第四十七話 辺境の村へ(調査官ヴィーの私的記録)

   

 その日。

 私――ヴィー・エスヴィー――は、大きく音を立てながら、豪勢な扉をノックした。続いて、

「宗教調査官、百七号、ヴィー・エスヴィー。入ります」

 大声で宣言した後、ひとつ深呼吸してから、部屋の中へと入っていく。

 大司教様の執務室だ。ここに呼ばれるのは初めてではないが、呼び出される度に、私は緊張してしまう。

 入り口から続く、真っ赤な絨毯。その先にある茶色の机で、大司教様は、何かの書類に目を通していた。

 そこから顔を上げて、大司教様は、にこやかな顔を私に向けた。

「ああ、ヴィー。よく来ましたね。さあ、そう硬直せずに、リラックスして、もっと近くに来なさい」

 いつも大司教様は、まず最初に優しい言葉をかけてくれる。無駄が嫌いで、単刀直入に用件だけを話したがる大司教様だが、この『優しい言葉』だけは欠かすことがなかった。

「ヴィー。あなたに、新しい任務を与えます。まずは、これに目を通してください」

 そう言って大司教様が私に差し出したのは、冒険者組合からの申請書のようだった。いや、正確には『申請書』そのものではなく、その複写だろう。『イスト村』という地名と、昨日の日付が目に入ったので、私は、そう判断した。

 宗教調査官である私の頭の中には、大陸中の地名が叩き込んである。確かイスト村は、北東部の僻地にある村だったはず。ただし、村の規模そのものは大きく、その辺り一帯では最大の集落地であり、実質的には『町』と呼ぶ方が相応しい、という話だった。

 そんな遠くからの書類が、一日で届くはずはない。これは、魔法通信で聞いた内容を、同じ書式で記したに過ぎないものだろう。

 だが、そんなことは重要ではない。驚くべきは、申請書の内容だった。そこには「所属の冒険者が風の魔王を討伐したので、報酬を頂きたい」と書かれていたのだ。

「魔王討伐ですか……」

 いきなり、口にしてしまった。けがらわしい『魔王』という言葉を。

「ええ。ありえない話です。普通に考えるならば」

 大司教様が、苦々しい口調で、嘆きの言葉を発する。

 そう、ありえないのだ。そもそも魔王なんて伝説の存在であり、実在しないのだから。いない者をどうして『討伐』できようか。

 しかし、最初に『いない者』の話を始めたのは、ある意味では、教会組織の方だ。我ら教会が全国的に魔王討伐令を発布したからこそ、一部の冒険者たちが「魔王を討伐しました!」などと言い出すのだ。

 こうして魔王討伐を詐称する冒険者は、今回が初めてではない。その度に、一応は真偽のほどを確かめに行くことになるのだが、私のような宗教調査官にしてみれば、もうルーチンワークのようなものだった。むしろ簡単な仕事であり、少し気持ちが軽くなったが……。

 何か、心に引っ掛かる。調査官としてのカンが「いつものケースとは違うぞ」と、頭の中で囁いている。

 もう一度書類を見直して、その理由がわかった。私が気になったのは……。

「よりにもよって『風の魔王』ですか」

「そうです。あの『風』なのです。ヴィーも知っているでしょう、最近の『風』の異変のことを」


 大司教様に言われるまでもない。

 少し前に風系統の魔法が一斉に使えなくなったのは、宗教調査官の間では、有名な話だった。

 普通に考えれば、攻撃魔法が使えなくなって一番困るのは、それを使ってモンスターと戦っている冒険者なのかもしれない。宗教関係者には無縁だろう、と思われるかもしれない。

 しかし。

 宗教調査官は、教会の中でも、いわば武闘派だ。異端者を狩り出す仕事に従事することも多く、逆らう異端者はその場で抹殺しても構わない、という暗黙の了解まで存在している。だから、攻撃魔法を駆使する調査官も大勢いるのだった。

 幸い、まだ私は、人の命を奪うような汚れ仕事を命じられたことはない。しかし、いつかは任務で誰かをあやめることもあるかもしれない、と覚悟だけはしている。

 ただし私の場合、風系統の魔法は一切使えないので、今回の異変で困ることはなかったが……。

「風の魔法が使えないというトラブルは一時的でしたが、『海峡の魔風』の消失は、恒常的なものでしょう。どちらも『風』に絡んだ現象です」

 大司教様が、改めて状況を説明する。それくらい私も知っている、というのは、大司教様も御存知のはず。それでも確認の意味で口にするのだから、これは重要なポイントなのだろう。


