第24話 略奪の女

 ローザリッタとヴィオラは月影を遮って空を駆ける。

 静かな夜だった。人の気配もまるでない。動くものといえば遠くに光る明滅――巡回をしている警吏の行燈くらいだろう。昼間の賑わいがまるで幻だったかのように、アコースの街は廃墟のような寂寥感に包まれている。


「……何も音沙汰ないな」

「そうですね。少し休みましょう」


 連続した〈空渡り〉は肉体に過度な負荷を強いる。二人は渡り鳥のように民家の屋根上に着地し、しばし羽を休めることにした。


「……今夜は何もないかもな」

 ヴィオラが呟く。

 事件のあった翌日で、しかも街中に犯行は知れ渡っている。警戒されるとわかっていて、わざわざ出てくるとは考え難かった。

 気が急いている。そう指摘されてもおかしくはない。しかし、ローザリッタの中には単なる焦り以上のものがあった。確信ではない。強いて言えば、予感か。


「……辻斬りは、なぜ遺体を放置したのでしょう?」

「そりゃお前、人間がわんさかいる都市部で隠蔽するのは無理があるだろ。あれだけ血痕が残っているし、だいたい、悲鳴の一つでも上げれば警吏がすぐ駆けつけ――あ」

 何かに気づいたように、ヴィオラは口を開けた。


「……遺体が見つかったの、朝方だわ」

「そうです。つまり、シニスさんは悲鳴を上げる間もなく殺されたと考えられます。辻斬りには証拠を隠蔽する余裕があった。完全とは言わないまでも、発覚を多少遅らせる措置を取ることもできたはず。なのに、どういうわけか放置しているんです」

「……見つけて欲しかったとでもいうのか?」

「おそらく」

「だとすれば、単なる辻斬りって可能性は低いか。事件が早々に発覚すれば、次の狩りがし辛くなるからな。やっぱり指南役の継承争いの線が濃厚かねぇ」

 ヴィオラの言うとおり、ダヴァン流の剣術指南役の座をかけた内部抗争と考えるのが自然だろう。

 だが、ローザリッタにはどうも腑に落ちなかった。指南役の座を狙えるほどの実力を持った人間などそう多くないはずだし、デストラなら犯人と思しき人物にすぐ思い至るはずだ。警吏だって該当者の不在証明を調べたに違いない。


 なのに今宵、デストラは自身を囮にした夜回りという手段を取った。裏を返せば、関係者の中に犯人を特定することができなかったということだ。場合によっては、最も可能性が低いと考えている、単なる辻斬りのほうが当たりかもしれない。

 不透明な犯人像。得たいの知れない不安感。既に逃亡している可能性まで考慮すると、未解決のまま捜査が中止になることも在り得る。


 もし、そうなってしまったらデストラの無念はどうなる。

 彼は一生、謝れなかったことを責め続けるだろう。祝福できなかったことを悔やみ続けるだろう。その未来を想像しただけで、ローザリッタの胸には狂おしいまでの怒りが沸き上がる。


