだ、と。

 ならば『神が魔を駆逐した』のではなく、逆に『神と魔の争い』において、本物の神が破れて、追放されたと考えるべきだろう。

 レスピラは最後に、俺たちが魔法を使えるようになったのは、その伝説の時代の争いの結果だという話も語っていたが……。この魔法発祥の件も、俺の仮説――伝説は逆なのだろうという解釈――と一致する。何しろ、今現在、俺たちの魔法の源は四大魔王なのだから。

 こうやって考えていくと、この世界は「信仰の対象となる神なんて最初から存在せず、魔王しかいなかった」わけではなく「本物の神も存在していたが、魔王によって追放されただけ」ということになりそうだ。

 以前に俺は、風魔法が一時的に使えなくなった件を知らされて、なぜ『一時的』だったのか、その理由をいくつか検討してみたことがある。そのうちの一つが「風の魔王が死んだので、代わりに風の神様が現れた」という可能性だった。魔王健在のうちは神様も俺たちに影響を及ぼせなかったが、魔王さえ消えてしまえば、俺たちに力を貸せるようになるのではないか……。

 この想定は、今回の「かつて本物の神が追放された」説にも、うまく合致するではないか!

 では、もしも四大魔王を全て駆逐することが出来たら、全ての神様が戻ってくるのではないだろうか……?


 翌朝。

 目が覚めた俺は、自分がテントの中にいることを認識すると同時に、眠りに落ちる時に考えていた内容を思い出す。

「いやいや……」

 呟きながら、軽く頭を振って、それを頭の中から追い出そうとする俺。少なくとも、朝っぱらから、神とか魔王とか考えたくないものだ。

 そんな俺の様子を見て、

「あら、起きたのね。おはよう、ラビエス」

 マールが、朝の挨拶をしてくる。やはり今日も、女たちは俺より先に起床済みだった。

 こうして。

 船旅を始めて五日目――この大陸に来てから六日目――となる日曜日が始まった。


 昨日と同じく空は青く晴れ渡っており、それどころか、今日は川の水も正常に戻ったように思えた。素人目では、濁っているように感じないし、水量が多いようにも見えない。一昨日の雨の影響は、早くも抜けてしまったらしい。

 その分、気持ちも軽やかに、穏やかに船旅が出来そうだったが……。

 川の状態が回復して喜んだのは、俺たちだけではなかったのかもしれない。

「おい、来たぞ!」

 俺やマールが口にするより早く、センが叫んで注意を喚起する。

 素敵船ナイス・ボートが水面を進み始めて数分もしないうちに、モンスターが現れたのだ!

 相変わらずの赤半魚人レッド・サハギィたち。数は四匹。だが赤半魚人レッド・サハギィ四匹だけではなく、今回の集団には、見慣れぬモンスターも混じっていた。

「教えてくれ、レスピラ。あれは何だ?」

 槍半魚人ランス・サハギィと出会った時の「そういう説明は先に言って欲しかった」を思い出し、最初から素直に尋ねる俺。

 すると彼女は、俺たちを見回しながら答える。

「ああ、あれは殺人魚ころしうおですね」

「その名前、以前にも聞いたわね。サハギィ系統と同じく雷に弱いモンスター、って話の中で」

 マールが挟んだ言葉は、まさに俺の頭に浮かんだものと同じだった。

 あらためて俺は、その『殺人魚ころしうお』に目を向ける。なるほど、名前の通り、魚系のモンスターだ。

 体の色は、緑一色。胸ビレが大きいところは、トビウオを連想させる。奇形にも思えるほど大き過ぎる顔は、面構えも凶悪であり、そこだけは既存の魚と似ても似つかない。頭部のおかげで「魚ではなくモンスターだ」と認識できる感じだった。

「それで、こいつの特徴は? 槍半魚人ランス・サハギィみたいに、遠くから攻撃する手段があるとか? あるいは、あの胸ビレで空を飛んでくるとか……」

「飛びませんよ、鳥系モンスターではなく魚系モンスターなのですから」

 俺の言葉を一笑に付すレスピラ。今まさにモンスターが迫ってきているのに、とてもそうとは思えないような、穏やかな笑顔を浮かべているほどだ。

 そういえば、この世界には『トビウオ』なんていないんだっけ……?