 ここ東の大陸は、北西部で北の大陸と隣接し、南西部で南の大陸と隣接している。しかし、北の大陸との間に横たわる海峡は、いつも暴風圏となっており『海峡の魔風』と呼ばれていた。また、南の大陸との間にある山々は、登頂困難な崖のような地形であり、無理に登ろうとしても凶悪なモンスターに襲われるらしい。通称『悪魔の絶壁』だ。

 そうした障壁によって、大陸間の移動は不可能とされていたのだが……。風の魔法が一時的に使えなくなったのと時を同じくして、北西の海峡を封鎖していた『海峡の魔風』が消えたのだった。

「今回の申請……。風の異変にかこつけて、というのであれば、非常に悪質ですね」

 私は、大司教様に対して、一つの可能性を提示した。

 魔王討伐なんてありえない以上、これは虚偽の申請に違いない。しかし普通に申請したところで却下されるのは目に見えているから、信憑性を高めるために、討伐対象を『風の魔王』ということにしたのだろう。「風に異変が起こっている時に『風の魔王』の名前を出せば、関連づけて考える者が出てくるかもしれない」という魂胆だろう。

 一種の『火事場泥棒』のようにも思える。だから私は、これに関わる冒険者たちを悪質と断じたのだが、大司教様は、首を横に振った。

「そう単純に考えてはいけません。よく考えてみなさい、ヴィー。その冒険者たちが『海峡の魔風』の件を知るはずもないのです」

 言われてみれば。

 教会が『海峡の魔風』について、事態を速やかに把握できたのは、秘密裏に保持する魔法通信装置のおかげだった。貴族や冒険者組合が所有する同型の装置よりも格段に性能が上であり、教会組織が大陸中の支部と瞬時に連絡し合えるのも、これがあるからだった。

 ただし、そんな強力な通信装置でも、今まで他の大陸との連絡は不可能だった。『海峡の魔風』が消えて、ようやく、北の大陸の教会組織と連絡し合えるようになったところだ。だから今、通信班に所属する教会員は、休日返上の大忙しなわけだが……。

 いや、少し話が逸れた。ともかく、一介の冒険者には、そんな通信手段は使えない。海峡近くの村ならばともかく、遠く離れたイスト村の住人は、まだ『海峡の魔風』の件を知らないはずだった。

「しかし、大司教様。『海峡の魔風』については知らずとも、風魔法使用不能の一件は周知のはずであり、そこから討伐の話をでっち上げた可能性は、まだ残っていますよね?」

「それはそうですが……。今回の申請に関しては、まだ問題があるのです」

 大司教様は、少し声のトーンを落として、話を続ける。

「これは極秘事項なので、ここだけの話と思ってください。魔王討伐を主張する冒険者グループの中に、ラゴスバット伯爵家の血縁の者が含まれているのです」

 その言葉を聞いて私は、頭に詰め込んである知識の中から、貴族に関する情報を引っ張り出した。

 ラゴスバット伯爵家は、小さな地方領主であり、他の貴族から「コウモリ伯爵」と揶揄されるような、弱小貴族だ。どの貴族派閥にも属しておらず、これまでは、貴族間の政争にも一切関わってこなかったのだが……。

 そんな伯爵家の者が、魔王を討伐したと主張するとは!

「何か魂胆があるのでしょうか」

「わかりません。しかし伯爵クラスの貴族が関与する以上、迂闊に『嘘だ!』と断じて処罰するわけにもいきません。ですから、これは重要な任務です。特に信頼できる人物にしか頼めません。いつもよりも慎重に対処してください」

 大司教様の話では、イスト村への速やかな移動手段として、地下の転移装置を使う許可も出ているという。また、現地で調査する際の護衛の冒険者も、冒険者組合を通して確保してあるらしい。もう、準備万端なのだ。

「わかりました。宗教調査官ヴィー・エスヴィー、任務を承りました。申請の真偽、並びに、背後にあるかもしれない陰謀について、確かめて参ります」


 大司教様の部屋を出て、教会本部の、綺麗に磨かれた廊下を歩く。

 調査官として大陸中を飛び回る私は、この本部会館に来る機会は多くない。そのため、ここで働く教会員の中には、私を初めて見る者も多いようだ。

「おい、あれって……」

「しっ! 珍しいものを見るような目はやめろ! お前、殺されるぞ!」

 私の横を通り過ぎた者たちが、そんな言葉を交わしているのが聞こえた。聞こえていないつもりだったのだろうが、私は耳が良いし、それが宗教調査官として役立つ機会も多い。

 今の二人だって、宗教調査官が時には汚れ仕事にも関わることくらい、知っているはず。だから「殺されるぞ」という発言になったのだろう。だが「珍しいものを見る」の方は、宗教調査官という職務ではなく、おそらく私の肌の色に関係する言葉だと思う。