 ――あのような思いを、誰にもさせてなるものか。


 決死の思いでローザリッタは全神経を研ぎ澄まし、街の異常を探る。

 すると、彼女の耳がかすかな音を捉えた。


「……なにか聞こえません?」

「んー?」

「こう、甲高い声で……あんあんって……鳥でしょうか? でも、こんな夜更けに鳴く鳥なんていますっけ?」

 詳しく聞き取ろうとするローザリッタの耳をヴィオラは塞ぐ。


「な、なんですか、いきなり!」

「お嬢にはまだ早い」

「ヴィオラはこの声の正体を知っているんですか!?」

「いやー、知らないなー」

 ヴィオラは明後日の方向を向いてシラを切る。


 その時だ――野太い絶叫が闇を切り裂いたのは。

 二人はさっと真顔に戻ると、再び夜空を舞った。声のする方に向かって。



 †††



 声がする方向に跳んだ二人は、狭い路地で右腕を押さえてうずくまるデストラを発見した。


 デストラから三間ほど離れた先に、闇色の外套を纏った人影が立っている。


「――そこまでです!」

 ローザリッタとヴィオラは二人の間に着地すると、負傷したデストラを庇うように木刀を構えた。


「ローザリッタ殿……」

 苦悶の表情を浮かべながらも、突如舞い降りた少女の姿に驚いている。

 デストラの右腕からは夥しく流れる血。斬られたのは腕の内側のようだ。種類にもよるが、籠手は留め具と可動域の関係で内側の守りが薄いことが多い。剣術にはそこを狙うことを目的とした動作さえあり、具足を身に着けた戦士への攻撃法としては定番と言える。


 故に、デストラほどの腕前の剣士が防具を過信するとは信じがたい。彼の備えを上回る技量か、それに準じる何かを眼前の辻斬りが持っているということか。


「――――」

 声にならない声。外套越しに驚愕が伝わってくる。上空からの助太刀に驚いたのはデストラだけではないようだ。二対一の不利を悟ったのか、辻斬りは一転して逃走を図る。


「追います! ヴィオラはデストラさんの手当てを!」

 ローザリッタもすかさず後を追った。

 彼女の跳躍力を前に民家の壁や塀は無意味だ。文字通り、、大通りに出たばかりの辻斬りをあっという間に追い抜き、前方へ回り込んで行く手を塞いだ。


「さあ、おとなしく縛に付きなさい!」

 三間の距離を挟んで、ローザリッタは辻斬りと対峙した。

 木刀の切っ先を突きつけつつ、動きを止めた相手の動きを注意深く観察する。

 一息に距離を詰めないのは、相手の得物が見えないからだ。デストラが傷つけられた以上、何らかの攻撃手段を有しているのは間違いないだろうが、それと思しきものは外套の奥に隠されている。太刀か。剣か。それとも飛び道具か。それさえ判別できていない状況で、迂闊に接近するのは危険だった。


 引き絞った弦のように空気が張り詰めていく。言うべきことは言った。あとは向こうの出方次第。ローザリッタは口をつぐみ、相手の行動をじっと窺う。


「あーあ。逃げられないかぁ」

 されど沈黙は、場違いなほど陽気な声によって破られた。


「――え」

 呆けた声が漏れる。

 この一瞬、ローザリッタは間違いなく我を忘れた。


 辻斬りは外套の頭巾を捲りあげる。

 亜麻色の髪。茶褐色の双眸。艶やかな朱唇。そして、三日月を思わせる微笑。

 月明かりに濡れる、その面貌は――


「ファム……さん?」

「はあい、こんばんはぁ」

 それは蕩けそうなくらい、優しい声音だった。


「駄目でしょ、ローザちゃん。夜は危ないんだから、ちゃんと旅籠にいないと。悪い人に襲われちゃうぞ」

 咎めているような口調だが、ファムはにこにこと微笑んだままだ。


「な、なんで……」

 すっかり動揺したローザリッタが面白いのか、ファムが愉快そうに肩をゆする。


「新しい被害者が出るのを防ぎたかった? ふふ、そうよね。守ることがあなたの目的ですものね。怯える人たちがいるのを見て、放っておけないわよね。遺体をそのままにしておいて正解だったわ。こうして、ちゃんと釣られてくれたんだから」

 その瞬間、ローザリッタの脳裏ですべてが繋がった。

 シニスの遺体を放置したのは、デストラではなく、ローザリッタを誘き寄せるためだったのだ。犯人の正体にかすりもしないのも道理である。まさか、自身が事件の中核だったなどと想像すらしていない。


「どうしてこんなことを!?」

「んー、好きだからかな」

 悪びれもなく、ファムは言った。


「私はね、小さい頃から何かを奪うって行為が無性に好きだったの。誰かが楽しみにとっておいたおやつを勝手に食べたり、友達が想いを寄せる男の人を誘惑して横取りしたり。そして、みんなががっかりする顔が大好きだった。……でも」

 嬉々とした表情から一転、ファムは悲しそうに眉根を寄せる。


「そんなことを繰り返すうちに居場所がなくなっちゃってね。私みたいな女は、きっと普通には生きられないんだって気づいた。だったら、いっそのこと普通を辞めちゃおうって思って、野盗の仲間になったの。奪って生計を立てるなんて、私にぴったりでしょ?