「しいて言うならば、耐久力が結構高い、という噂ですが……。私も実際に出くわしたのは初めてでして……」

 その程度ならば、厄介な相手ではなさそうだ。少なくとも、槍半魚人ランス・サハギィよりはマシだろう。

 俺がそう考えている間に、

「なるほど、耐久力自慢のモンスターですか。でも雷が弱点だというなら……」

 早速パラが、強雷魔法トニトゥダを唱えていた。まずは新しいモンスターから対処しようという魂胆らしい。

「フルグル・フェリット・フォルティテル!」

 しかも。

「私も加勢しよう」

 パラの魔法に合わせるようにして、宗教調査官のヴィーが『珊瑚の槍』から電撃を飛ばす。

 その同時攻撃を受けて……。

「あれで『耐久力自慢』か?」

「あっけないものだな」

 後ろで武闘家たち――センとリッサ――が呆れている通り。

 殺人魚ころしうおは瞬殺されて、もはや腹を見せて浮かぶ有様だった。こうなってしまうと、池や川で見かける、普通の魚の死体と同じだ。そのうちに、どこかへ流されていくに違いない。

「よし! もう殺人魚ころしうおのことは忘れて、赤半魚人レッド・サハギィに集中!」

 緩んだ空気をただす意味で、俺は大きく叫んだ。

 心の中では「もしかすると殺人魚ころしうおって、青半魚人ブルー・サハギィよりも低級のモンスターなのでは?」と思いながら。


 四匹の赤半魚人レッド・サハギィなんて、今の俺たちには、たいした敵ではなかった。だが、あっさりと片づけて少し休んでいる間に、また赤半魚人レッド・サハギィが出現。今度は六匹。

 これも、俺とパラの魔法攻撃、マールの風魔剣ウインデモン・ソード、ヴィーの『珊瑚の槍』で対処。モンスターたちが素敵船ナイス・ボートまで跳び上がってくることはなく、センとリッサの出番は皆無の戦闘だった。

 その後は、モンスターの姿も見えないまま、お昼が近づいて……。

 川の様子に、変化が生じた。

「分岐点ですね!」

 声を上げたのはパラだったが、口にせずとも、全員が気づいたことだろう。

 これまで一つの大きな流れだった川が、少し先で、二つに分かれているのだ。

 いや正確には「分かれている」というより「支流がある」とでも言うべきか。左から細い水路が――『細い』といっても素敵船ナイス・ボートが十分に通れるくらいの水路が――、この川に流れ込んでいるのだ。

「昨日、お話しした通りです。北へ向かう支流に入れば、すぐにネプトゥウ村ですが……。どうします?」

 俺たちの顔を見回しながら、レスピラが尋ねる。

 そういえば、昨日ネプトゥウ村の話が出た際、あくまでも「そういう村がある」というだけで「そこに立ち寄るかどうか」については、特に決めていなかった気がする。

 先を急ぐのであれば支流には入らず、このまま本流を行く、というつもりなのだろうが……。

「もちろん、行ってみますよね? 少しくらいの寄り道ならば、構わないのでしょう?」

 俺やマールの顔を見ながら、そう言ったのはパラだ。このパーティーのリーダーは俺、という認識なのかもしれないが、俺は答える代わりに、黙ってヴィーに目を向けた。


――――――――――――


 私――ヴィー・エスヴィー――は、いくつかの視線が自分に向けられたのを、はっきりと感じた。

 先日『珊瑚の槍』の所有者を決める際に、リッサが「雇い主の意見を尊重するのが当然ではないのか」と言っていたように、今回も私に決定権を委ねるつもりらしい。


 ふと、考えてしまう。

 この船旅が始まる前日、彼ら冒険者たちに事情を説明した時。

 あの場でリッサは――ラゴスバット伯爵家の人間である彼女は――「西の大陸も北の大陸も探検しよう」と言って無邪気に喜んでいたし、パラはパラで「東の大陸へ転移できるような装置を探そう」と提案していたのだ。

 私としては彼らの魂胆を知りたいという気持ちもあったため、その話を受け入れて「まずは北の大陸を目指しつつ、立ち寄った村などで情報を仕入れることで、転移装置のような時間短縮の手段も探す」と言っておいた。

 その意味で。

 早速、そうした寄り道の機会が訪れたわけだ。

 チラッと、リッサの方に目をやる。まるで彼女は、お菓子を前にしてお預けを食らった子供のような顔をしていた。「もちろん立ち寄るのだろう?」と、今にも言い出しそうな雰囲気だ。

 正直、龍神の祭りに浮かれる田舎村に寄ったところで、帰路を短縮できるような装置も情報も得られるとは思えないが……。村におけるリッサたちの言動を観察すれば、彼らの思惑を知るための手がかりくらいは、何か掴めるかもしれない。

 そう考えて。

 仰々しく冒険者たちの顔を見回しながら、私は大きく頷いてみせた。

「もちろんだ。……そのネプトゥウ村、それほど遠くはないのだろう?」

「はい、そうです。支流に入ったら、すぐに見えてきますよ」

 レスピラにも確認した上で、彼女に最終的な指示を出す。

「では、お願いする。今日はネプトゥウ村で過ごし、明日、また旅を再開しようではないか」

「了解しました。では……」

 言いながらレスピラは、パドルに力を入れる。

 かすかな揺れと共に、素敵船ナイス・ボートが支流の方へと近づいていくのを、私は感じるのだった。

   

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