 この褐色の肌は、何も恥じるべきものではない。私が生まれ育った村では、ごく普通の色だった。村の年寄りの話では、はるか昔に――まだ大陸間の移動が可能だった頃に――南の大陸から移住してきた者たちが集まって出来た村だったらしい。だから東の大陸の生粋の住人とは外見的な違いもあったのだろうが、村の中だけで暮らしていた頃の私は「違う」ということに気づいていなかった。

 それを思い知らされたのは、魔法を学ぶために王都に来てからだった。最初は、人々の好奇な視線が嫌だった。中には「健康的な肌の色だね」と、これを魅力的に思ってくれる男の人もいたが……。外見で人を判断するような人間とは、あまり親しくなりたくない。

「今晩どう? 俺、一度でいいから褐色娘を抱いてみたい、って思っていたのさ。大丈夫、俺のテクニックは凄いから……」

 本音を隠す人間よりは正直な者の方が私は好きだが、さすがに「一度抱いてみたい」なんて理由の男に、生まれてからずっと守り続けてきたみさおを捧げる気にはなれなかった。承諾する代わりに、

「ソムヌス・ヌビブス! ネルボルム・レゾルティオ!」

 覚えたばかりの睡眠魔法ソムヌムと麻痺魔法トルボルを叩き込んでから、悪漢どもがうろつくスラム街の路地裏に投げ込んでやった。しばらくは眠り続けたままで、目が覚めても体が痺れてすぐには動けないはずだから、あの男は、大変な目にあったに違いない。

 ここ宗教都市カトラクに移ってからも、好奇に満ちた視線は続いていた。それでも言い寄るような下衆が出てこないのは、さすが、教会本部のあるカトラクといったところだろうか。あるいは、教会の宗教調査官に手を出そうという命知らずが存在しないからだろうか。


 いったん自分の部屋に戻って、旅の支度を整えて、私は本部会館に戻った。建物の最深部、地下三階へと降りていく。

 この辺りまで来ると、地上階とは明らかに雰囲気が違う。魔法灯も少なくなるので薄暗いし、心なしか空気もんやりしている。ここに来る度に私は、まるで悪の秘密結社のアジトのようだ、と不遜な感想をいだいてしまう。

 階段の終点にある部屋に、私は入る。

「宗教調査官、百七号、ヴィー・エスヴィー。イスト村への移動のため、転移装置を使いに参りました」

「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

 私と同じく青い僧服を身にまとった男が、笑顔で私を出迎えてくれた。ただし、彼が首から下げたペンダントは、私とは違うものだ。ペンダントは所属を示す記章を兼ねており、それを見れば、彼が転移装置の担当であることが、一目でわかるようになっていた。

 もしも私が転移魔法を発動できるならば、わざわざ、ここの装置の力を借りる必要もないのだが……。闇系統の黒魔法と簡単な回復魔法しか使えない私は、自身の力では、短時間で長距離移動することは出来ない。そのため、職務上、この部屋の装置には何度も世話になっていた。

「目的地は、イスト村でよろしいですね?」

「はい、お願いします」

 最終確認の意味で、私に尋ねる担当官。彼に導かれるまま、私は、ゆかに描かれた魔法陣の中心に立った。部屋いっぱいに描かれた、大きな魔法陣だ。

 転移魔法オネラリは本来、自分自身を瞬間移動させる魔法でしかない。パーティーの仲間が自分と触れ合っている場合に限り、一緒に転移も出来るという話だが、無関係な他人を飛ばすことは出来ない。

 それを可能にするのが、この魔法陣であり、教会組織が秘匿する技術の一つだった。

 だから、ここで勤務する担当官は、転移魔法の使い手に限定される。また、飛んだ先には普通、このような大掛かりな魔法陣は用意されておらず――つまり受信用の小型魔法陣のみであり――、また転移魔法の使い手もいないため、この手の装置は片道切符だ。今回の私の場合も、イスト村の教会から魔法通信で調査報告だけ先に済ませて、私自身は馬車で時間をかけて戻ってくることになるのだろう。

「では、行きますよ。気持ちをラクにしていてください」

 心の準備のために、担当官が、そんな言葉を口にした。続いて彼は、呪文を詠唱する。

「イアンヌ・マジカ!」

 部屋全体が、転移の光に包まれた。もちろん、その中心は、私が立っている位置だ。部屋の隅に避難していた担当官だけが、この白い光に巻き込まれていない。

「では、行ってらっしゃい!」

 最後に、彼のそんな言葉が聞こえたようだが、私の気のせいだろうか。

 こうして。

 私は、辺境の村へと旅立ったのだった。

   

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