 ……まあ、それも長続きはしなかったんだけど。私が所属してた集団が、野盗同士の抗争で壊滅しちゃったからね。私も死にかけた。奪うのは好きだけど、奪われるのはまっぴらごめん。ここが潮時かなって思って野盗稼業から足を洗うことにしたのよ。それが一年前ね」

「だったら……なおさら、どうして……」

「――あなたのせいよ?」

 ファムは熱っぽい視線を向けた。

 彼女と出会ってから、幾度となく向けられた恋い焦がれるような眼差し。


「これでも、いろいろ我慢して普通の暮らしを送っていたのよ? 奪うにしても人のおかずを取ったりとか、仕事の役割を奪うくらいで我慢してたのに。それくらいのみみっちい略奪で自分を納得させてたのに……あなたがあまりにも強くて、綺麗で、真っすぐだから――また奪いたくなった。あなたの『全てを守る』という綺麗な綺麗な宝物を奪って、踏みつけて、台無しにして、絶望に歪んだ顔が見たくて見たくてしょうがなくなちゃったの!」

 その、あまりの理不尽さにローザリッタは激昂した。


「だったら……だったら、何故あの二人を! あなたの標的がわたしなら、あの二人は無関係じゃないですか!」

「準備運動かな。私が戦うのは一年ぶりだし。感覚を取り戻すのに都合が良かったのよ。今なら同門同士のいざこざでうやむやにできそうだったからね。それに、所詮は流れ者だもの。居心地が悪くなったら、次の街へ行けばいいだけだしね」

 言いおいて、にやり、ファムの笑みが深くなる。


「……まあ、前菜にしては、すっごくいい顔が見れたけどね。悔しかっただろうなぁ、シニスさん。もうちょっとで念願の指南役になれたのに、私なんかに夢を奪われちゃって。デストラさんもあの腕じゃ、もう剣は振れないわよね。友の仇を討てないどころか、空席になったはずの指南役も諦めないといけないなんて、本当にお気の毒!」

 くつくつとファムは笑った。

 ローザリッタは愕然とする。あんなに優し気なのに、あんなに楽し気なのに――世の中には、あんなに怖い笑顔が存在するのか。


「あなたは――狂っている」

「うん。知ってる」

 ファムは外套を脱いだ。

 露わになった繊手に握られていたのは、一振りの奇怪な剣だった。

 真っ直ぐに伸びた百足のように、規則的に返しが並んでいる。剣というよりは鋸に近い形状。正体不明の武器にローザリッタの心がざわめく。


「予定よりも早いけど、出会った以上は仕方ないわね。心配しないで、命までは奪わないわ。あなたみたいな人間は、自分の命より他人の命のほうが大事だもの。今夜奪うのは、あなたの守る力だけ。ふふ、無力になったあなたはどんな顔をするのかしら。その状態でヴィオラちゃんやリリアムちゃんを殺されたら、どんな慟哭をあげるのかしら。――ああ。想像しただけで体が熱くなっちゃう」

「易々と奪われる気はありません。わたしの剣は、あなたのような理不尽から皆を守るために鍛え上げたのです!」

「それでこそ! 奪い甲斐があるというものね!」


 ローザリッタが大地を蹴り、迎え撃つようにファムが剣を振り上げる。

 刹那――月夜に邪剣が閃いた。

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